放課後のホームルームをフケて、私は真っ先に生徒会室へと向かった。
アヤセと毒島さん、それに二年生のふたりは今、各クラスのアンケートの記入を待って、回収を行っている。
付け焼刃で何とかまとめた『南高生に十の質問』は、無事に上級生の各クラスに配ることができた。
今日の活動は結果のまとめとなるけれど、それが一番の重労働だ。
総勢五〇〇人以上の結果を精査しないといけない。
流石に骨が折れるので、毒島さんの提案で、いくつか選択式の設問も用意することにした。
何も考えずに集計するだけでいいというのは、気持ち的にも楽になる。
回答者の負担軽減にも繋がるだろう。
そんなアンケートの回収を待っている間、私には生徒総会で行う会長挨拶の原稿作業が待っていた。
ついこの間、入学式で新入生向けの挨拶をしたばかりだけれど、今回は全校生徒に向けた新年度挨拶となる。
気持ち的には、入学式の時よりもずっと軽い。
生徒総会に保護者はいないし、本校の伝統として、会議中の教師陣の講堂への出入りも禁止だからだ。
生徒による生徒のための、完全なる閉ざされた総会。
もちろん議題とその結果は、最後に学校側に提出する必要はあるけれど。
ざっくりとした内容は、昨日の夜に家で宿題としてまとめてきた。
だからPCが開いているうちに清書してしまおうというわけだ。
どうせ一番乗りだろうとたかを括って、ノックもせずに生徒会室に足を踏み入れたら、中にいた先客が文字通り飛び上がって驚いていた。
「かっ、会長さん……でしたか。びっくりした……」
宍戸さんが長テーブルの一席に腰かけて、そわそわと身を屈めていた。
「ごめん。誰もいないと思ってたから」
「いえ……こっちこそ、開いてたので勝手に入っちゃって……」
「役員なんだし、それは気にしなくてもいいけど」
挨拶もそこそこに、鍵付きの資料棚からPCを一台取り出して、自分のデスクに持って行く。
ノートタイプの古いPCは、立ち上げに多少の時間がかかる。
その間に、手書きでまとめた挨拶の草案やら何やらを、鞄から取り出して空いたところに並べた。
「あ、あのっ」
「うん?」
声を掛けられて、私は宍戸さんの方へ視線をあげた。
「穂波ちゃん、今日は部活のほうに顔を出すので、遅れます……と、伝言を」
「なるほど、そういうこと」
それで今日は、ひとりだったというわけだ。
一年生だし、部活も始まったばかりだし、そっちを優先にしてくれるのは大いに結構だ。
むしろ昨日はよく来てくれたねと、感謝したいくらい。
「宍戸さんは、部活は大丈夫なの?」
「は、はい。生徒会のことを先輩たちに話したら、じゃあ顔合わせ兼ねた最初の活動はGWでやろうって話にまとめてくれて……なので、今週は全部空いてます」
「助かるよ。今日も総会資料作りの補助に入ってもらうつもり。毒島さん……ああ、副会長ね。彼女が手を付けてた分が昨日で終わってるから、印刷してみて、誤字脱字とかのチェックをお願いできれば」
「わかりました」
「アヤセ……は、狼森書記のことね。彼女の分も、今日の早いうちに終わると思うから、そうしたらそっちのチェックもお願い。たぶん副会長のはすぐ済むだろうけど、書記の方のは苦戦するかも」
「そう、なんですか……?」
宍戸さんが小首をかしげた。
毒島さんはタイピングは得意なようだけど、アヤセはそれほどではない。
彼女の専売特許は、言わずもがな手書きだ。
「会長さんは、今は何をされてるんですか……?」
「私は、総会での挨拶の原稿作り。だから、みんなが来るまでは待機しててもらえるかな」
「は、はい……」
それからしばらく、部屋の中に乾いたタイピング音だけが響く。
書くことはもう決まっているので、原稿の作成で詰まったりするようなことはない。
むしろ、一字一句完全な原稿を用意しないといけない入学式の挨拶と違って、話す順番と要点をリストにまとめた、箇条書きのようなもので十分だ。
もっとも、完全原稿を準備したところで、途中から脱線を始めた女がここにいるけれど。
この場合、敵になるのはネタの枯渇よりも、単純なタイプ疲れ。
最近はとかく集中力が続かない私は、ものの一〇分程度で画面から目を放して、大きく背伸びをした。
ひと息入れるついでに、ふと宍戸さんに視線が向かう。
