体育館が、色とりどりのユニフォームで溢れかえる。
とは言ってもその大半は青を基調としたもので、それは本校のメインカラーであるコバルトブルーにあやかっている。
バスケコート二面分の体育館には、生徒会室でも使われている長テーブルが列を作って並んでいて、それぞれの部がチラシなり、部活で使う道具なり、はたまた作品なりを並べて、個性的なブースを設営していた。
新入生も在校生も楽しみにしているであろう部活動オリエンテーションは、講堂での簡易的な説明会を経て、ここ体育館でメインの勧誘合戦が行われている。
「バスケットボール部でーす! 今年度は黄金世代です! 一緒に全国行きましょう!」
「高校生と言えばテニス! 硬式テニス同好会でーす! 来年からは部への昇格狙ってます!」
「同好会じゃなくて、こっちは正式な部! 軟式テニスをよろしくー!」
運動部の熱烈な縄張り争いは、体育館入ってすぐの目抜き通りブースが特に熾烈だった。
先月の入試ボランティアに参加して、抽選により権利を獲得した選ばれし部活たち。
そこから奥に向かうにつれて新入生の客足が少なく、人気のないエリアとなっていく。
文芸部や写真部など数名の精鋭で構成されているような部活や、美術部みたいに好きなら何も言わなくても入部するだろうという部活。
吹奏楽部などのある程度の組織的な入部が期待できる部活など、そもそも新入生獲得に躍起になっていない文化部系の多くが、それぞれの世界を展示しながら優雅なひと時を過ごしていた。
とりわけ美術部や吹奏楽部のようなビジュアル要素の強い部活は、パフォーマンススペースを確保する意味も込めて、区画管理がずさんな不人気スペースを好んで選ぶ風習もある。
ライブドローイングや、短い演奏会など。他の部の邪魔にならない程度なら、アピール方法は自由としている。
そんな部活動オリエンテーションの最奥、体育館の隅の隅にあるのが、運営本部こと生徒会の待機ブースである。
勧誘のためではなく、入部の押し売りをするような不届き者がいないかどうかの監督が今日のお仕事。
本当なら、生徒会も人手不足解消のための勧誘をしたいところだけれど、そこは部や同好会ではない以上、今日は運営役に徹するのみだ。
「いやあ、盛況ですなあ」
ブースでぼんやりと会場を眺めていたら、ユリがぱたぱたと歩み寄ってきた。
コバルトブルーのチアユニフォームを身にまとい、黄色のラメ入りぽんぽんも装着。
フル装備のチアガールスタイルの彼女を生で見たのは、何ヶ月ぶりのことだろうか。
「ヒマしてていいの? 勧誘は?」
テーブルに頬杖をついて、完全にだらけ切った私に、ユリはぽんぽんを振り上げながらポーズを取る。
「あたしがいると話が脱線してしょうがないからって、敵情視察に出たの!」
ようはお払い箱にされたのか。
ご愁傷様だ。
しかし華やかなチアの衣装は、そこに居るだけで目をひくので、ぶらぶらさせておくだけでも十分な宣伝になるのかもしれない。
「で、どうなの。チア部の勧誘状況は」
「例年通りって感じかなあ。練習厳しいから、何人か辞めるのを考えても、十人くらい入ってくれたら嬉しいなって感じ」
「ふうん、そういうもん」
もうちょっと勧誘に躍起になっているかと思ったけれど、どうやら違うらしい。
思っていたより、少人数を手厚く育て上げているのかもしれない。
「チアなんて、ほとんどみんなはじめてだしね。たまに、元新体操部の子が入ってくるくらいかな? それこそ、新体操部と取り合いになるんだけど!」
言いながら、ユリはビシッビシッと、次々にポーズを変えていった。
キビキビとした所作はさることながら、どんな体制であっても人形みたいにびったりとポーズが固定される。
昨日も散々見せつけられたけれど、すさまじい体幹だ。
「てか、他の生徒会の子たちは?」
「毒島さんと後輩ちゃんズは、説明会の後片付けで、まだ講堂。アヤセは書道部のブースでパフォーマンスやってたよ」
見回りの折、私は初めて彼女の書というものを見た。
床に敷いた巨大な半紙に、杖みたいな大きな筆を手に持って、日本舞踊でも舞うかのように文字を記す。
剣道の道着にも似た袴姿の彼女は、いつもと違って凛々しさと覇気を放っていた。
「そっかー。じゃあ星しかいないけど、ヒマだし、生徒会応援してあげるね」
おもむろにそんなことを言い始めたかと思うと、しゃんしゃんさらさらと、ぽんぽんが揺れる。
「コバルトエール! フレッフレッ、生徒会! GO! GO! 生徒会! フラーイハイッ!」
