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4月30日 コーヒーとパンケーキのカンケイ

 この日、バイトあがりの私は、バイト先の社員でバリスタの天野さんと、街はずれの喫茶店にやってきていた。

 前回同様特に約束をしていたわけではなかったけれど、帰りがけに誘われて、かつ時間もまだ夕方だったので、お茶の一杯くらい良いかとつき合うことにした。


「私、ここのトラジャコーヒーが好きなの」


 コーヒーは好きだけどもっぱらインスタントばかりで、豆の違いなんでよく知らない私は、彼女の薦めるままに同じものを注文した。

 薄いカップに入って出てきたコーヒーは、これまたコーヒーに詳しくない私の語彙力では正確に伝えるのは難しいけれど、苦みよりも酸味と香ばしが強く、甘くないココアを飲んでいるようだった。

 これならブラックのままでも飲めそうだ。


「狩谷さん、ブラックいけるんだ。コーヒー好き?」

「嫌いだったら、あそこでバイトしてないですね」

「それもそうだね」


 とはいえ、ウチの店でこういったシンプルなドリップコーヒーが出ることは稀だ。

 メニューにないわけではないけど扱いは小さいし、基本的にはお客もマキアートだのフラペチーノだの、そういうのを求めてやってくる。

 こういう純喫茶と比べれば、大衆向けで邪道なお店とも言える。


「すみません、このパンケーキひとつください。取り皿も」


 ようやく注文を決めた天野さんが、バイトらしき店員さんにオーダーを伝える。

 それから改めて目の前のコーヒーと向き合って、ゆっくりと味と香りを楽しんでいるようだった。


「天野さん、なんでウチの社員になったんですか?」

「それはどういう質問なのかな?」


 天野さんは苦笑しながら、手にしていたカップをソーサーへ戻す。

 私は、言葉が足りなかったかなと反省して、もう少し詳細に意図を語った。


「そもそも、なんで喫茶店で働いてるのかも謎ですけど。それにしてもウチみたいな騒がしいとこじゃなくって、こういうとこのが好きなんじゃないかなって」


 なんだっけ、音楽の教師免許持ってるんだっけ。

 だったらそのまま先生になれば良かったのに。

 取った資格を使わないのは、なんだかもったいないような気がする。


「うーん、それは働くのかお客なのかの違いかなあ」

「働くかお客か?」

「私ね、働くなら賑やかなところの方が良いの。なんだか自分も楽しくなってくるから。でも、オフでゆっくりするならこういうとこの方が好き。そういう違いかな?」


 わかるような、わからないような。

 いまいちピンとこないのは、私がどっちにしても静かなところが好きだからか、もしくは若造だからなのかもしれない。


「じゃあ、狩谷さんはなんでウチで働こうと思ったの?」

「お金が欲しかったからですかね」

「何かお金のかかる趣味でもしてるの?」

「そういうわけではないですけど」


 お金が欲しかったから――というのは、まんまバイトの面接のときに出した志望動機だ。

 そのストレートさが面接担当だった店舗マネージャーに妙に気に入られて、採用してもらえることになった。

 天野さんは、くすりと笑みを浮かべる。


「じゃあ、お金が欲しいってのはウソなんだ」

「ウソって程ではないです……お金が欲しくない人間は、少なくとも日本にはいないと思いますし」

「でも、それはついでと。じゃあ、ホントのところは?」

「社会勉強ということで」

「ふうん?」


 彼女は納得してない様子だったが、店員が持ってきたパンケーキのプレートで会話は強制的に遮られた。


「あっ、狩谷さんも食べて食べて。ここのちょっと量があるから、ひとりだとなかなか頼みにくいんだよね」

「じゃあ、少しだけ」


 取り皿に手を伸ばすと、先に天野さんに取り上げられてしまう。

 彼女は、その皿にパンケーキを半分乗せると、私の方へと差し出した。

