家に人を招く機会は、高校に入ってからめっきり減った。
中学までならそもそも学区が同じだから、気軽に交流ができたものだけど。
高校に入ってからは学区の違いや、そもそも遠方から電車やバスで来る人も珍しくはないので、自然とそういうことはなくなる。
そもそも友達を家に連れてくるということ自体が、そこはかとなく恥ずかしい行為なのだけど。
遊ぶにしても、街の商業施設に出るのがほとんどだ。
だから、私が家に呼んだことがある(勝手にやって来るのも含む)のはユリとアヤセのふたりだけ。
そこに今日はもうひとり加わった。
「良かったんですか。私なんかがお邪魔しても」
毒島さんは居心地が悪いのか、正座で合わせた両の脚をもじもじと擦り合わせる。
スカートの端から覗いた膝小僧も、どこか赤らんでいるように見えた。
「前に呼んでもらったから、そのお返しってことで」
正直に話せば、抵抗がなかったわけじゃない。
でも、改めて向き合うためには腹の内をさらけ出すべきだと思ったから、私は彼女を家に呼んだ。
それほど時間を置かずに、母親が部屋にやってくる。
「星ちゃん、これ温かいお茶用意したから。冷たい方が良かったら言ってね」
「ありがとう。温かいので大丈夫……だよね?」
確認するように視線を向けると、毒島さんもつられて頷く。
「ありがとうございます、お母さま。いただきます」
「やだ、お母さまだって。それにしてもお人形さんみたいな子ね」
「勉強するから、用事済んだら出てって」
押しやるように母親を部屋から追い出して、静かになった部屋で大きく息をついた。
「ごめん、騒がしくて」
「いえ、賑やかなほうが私も落ち着きます」
そう言って彼女は、気を使ったように笑ってくれた。
とはいえ、お人形さんみたいと言った母親の気持ちはわからなくはない。
今日の毒島さんの服装は、よそ行きなのか、いつかのふりふりのワンピースだった。
いや、微妙に色味とかデザインが違うかな。
新しく卸したんだろうか。
そんなことを考えてる間に、また部屋の扉がノックされる。
「毒島さん、良かったら星ちゃんのアルバム見る? ここ置いとくから、勉強の息抜きにでも」
「何の息抜きか分かんないから持って帰って」
そう返したはずだけど、母親は扉越しに、部屋の外の廊下にドサドサと荷物を置いて去って行った。
「……ごめん」
居たたまれなくなって、もう一度謝っておく。
「いえ、なんというか……会長とはあまり似てないお母さまですね」
「あれの血は全部、姉の方に行ったから」
「ああ、なるほど……」
毒島さんは妙に納得した様子で頷いていた。
天野さんといい、なんでそれで納得されてしまうのか。
私は微妙に納得いかない。
毒島さんは、湯気の立つお茶を口に含んでから、視線を扉の外へ向ける。
「ところで、見ても良いですか?」
「何を?」
「アルバム」
「……それは後にしようか」
そんなことで時間を浪費するわけにはいかない。
アルバムは……あとで、トイレに行くと言って片付けておこう。
ちょっと残念そうな彼女の様子を見るに、残しておいたままでは、休憩がてら鑑賞会が始まりかねない。
私は気を取り直すつもりで、机の上に用意していたノートと参考書を、毒島さんの向かうローテーブルに移した。
「それで、どの教科から始める?」
「そうですね。時間をかけるのもなんですし、今日は本題からということでどうでしょう?」
私の問いに、毒島さんは考えるそぶりもなく、さらりと答える。
私は静かに息を飲んで、それから彼女の向かいに腰を下ろした。
「今日は勿体ぶらないんだ」
「こんなにあからさまなら、流石の私でも分かりますよ」
それはまあ仰る通りで。
誘い方も完全に意趣返しだったし、そもそも回りくどい根回しは得意じゃない。
だったら私も初めから腹を割って話そう。探り合いはしない。
今日は一切の、カッコつけは無しでいきたい。
「じゃあ、単刀直入に」
緊張からか、思わず私も正座になる。
背筋を正して手は膝の上に。
なんだか面接みたいだなと思ったけれど、ある意味でそれは正しい。
毒島さんの方は、先ほどよりはリラックスした様子でお茶をもうひと口含んだ。
「私たち、ちゃんと友達になれないかな」
「ちゃんと……というと?」