彼女は、先ほどそうしていたのと全く同じ格好で、そわそわと肩を揺らしていた。
「宿題とか、何か好きなことしてていいよ」
見るに見かねて声をかける。
彼女は、はっとして振り向いた。
「そ、そうですよね……ありがとうございます。こういう時、どうしたらいいのか分からなくって……」
「それは少しわかるかも」
半端な空き時間、それもいつまで空いてるのかもわからない時間って、何をしたらいいのかもわからなくなる。
そういう時間を上手に使える人が、受験でも、社会に出てからでも、きっと強いんだろうな。
「宍戸さんって、どうして生徒会に入ろうと思ったの?」
場繋ぎ程度に、そんな質問を投げかけてみる。
宍戸さんは困ったみたいに、眉を寄せた。
「えっと……」
それはおそらく、戸惑いというよりは躊躇い。
だから、彼女がぎゅっと握りしめた拳も、大きく吸い込んだ息も、たぶん覚悟を決めるためのものだと思った。
「高校生になったら……今まで、やったことがないことをやってみようと思ったんです。部活も、それ以外のことも」
「じゃあ、料理愛好会も?」
「私……今まであんまり料理ってしたことがなくって」
宍戸さんは、恥ずかしそうに頬を染めて言った。
「気にすることないよ。私もそんなに得意じゃないし。なら、生徒会もその一環ってわけだ」
私なりにそれで納得がいっていたつもりだったけど、彼女はふるふると首を横に振る。
「生徒会は……その、はじめから入りたいって思ってたんです」
「なんでまた」
「覚えてないかもしれませんけど、歌尾……じゃなくって、わたし、会長さんたちに助けて貰ったことがあるんです」
「どういうこと?」
申し訳ないけど、全く心当たりがない。
あと「たち」ってなに。
そんな私の心中を察してか、彼女はほんのりと笑顔を浮かべた。
「受験の日のお昼に、受験票を忘れてしまったわたしを、会長とユリ先輩……でしたっけ。おふたりが、助けてくれて」
そこまで言われて、ようやくひとつ思い当たる節があった。
確かに高校受験の当日、そんなトラブルがあった気がする。
後輩ちゃんに呼び出されて、そこにユリがいて、あの時に膝を抱えて泣いていたのが――
「そっか、鎌倉ちゃん」
「鎌倉……?」
「ああ、ごめん、こっちの話」
そっか、宍戸さんってあの時の受験生だったのか。
「悪いけど、完全に忘れてた……それよりも、入学おめでとうございます?」
「い、いえ……こちらこそ、ありがとうございました。本当に。おふたりがいなかったらわたし、今ここにいなかったかもしれません……」
それは、記憶を美化しすぎじゃないかなと思うけど……なんだか嬉しそうな顔をしていたので、口を挟むのはやめておいた。
たぶん、私たちが対応しなくたって、同じような対応が行われて、同じような結果にはなっていただろう。
だから、受験に合格できたのは、純粋に彼女が勉強を頑張った成果だと私は思う。
「あの時の会長さんたちの姿を見て、わたし、この学校に通いたいなって……心からそう思ったんです。それで、後から生徒会の方だって知って、興味を持って……」
なんだか、いろんなことに合点がいった。
ユリのことを役員だと勘違いしていたのも、きっとそのせい。
あの時あそこにいた人間全員が生徒会だと思ってしまったんだろう。
実際、ユリ以外は生徒会の人間だったし、無理もない。
「そう思って生徒会に入ってくれたなら、素直に嬉しいよ」
私は言葉の通りに、素直な気持ちでそう答えた。
「わたし、見ての通り気が小さくて、引っ込み思案で……でも生徒会なら誰かの役に立てるかもって……だから頑張りたい、です」
それがおそらく、宍戸さんにとっての高校デビューで、初心表明。
私は快くそれを受け入れる。
「あの、それで……できればいつか、ユリ先輩にも直接お礼がしたくって」
「それくらいなら話通しとくよ。あいつも、あの時の受験生が合格したって知ったら喜ぶと思うし」
「あっ……ありがとうございます!」
宍戸さんは今日一番――いや、今までで一番嬉しそうな笑顔を浮かべた。
穂波ちゃんの後ろにくっついているだけの印象の彼女だったが、今日はほんの少しだけど、彼女自身の言葉に触れることができたような気がした。