 私はお礼を言ってそれを受け取る。


 角切りのカットフルーツが大量に乗ったパンケーキは、生地もクリームも甘さ控えめだったけど、ブラックのコーヒーと合わせるにはちょうどよかった。

 天野さんは「ひとりで全部は……」と言っていたけれど、このくらいの甘さだったらぺろっと食べてしまいそうだ。

 カロリーが怖いので挑戦はしないけど。


「美味しいです」

「良かった。私も久しぶりに食べたけど、やっぱりおいしい」


 天野さんも、残りのパンケーキを美味しそうに頬張る。

 そんな姿だけ見ていたら、なんだか大人も女子高生もそんなに変わんないような気がする。

 同時にふと、ひとつの疑問も浮かんだ。


「前は誰と来たんですか?」

「え?」

「いや、久しぶりに食べたって言ってたので」

「ああ、なるほどね」


 彼女はナプキンで口元のクリームをぬぐって、一息つくようにコーヒーをすする。

 それから、にやついた視線を私に向ける。


「狩谷さん、コイバナ苦手でしょ」


 なんだって。

 失礼な。

 これでも花の現役女子高生だぞ。

 コイバナのひとつやふたつ……と思ったけど、ふたつ目が思い浮かばなかった。

 私が知ってるのはひとつだけ。

 私が関わってるのもひとつだけ。

 そしてそれは、誰かに語れるものでもない。


 あれ……そう考えたら私、まともにコイバナしたことないな。


「図星って顔してる」

「してないです。表情筋死んでるので」

「ほんとかなあ」


 天野さんが、詰め寄るように顔を覗き込んでくる。

 私は意地でもポーカーフェイスを貫いて、すまし顔でパンケーキを食べきった。


「それで、私の質問に答えて貰ってないんですけど」

「そう言えばそうだったね」


 天野さんは思い出したように手を打つ。

 なんだか白々しい。

 彼女はたっぷりとためを作ってから、小さく苦笑した。


「残念だけど、狩谷さんが思ってるようなことは何もないよ。ひとりで来て、あっぷあっぷ言いながら頑張って全部食べただけ」

「なんだ」


 つまんないの。

 私の周りって、ほんと浮いた話がないな。


「それは安心したって顔?」

「最上級の落胆の顔です」

「難しいね……もうちょっと表情筋鍛えようか?」

「その辺のスキルは全部、生前に姉に吸い取られてるので」

「ああー」


 なぜか納得されてしまった。

 渾身の冗談のつもりだったのに。


「誰かとシェアしないと食べきれないのはほんとだし、来る相手がいないのもほんと。だから今日は狩谷さんと来れてよかった」


 そう言って彼女が嬉しそうに笑うので、私はそれ以上、特に追及はしなかった。


「他にも食べてみたいけど、ひとりだときついかなーってお店いっぱいあるんだよね」

「ドカ盛り好きなんですか」

「そんな事ないけど。単純に美味しそうだなーって。次はどれにしようかな?」

「私に拒否権はないんですかね」

「選択権ならあるよ。一緒に選ぼ?」


 彼女がスマホの画面を私の方に向ける。

 そこには、いろんなお店のアカウントをフォローした、彼女のSNSのタイムラインが映し出されていた。

 近場から、ちょっと遠いところまで。

 こんだけ色んなお店があったのかと、普段何気なく見ている街の風景が一新された気分だった。


「希望はないのでお任せします。というか私、あと一ヶ月でバイト終わりですし」

「じゃあ、予定も合わせやすくなるね!」


 その反応は、私の期待してたものと全くの正反対だった。

 まあ、いっか。美味しいものがタダで食べられるのは、悪い気はしない。

 コイバナが下手くそだって言われたばっかりだし、少しはこういうオトナな遊びを知っておくのも後学のためになりそうだ。

 問題は彼女から、学べることがあるかどうかという話だけれど……。

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