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5月9日 花いちもんめ

 ゴールデンウィークが明けた後の教室は、たっぷり遊んだらしい浮ついた感じと、ひたすらの倦怠感とが混ざりあって、独特のもったりとした空気に包まれていた。


 私はと言えば、なんだかいろんなことがありすぎて、まったく休めたような気がしない。少なくとも毒島さんとのことに関して、最後の最後で前向き(?)な前進があったのは救いだったと言えるだろう。


 それにしても勝負か。模試自体は、今後の進路の方向性にも大きく関わって来るし、私としても万全の準備で望むつもりだけれど、それが勝負となるとまた話は変わる。学年二位を越えるのは、なかなかの無理難題だ。


 それとなく視線を向けてみると、彼女は自分の席で本を読んでいた。布製のブックカバーに包まれた、サイズ的には文庫本。勝負を振っておいて読書とは……あれが強者の余裕というものか。なんだか憎らしさを通り越して、禍々しいオーラのようなものすら見える。魔王かな?


 勝負と言えば、ユリとの体力テストの勝負の罰ゲームをまだ果たしてないな。いうことをひとつ聞かなきゃいけないなんて、受ける側からしたらたまったものではないので、何か言われるまで黙ったままでいるつもりだけど。期間が開いたら開いただけ、内容がエスカレートされるのも困る。程よく、どうでもいい時に発散させてしまうのが一番だろう。問題は、私の方が少し、彼女と顔を合わせづらいことだけど。


「おーい、狩谷。客が来てるぞ」


 ぼんやりと考え事をしていたら、クラスメイトから名前を呼ばれた。もしかして噂をすれば?


 一年二年とユリもアヤセも同じクラスだった私は、なかなかこの、休み時間に他クラスの生徒に呼ばれるという経験をしたことがない。ホワイトデーの時に一回あったっけ。しかも毒島さんじゃなかったけ。


 そんなことを考えている間に待たせては悪いので、私は重い腰を上げて廊下へ向かう。するとそこには、見たことあるようなないような、少なくともユリじゃない誰かが私のことを待っていた。


「あれ……えっと……」


 戸惑いが言葉になって零れる。えっと、誰だっけ。確か、あれだ、吹奏楽部の。


「七組の須和です」

「スワさん」

「須和白羽」

「スワシロハさん」

「知ってる?」

「ああ、うん、知ってる。確か吹奏楽部の」


 一番上手い子。ちょいちょいチア部関連で、トランペット係として駆り出されてるのを見た記憶がある。そのたびに名前を覚えようと思って、結局覚えてなかったな。ごめん。


「それで、何か用事? 私を呼んだってことは、生徒会にご意見?」

「まあ、そうと言えばそう」


 彼女は、言葉を選ぶように少し考え込んでから、思いもよらない名前を口にした。


「宍戸歌尾さん」

「え?」

「いるよね」

「どこに?」

「生徒会」


 それは、何の、どういう確認なの?

 話が全く見えなくて、私はただ言葉の尻をあげ気味に答えるしかない。


「宍戸さんが何か?」

「欲しいの」

「ごめん、話が全然見えないから、イチから説明してもらっていい? できれば起承転結をハッキリさせて」

「転いる?」

「いや……面白味はべつになくても」


 なんか、凄く疲れる。ゴーイングマイウェイで話を振り回す、ユリとか姉とかとは、また違った意味での難解さ。初めて話したけど、いつもこんな感じなんだろうか。須和さんは、額に手を当てて、やれやれとため息をついた。やれやれなのは、こっちのほうだ。


「彼女、上手いの。――ックス。ものすごく。だから欲しい」


 なんか、耳を疑う単語が出てきたような気がしたんだけど。


「何が上手いって?」

「サックス」


 ああ、そう、サックス。うん。耳、疑って良かった。


「サクソフォンって呼ぶ派だった?」

「いや、どっちでもいいけど」

「そう」


 駄目だ。話が全く進まない。これは強引にでも、こっちから話題を転がさないといけないのかもしれない。


「ええと……要するに、宍戸さんを吹奏楽部に勧誘したいってこと?」


 すると、須和さんは静かに頷く。


「そういうこと。よろしくね」


 そうして、サラサラの髪をなびかせながら、満足げに去って行った。いったい何だったんだ今の。要点は理解したけど、話の脈絡は何ひとつ理解できないままだった。




「――という話を今朝したんだけど」


 放課後の生徒会で、当の本人にその話題を振ってみる。私に話を持ってきたということは、私から伝えて欲しいということなんだろう。わざわざ教室まで来てくれたのだし、伝えるだけ伝えることにした。


 今日は、部活動勢は全員それぞれの部活に行っていて、生徒会室には幽霊部員の私と、活動日が少ない料理愛好会の宍戸さんだけ。あんまり他人に聞かれたくない話のような気がしたので、非常に好都合だった。


 すると宍戸さんは、目に見えてうろたえる。


「あ……その……話したんですね、須和先輩と」


 あれを会話と呼べるのであればそうなるだろう。それにしても、宍戸さんも彼女のことは知っているようだ。少なくとも、全く知らない関係というわけではないようだ。


「なんでわざわざ私のところに来たんだろう」

「あの……ごめんなさい、たぶん私のせいです」

「宍戸さんの?」

「入学したときから勧誘されてて……でも私、吹奏楽部に入る気はなかったので。でも先輩、諦めずに会いに来てくれるから、そのうち私、隠れるようになっちゃって……」


 それで趣向を変えて、私のところに来たというわけか。だとしたら、もっとちゃんと説明してくれないと、私も協力しようがないのだけれど。


「中学は吹奏楽部だったの?」

「は、はい……まあ……」


 なんだか歯切れの悪い返事だった。須和さんの言葉の通りなら、演奏は上手いようだけど。それでも高校で続けないというのであれば、相応の理由があるのだろう。あまり踏み込まない方がいいのかもしれない。


「じゃあ、私からも『その気はない』って伝えとく。勧誘も諦めてくれたらいいんだけど」

「えっ……いいんですか?」


 宍戸さんは目をぱちくりさせて私を見た。


「やりたくないことを続けるのも、そのことを言われ続けるのも、いい気分じゃないだろうし」


 そういう気持ちは、私も分からないわけじゃない。私の場合はもっとスレてて、何を言われても流せるくらいの気持ちは持っているけど。一方で、宍戸さんの性格ならそうもいかないだろう。


「あの……すごく、助かります。ありがとうございます」


 珍しくちゃんと私の顔を見て、宍戸さんは何度も頭を下げた。


「あ、あと、このことは……」

「ああ、うん。須和さんが手あたり次第に声かけたらどうしようもないけど、少なくとも私から誰かに話すことはしないよ」

「ありがとうございます」


 彼女は心底安心した様子で、ほっと息をつく。穂波ちゃんのときはうまくいかなかったけど、はじめてちゃんと後輩の力になれたような気がする。今日は少しだけ気分が良かった。

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