ここ数日の夏日のような天気で、先週までは肌寒かった街の空気も、からっとした熱気をおびるようになってきた。
春の陽気はすっかり通り越して、さやかな初夏が訪れたようにすら感じられる。
それでまだ季節は春だと言い張れるのは、校舎を囲む満開の桜のおかげに他ならない。
「春だねえ」
桜を見上げながら、ユリがしみじみとつぶやく。
なんだか縁側のおばあちゃんみたいだなと、細められた彼女の目を見ながら、そんなことを思った。
首都圏に比べて大きく遅れてやってきた桜前線は、ここ数日の陽気で一気に北上を果たした。
つい二、三日前くらいに開花宣言があったかと思ったら、気づけば一気に満開。
この週末が最大の見ごろだということだ。
ということで、今日はどのクラスも午前中をまるまるロングホームルームに費やして、クラス委員などの決めごとと、お花見の時間にあてられた。
このお花見も、特筆されないだけで、なんだかんだの恒例行事だ。
学校側で、生徒一人ひとりにお団子まで用意してくれるという用意周到さだ。
案外、大人たちの方が楽しんでいるのかもしれない。
私もその恩恵は享受して、たっぷりと甘醤油のタレが塗られたみたらし団子を頬張る。
ざっと校舎を風が吹き抜けて、うす桃色の天井がさらさらと揺れた。
「どうしたのアