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5月7日 私、強くなりたいです

 空のコップを手に、私はパーティルームを後にした。

 背中越しに聞こえていた金谷さんと銀条さんのアイドルソングのデュエットが、重く分厚い防音扉の向こうに押し込まれる。


 生徒総会の打ち上げは、学校から近い中心街のカラオケハウスではなく、駅前の店舗で行われることになった。

 遠方から来ている宍戸さんの交通の便をとってのことだった。

 予約は二年生が行ってくれたので完全にお任せだったけれど、軽食付きのデイフリータイムと飲み放題込みのパーティーコース。

 料理は無くてもいいんじゃないかなとも思ったけれど、これだけ大人数でカラオケに来ると、待ち時間が長くなって手持無沙汰になる。

 そういう間につまめる料理があるのは、実際問題としてありがたかった。


 ドリンクバーでウーロン茶のおかわりを注いで、傍らのベンチに腰掛ける。

 密閉空間に大人数で、長時間の爆音ミュージックつき。

 流石に少し疲れが出ていた。


「あれ。先輩、サボりですか?」


 気づくと、傍らに穂波ちゃんが立っていた。

 空っぽのコップを持っているところを見ると、飲み物を取りに来たところらしい。


「サボりじゃなくて、休んでるんだよ。大人数でカラオケなんて初めてだから」

「そうですか。ごめんなさい」


 穂波ちゃんは相変わらずのポーカーフェイスで、氷を詰めたコップにアイスココアを注ぐ。

 それから、ベンチの私の隣に腰を下ろした。


「戻らなくていいの?」

「私も少し疲れたので休憩です」

「そう」


 ふたり並んで、静かに飲み物を啜る。

 そうしてどちらからともなく、小さなため息をついた。


「穂波ちゃん、山口百恵とかどこで覚えたの?」

「お爺ちゃんたちのカセットテープで。地元で歌うと、みんな喜ぶんです」

「お爺ちゃんたちとカラオケ行くの……?」


 それはどういう集まりなんだ。

 状況が想像できなくって、なんでかカラオケスナックで歌う彼女の姿をイメージしてしまった。


「町内会の寄り合いとかです。山奥の集落なので、集まるのはお爺ちゃんお婆ちゃんばっかりで。小さい時に真似して歌ってたらみんな喜んでくれたので」

「それからレパートリーを増やしたってわけだ」

「そういう星先輩も、松田聖子とか歌うんですね」

「私の場合は単純に歌いやすいからだけど」


 私がカラオケに求めるのは、自分の得意な音程で気持ちよく歌えるかどうかだ。

 だからBPMの高いアゲアゲな曲よりも、ゆったりとしたバラードとか歌謡曲のほうが合っている。

 そうして行きついたのが松田聖子と井上陽水。

 井上陽水は、母親の趣味を引き継いだのもあるけれど。


「でも、みんなでカラオケって楽しいですね。地元でカラオケと言ったら旅館の宴会場だったし、同世代の子もいなかったので」


 そう語る穂波ちゃんの横顔は、確かに嬉しそうに見えた。


「そう言えば、私の友達と会うって話。あれ来週の日曜日でセッティングするつもりだから、予定あけといてね。明日じゃなくって来週。あと宍戸さんにも伝えといて」

「わかりました。それとひとつ、星先輩に用事あるの思い出しました」

「なに?」


 全く心当たりのない私に、彼女は濁りの無い真っすぐな瞳を向けて言う。


「部活、来ないんですか?」


 ああ、その話か。

 遅かれ早かれとは思っていたけど、思ったよりは早かったな。


「道場の名札を見ました。三年生の先輩にも確認して。というか薄々気づいてましたけど、狩谷明さんの妹さんだったんですね」

「所属だけして部活に行かない人なんて、ウチの学校じゃ珍しくないよ。皆部活制度で所属だけはしなくちゃいけないから」

「でも最後のインターハイ予選なのに」


 最後の大会。部活が高校生にとってのひとつの象徴だとしたら、参加しないという選択肢が普通は存在しないのだろう。

 それがチーム競技なら、メンバー入りできるかどうかは別として、そうなるように力を尽くす。

 それが青春というもの。


「私には生徒会があるから」


 だとしたら、私の答えは至極単純なものだった。

 得たくて得た場所ではないけれど、任期いっぱいまで尽くす意義はあるのかもしれない。

 穂波ちゃんは私の答えに怒ったり責めたりすることはなく、ただただ残念そうにしていた。


「稽古、つけて貰いたかったんですが。残念です」

「他人に稽古つけられるほどの実力ないけど。そもそも穂波ちゃん、私より強そうだし」


 佇まいから何となくわかる。彼女は姉と同じ側の人間だ。

 迷いなく真っすぐ、全力で自分の好きなことに打ち込んで、結果を出すタイプの強いひと。


「そんなことないです。中学の最後の大会も県ベストエイト止まりで、全国には行けませんでしたし」

「いや、十分強いでしょそれ」


 それでも彼女はあくまで否定して、首を横に振った。


「私、強くなりたいです。そのために寮生活までして街の学校に入学したんです。いろんな人と一緒に練習するのが、一番の近道ですから」

「やっぱり穂波ちゃんって、剣道馬鹿だったか」

「否定はしませんけど、そう言われると失礼しちゃいます」


 そうこうしている間に、いつの間にかコップの中身が空になっていた。

 穂波ちゃんはおかわりのココアを注ぐと、そのまま小さく会釈する。


「それじゃあ、私は戻ります。星先輩もサボってないで、もっと聖子ちゃん聞かせてください」

「分かった、すぐいくよ」


 その背中を見送って、私もお茶のおかわりをコップに注いだ。

 穂波ちゃんには申し訳ないけど部活には行かない。

 それだけはもう決めたことだ。

 勉強のためにバイトも辞めるのに、代わりに部活に行っていたら何の意味のないから。


 私もいい加減、部屋に戻ろう。

 そう思って歩き出した時、通路で新たな人影と鉢合わせた。

 ちょうど部屋から出てきたところらしい、毒島さんだった。


 顔を見合わせて、どちらからともなく立ち止まる。

 するとすぐに、彼女はにっこりと笑みを浮かべた。


「しばらく姿が見えませんでしたけど、何してたんですか?」

「ああ……ちょっと疲れたから、外で休んでただけ。穂波ちゃんも一緒だったけど」

「八乙女さん……? そう言えば、彼女もしばらく席を外してましたね」


 あの件以来、毒島さんとは初めて顔を合わせた。

 互いに気まずいはずだけれど、店の前で集合した時から、彼女は何事もなかったかのように接してくれた。

 それは、あの日の彼女の去り際の言葉通り。

 彼女は、一度口にしたことを意地でも守る人間だ。


「毒島さんはどこに?」

「お手洗いですよ。それとも、私にのとこにもついてくるつもりですか?」

「そういうわけじゃないけど」

「では、これで」

「あっ……ちょっと待って」


 立ち去ろうとしたその背中を思わず呼び止める。

 このままずっと彼女が「いつも通り」だとしたら、きっとチャンスはそうそうない。

 覚悟を決めるなら、今しかないと思った。


「毒島さんって、明日何か予定ある?」


 私の質問に、彼女は驚いたように目を丸くして、それから警戒するように眉をひそめる。


「特になにもないですが」

「だったら勉強会をしない? ふたりで」


 機会を逃がさないよう、真っすぐに彼女の瞳を見て言う。

 穂波ちゃん直伝の純心殺法。

 それは、真面目な人間ほどよくきく伝家の宝刀だ。


「は、はあ」


 毒島さんは半ば気圧されるようにして、ぎこちなく頷いてくれた。

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