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5月11日 たったひとりの救助隊

 伝えといて、とは言われたものの、私は須和さんの言伝を、すぐには宍戸さんに伝えずにいた。

 先輩風を吹かして「断っとく」と言った手前もあるけれど、宍戸さんの控えめな性格を思えば、「夏まで待つ」なんて言葉はいらない負担になるだろうなと感じたから。


「でも、何らかの形では伝えないといけないと思うんだよね」

「まあ、そうな」


 パックの野菜ジュースを啜りながら、アヤセがぶっきらぼうに答えた。


「聞いてる? わりと真面目な相談のつもりなんだけど」

「聞いてる聞いてる。たださ」

「うん」

「私たちで考えて出る答えじゃねーなそれって思って」


 それはまあ、そうなんだけど。

 それを言ったら元も子もないじゃないか。

 昼休みの教室で、アヤセとふたり机を向かい合わせながら、どちらからともなくため息をついた。


 須和さんと宍戸さんの問題は、流石にひとりの手には余る。

 そう感じた私は、「誰にも言わない」と誓った宍戸さんとの約束を、申し訳ないけど破ることにした。

 須和さんも、宍戸さんも、私にとってはほとんど関わったことがない相手だ。

 当事者の気心を知らないのに、その両方に納得して貰う方法なんて考えつくわけがない。


 そんな時の頼りになるりそうなのがこいつというわけだ。

 ちなみにユリは、今日はチア部のランチミーティングがあるとのことで席を外していた。

 いたらいたで話を引っ掻き回されそうなので、今はありがたい。


「とりあえず、そのまんま歌尾に伝えたら? 別に悪いこと言ってるわけじゃないんだしさ」

「それはそうなんだけど」

「けど、なんだよ?」


 それで終わらせちゃいけないような、胸の内のもやもやした気持ち。

 それを言葉にするならたぶん――


「高校生になったら変わってみたいって気持ちは分かるから」


 すると、わしわしと髪の毛をかき回すみたいに、頭を撫でられた。


「狩谷さんちの星ちゃんは可愛いねえ」

「ちょっと、やめてよ……」


 アヤセの手を振り払って、髪を手櫛で整える。

 そんな私を見て、彼女はけらけらと笑っていた。


「そう言うことなら呼んでみるか救助隊」

「救助隊?」

「ま、ひとりなんだけど……場所は生徒会室でいい?」

「話が見えない」


 私をよそにアヤセはスマホをいじると、しばらくして背伸びをしながら立ち上がった。


「じゃ、行くか」

「生徒会室?」

「そっ」


 いったい誰が待ってるんだと思ったけど、よくよく考えてみたら、そんなのひとりしかいなかった。


 アヤセとふたり、生徒会室の扉をくぐる。

 するとそこでは、穂波ちゃんが慣れた手つきでお茶を淹れていた。


「あ、お疲れ様です」


 先に待っていたらしい穂波ちゃんが、ぺこりと会釈をした。

 私はアヤセの顔を見る。


「救助隊って?」

「私らよりずっと、歌尾のことに詳しいひと」


 過ごした時間で言えば、きっとそうだろう。

 でも、このことを穂波ちゃんに相談しても良かったのかな。

 こうなってしまったら今さらだけど。


「お茶どうぞ」

「ごめんね急に」


 とりあえず、アヤセの代わりに謝っておく。

 穂波ちゃんは、相変わらずのポーカーフェイスで「大丈夫です」と答えた。


「それで、相談っていうのは?」

「歌尾のことなんだけど」


 アヤセはそこまで言って、私の脇を小突く。

 私は頭を抱えたい気持ちを抑え込んで、ことの顛末を穂波ちゃんに話した。

 彼女は話が終わるまで、静かに聞いてくれた。


「歌尾さん、そんな悩みを持ってたんですね」


 話が終わって、穂波ちゃんはそう溢した。


「穂波ちゃんも知らなかった?」

「楽器が上手ってことまでは」

「ことまでは、というと?」


 私の問いに、彼女ははっとして口元を覆う。

 どうやら、突っ込んじゃいけなかったところらしい。


「ああ……聞かなかったことにしてもいいよ」

「いえ、その、私の失言ですし……それにたぶん、全く関係ないことでもないと思うので」


 互いに譲り合うよに頭を下げる。

 それから穂波ちゃんは、ちょっとためらいがちに教えてくれた。