「飛び立たなくていいんだけど」
「ボーイズビーアンビシャース! ボーイズビーアンビシャース!」
「ガールズだし、それ他校の校歌……」
そこまで口にして、なんだか面倒になった私は、そのままテーブルにぐでーっとつっぷした。
「どしたの星。今日はなんだか元気がないね」
「……学力考査の結果が思ったより悪かった」
「ありゃ」
ユリはきょとん顔で、口をへの字にする。
昨日のロングホームルーム後、午後から、そして今日一日と、先日のテストの結果が返却された。
それが散々、とは言わないまでも、予想していたより振るわなかった。
「大丈夫だよ! あたしなんて、安定の平均点プラスアルファだよ!」
「そこはユリと比べちゃいかんのよ」
この「本当はもっと良いと思ってたけど、実は悪い」というのが、何よりよろしくない。
つまるところ、大半減点が問題の読み違え、解法の勘違い、数学なら数字の間違いなどの心因的なミス。
本番でやったら洒落にならない。
突然、首筋で何か細かい紙のようなものでわしゃわしゃと撫でられる。
びっくりして飛び起きると、ぽんぽんを私に向けて突き出していた。
「コバルトエール! フレッフレッ、セーイ! GO! GO! セーイ! フラーイハイッ!」
ビシっと決めポーズ。
そして満面の笑顔。
私はあっけに取られて、そしてその姿に見とれていた。
「どう、元気出た?」
尋ねられて、はっと我にかえる。
それから熱をおびてきた首筋を、制服のカラーで隠すように肩をすくめた。
「空も飛べる……かも」
「いいねスピッツ! 君と出会った奇跡だね!」
ユリの笑顔に、釣られたように私も笑顔を返す。
こんなんで元気が出るんだから、曇りやすい硝子のハートも悪くない。
「あの……すみません」
ふと、傍らから私を呼ぶ声が聞こえた。
聞き逃してしまえばそのままなかったことになってしまいそうな、今にも消え入りそうなか細い声だった。
その声の持ち主探すように視線を巡らせると、ユリの後ろにひとりの少女が立っていた。
いつかの剣道少女と同じくらいのちんまい身体に、卸したばかりらしいパリッとしたセーラー服と、オーバーサイズの桜色のカーディガン。
何より決定的な内履きのラインカラーから、彼女が新入生であることはすぐに分かった。
私はジェスチャーで、ユリにちょっと退けるように指示すると、彼女の方に身体を寄せる。
「どうかした? 目当てのブースが見つからないとか?」
「それは大変だ! あたし、ヒマだから、案内するよ!」
文節ごとにビシリビシリとポーズを決めて、ユリがすかさず自己アピールを行う。
桜色の少女は、一瞬だけぽーっと呆けるようにユリの顔を見つめて、それからぶるぶると首を横に振った。
「あの、その、わたし……」
少女は再び私の方に向き直って――厳密には、身体はこっちを向いているけれど、顔と視線は逃げるみたいに何もないテーブルの上に向いている――たどたどしい口調で、何かを伝えようとしてくれる。
「何か困ってることがあるの? ゆっくりでいいから、教えてくれるかな」
安心させるようと言ったつもりだったけど、彼女は余計にあくせくした様子で、みるみるテンパっていくのが分かった。
「ご……ごめんなさいっ。あの、またにします……!」
そうして最終的に、ものすごい勢いでぺこりとお辞儀をすると、そのまま雑踏の中へと消えて行ってしまう。
私はそれをぽかんとしたまま見送って、それからゆっくりとユリのことを見上げた。
「私、何か間違えたかな?」
「いつもの星が間違いだっていうなら、ものすごく間違えたと思うよ」
「そっか……」
クリアに磨きかかった硝子の心が、またもやもやと曇っていくいような気がした。
すると、ユリもまた彼女が去っていった方向を見つめながら、難しい顔で首をひねる。
「うーん、なんだっけかなあ」
「どうしたの」
「いやね、どっかで見たことあるなあって思って」
ユリに言われて、私も自分の記憶を掘り返す。
だけど、取り立てて思いつくようなことはなかった。
そもそも、去年まで中学生だった知り合いなんていないし。
約一名は、高校生になってから出会っているので例外とする。
「うわーん、なんかもやもやするー!」
「それ、ガンバレガンバレ、ユーリ」
ユリが頭を抱え始めたので、棒読みエールを送ってあげた。
しかし、あの子の用事はなんだったんだろう。
あと、自分が何を間違えたのかもサッパリ分からず、事件は迷宮入りだ。