「何ていうか、今までみたいな宙ぶらりんな感じじゃなくって……私は毒島さんと仲良くしたいなと思ってる。アヤセとか、ユリみたいに」
「そうですね。ずっと、宙ぶらりんになっていました。誰かさんの天邪鬼のおかげで」
「それはそうだね」
確かに、関係の明文化を避けていたのは私の方だ。
なんとなくカッコがつかないから。
理由を挙げるならそれだけのこと。それだけのことで、どれだけ彼女を傷つけたのか分からない。
それを償うことはできないし、償えるとは思っていない。
そんな私にできるのは、これからを変えていく努力をすることだけだ。
「毒島さん、私に嫉妬してるって言ってたよね。でもあれ、私にはあんまりピンとこなかった。私は基本的に、自分に自信がないから。そんな嫉妬されるような羨ましい何かを持っているなんて、考えたこともなかった」
「いいえ、持ってますよ、会長は。私の持ってないものを全部。確かに」
毒島さんは、ハッキリと私の言葉を否定した。
「やりたいようにやって、生きたいように生きて、ちゃらんぽらんだし、ふざけてるし。それなのに、他人を惹きつける何かがある。先代会長も、アヤセさんも、ユリさんも……あなたの周りには、いつも誰かがいる」
「それは、私自身もよく分からないけど……ありがたいことだとは思う」
「そういうとこですよ。そういう無自覚なのがずるいし、嫉妬するし、憧れるんです」
「そういうものかな?」
半信半疑で尋ね返すと、彼女は「そういうものです」と突っぱねるようにいう。
「私は規律正しく、正々堂々と生きることが美徳だと信じて生きてきました。でもそれじゃ……というより、それだけでは人はついてこない。それを会長選挙で嫌というほど思い知らされました」
「あれはついてくるかどうかって言うより、在校生のアホなノリを引きずっただけだと思うけど」
「会長を推薦人として惹きつけたというだけで、十分すぎるほど見せつけられましたよ」
「それは……」
それこそ、そういうんじゃないんだけど。
彼女には話せないでいた、私が会長選挙に出た理由。
それを教えてしまったとき、間違いなく軽蔑されてしまうと思っていたから。
でも裏を返せば、それこそが私の一番弱いところ。さらけ出すならそこしかなかった。
「勝負だったんだ」
「勝負? 何のですか?」
「先代と私との勝負。私が会長選挙に出て当選するかどうか。勝ったら彼女に、私の願いをひとつ聞いてもらえることになってた」
それを聞いて、毒島さんは何度か目をぱちくりさせる。
それから、うーんと唸るように考え込んで、やがて不機嫌そうに私を見た。
「……それでなんで、先代会長があなたを手伝うことになるんですか?」
それ……わかんないよね。
私もわかんない。
「それは、ほら……あのひとアホだから」
「主席で卒業した人になんてこと言うんですか」
「そういう、勉強のできるできないとかじゃなくって……また違った方面のアホさというか」
そうとしか言いようがない気がする。
どんなに優れた人間でも、この学校に通って染まるとはそういうことだ。
それを色濃く示していたのが、あの一個上の世代の生徒会だと思う。
やがて毒島さんは、大きな、それは大きなため息をついてみせた。
「もしかして……会長がずっと私にどこかよそよそしかったのって、そのせいだったんですか? 真面目に会長になりたいわけじゃなくって、遊びの勝負で立候補して、そのうえ勝ってしまったからって?」
「遊びじゃないよ。いや……毒島さんから見たら十分に遊びかもしれないけど、私にとっては大事なことだった」
そのくせ選挙運動はたいして何もしてなかった。
真剣だけど、勝てるとは思ってなかった。
無謀な賭け。
だからこそ勝負は成立した。
――私が選挙で勝ったら、在学中に必ず、ユリに返事をしてあげて。
そのためなら、面倒な肩書を背負うことになっても構わない。
「なら、良いんじゃないですか」
すると毒島さんは、少し拗ねたように唇を尖らせて、そう言った。
「良くないでしょ。それで毒島さん、会長になれる機会を棒に振ったわけだし」
「それは……まあ確かに、悔しいですけど。でもそれも含めて、ちゃんと勝負して、私は敗けたんです。ルールに則った結果に文句はありません」
そうか。
そうだね。
彼女はそういうひとだった。