「歌尾さんのお父さん、その道では有名な音楽家さんらしいんです。コンサートとかお呼ばれすることが多くって、あんまり家にはいないそうで。寂しいみたいで」

「へえ」

「あと、お母さんも地元で音楽教室やってるとかで」


 音楽一家というわけか。

 それならまあ、楽器が上手いというのも頷ける。


「中学のことは……たぶん意図的に、あんまり話してはくれないんですが。家族のことは教えてくれたんです」

「でも須和さん、そんなこと一言も言わなかったな」


 その道がどの道かは知らないけど、同じ県の有名な音楽家なら、知ってそうな気はするけど。

 それならもっと彼女のことを調べて、中学生のうちからスカウトしていたかもしれない。

 でも、同じ高校にいるのは偶然だという。


「本当に演奏だけ聞いて、良いなって思ったんじゃないの」


 すると、それまで呑気にお茶を飲んでたアヤセが口を挟んだ。

 確かに、須和さんは宍戸さんの家のことは一切触れなかったし、もしかたら知らないか……知ってても、宍戸さんの縁者だとは気づいていないのかも。


「確かに須和さんは、宍戸さんの演奏のことしか言わなかったよ。それ以外は興味ないって感じ」


 宍戸さん自身にも、宍戸さんの気持ちにも。

 音楽の完成度を高めるために、彼女の音が欲しい。

 ひたすらに純粋で、清々しいほどにストイックで、氷のように冷たい願い。


「だとしたら私、歌尾さんにはちゃんと、須和さんと話をして欲しいです」


 それが穂波ちゃんの意見だった。


「宍戸さんは嫌がるかもしれないけど……?」


 その質問は、ちょっと意地悪だったかな。

 現に、穂波ちゃんはちょっと迷ったように俯いてしまう。


「せっかく認めてくれるひとがいるなら。それになんだか、勿体ないような気がするんです」

「勿体ない?」

「須和先輩というひとにそこまで言わせるくらいの、それまでの歌尾さんの努力が」


 努力――そこで才能と言わないのが、なんだか穂波ちゃんらしいなと思った。

 キラキラ青春真っ盛りでも、彼女のことを受け入れられているのは、きっとそういうところ。


「私も勿体ない気がするな。ほら、ウチの吹奏楽部って強豪の枠にいるし。今の代は特に、いいとこ狙えそうって話だし」


 それはアヤセの意見。

 個人の力があって、チームにも力があって、結果が残せそうなら、挑戦しないのは勿体ないこと。

 理屈としてはよくわかる。


「やりたくないのなら、無理にやらないほうが良いと思うけど」


 そしてこれが私の意見。

 実力と環境があってなお、その道を選ばないという決断をした。

 彼女なりの高校デビューを果たそうとしたその覚悟を、私は無視できない。


「須和先輩から言われたこと、歌尾さんには伝えるんですよね?」


 念を押すように穂波ちゃんが言う。


「それはまあ、近いうちに」

「その時、私も一緒にいていいですか?」

「穂波ちゃんも?」

「聞いちゃったらもう、力になるしかないと思うんです」


 それはまあ、相談というていで巻き込んだ私たちの……というかアヤセの責任だ。

 宍戸さんとは、正直なところあまり上手く話ができるビジョンが見えないし、穂波ちゃんが間に入ってくれる分にはありがたい。

 すると、アヤセが空になった湯呑を置いて、私と穂波ちゃんとの肩を交互に叩いた。


「じゃあ、ここは会長と一年生にお任せするということで」

「は? まって、ここで放り投げるの?」

「あんまり大勢で押し掛けても圧迫面接みたいだろ」


 ぐうの音も出ない。先輩ふたりに友人まで押し掛けられたら、彼女が縮こまってしまいそうだ。


「まあ、直接じゃなければ手伝うからさ。スワンちゃんの方とか」


 それはそれで助かるけどさ。

 それからアヤセは、内緒話するみたいに顔を寄せて声をひそめた。


「ついでに歌尾と仲良くなっときな。ユリと一緒に遊びにもいくんだろ?」


 そう言われて、私は観念したように頷く。

 なんでこんな板挟みになっちゃったんだろ。

 考えることがいっぱいで、もう頭がパンクしそうだ。

 でもとにかく今は、やれるだけのことをやるしかない。

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