「むしろ、それを話したことで私が気分を害すると思われていた方が心外です。確かにちょっとは憤りも感じますけど、それは負けてしまった自分自身に対してのことです。あなたを怒るとしたら、そんな反省の機会を半年以上も、私から奪い続けていたことに対してですよ」
「それは、その、ごめん」
ただ謝ることしかできない。
それくらい一方的な私の責。
軽蔑でも、罵りでも、なんでも受ける。
その代わりに私は、彼女を見つめる。
「私はそうやって、会長になる覚悟もなくて会長になったから。だからこの生徒会には毒島さんの力がいる」
「生徒会のために、あなたは頭を下げるんですか?」
「いや、そうじゃなくって……」
正しい言葉を引き出すことに関して、やっぱり、彼女の右に出る者はいない。
正々堂々な生き方をしているからこそ、言葉のひとつひとつには重みがある。
軽はずみで、煙に巻く言葉しか口にできない自分とは大違い。
でも、それをましいと彼女が言うのなら、私自身もまた彼女を羨ましく思っている。
これもきっと憧れなんだ。
「……心炉って呼んでも良いかな」
ようやく絞り出したのは、そんな言葉。
どんなに責められようと、どんなに自分を変えようと思っても、やっぱりストレートに言うことは私にはできない。
だから精一杯、ギリギリのラインでの誠意を表す意味で、私はそう彼女に尋ねた。
毒島さんは、今度は少し驚いた様子で押し黙る。
でも考えるような時間はなく、すぐににっこりと、笑顔を浮かべてみせた。
「お断りします」
「……は?」
あれ、今、聞き間違えたかな。
断るって……そう言われた?
「会長が私に引け目を感じていたのはよくわかりました。そして、それを伝えてくださったのも嬉しいです。だから、ここはお断りします」
「なんで?」
私、すっごく頑張ったつもりなんだけど?
それなのに毒島さんは、どこか得意げな顔になって自分の胸に手を置いた。
「私、いっつも会長に振り回されてばかりでしたから。今度は少し、私が振り回してみたいなって、そう思ったんです。それくらい許されても良いじゃないですか」
「えっ……いや、それはまあ……でも……」
否定したい。
でも言えない。
たぶん何を言っても、丸め込まれてしまう自信がある。
そして追い打つように、彼女は語る。
「会長、私のこの間の学力考査の結果、知ってます?」
「いや……知らないけど」
「学年二位を取らせていただきました。会長選挙と同じく、相変わらず一位には及びませんでしたが。ところで会長、何位でした?」
「じ……十一位です」
「そうですか。残念でしたね。でも私は、どこかの誰かと違って春休み中も勉強する時間だけはありましたので、どうやらそれが実ったようです」
ザクザクと、彼女の言葉は胸の内の痛いところだけを的確に突いていった。
確かに今年は受験だなんだと言っておきながら、旅行やらなんやらにうつつを抜かしていたのは私自身の落ち度だ。
けど二位って……あれ、毒島さん、二年の終わりの時は私と同じくらいの大学目指してたよね。
これって私がヤバいのか。
それとも彼女がすごいのか。
その両方か。
「なので勝負しましょう」
そして、トドメと言わんばかりに彼女はそう言った。
「勝負?」
「会長は勝負が好きなようなので。あなたと一緒に過ごして芽生えた、私の天邪鬼がそう囁くんです」
別に、そういうわけじゃないんだけど。
でも彼女は、どこか楽しそうにしながら言葉を続けた。
「来月にある模試の結果で勝負をして、会長が勝ったら私、あなたの申し出を受け入れます」
「毒島さんが勝ったら?」
「その時はそうですね……会長の席を私にください」
冗談めかすように、彼女はお決まりのセリフを口にする。
結局それかとも思ったけど、それは私と彼女にとってのスタート地点。
いや、スタート地点に立つための通過儀礼のようなものなのかもしれない。
そしたら、ようやく地に足ついたような気持になって、私はいつの間にか彼女の提案にうなずいていた。
「わかった。しようか勝負」
「はい。これは先代とあなたとのじゃなくて、私とあなたの勝負です」
雲行きは怪しいけれど、なんだか調子はいつもの感じに戻ってきたような気がする。
少なくとも一歩前進……ではあるんだろうか。
だけど、これは選挙の時以上に骨が折れそうだ。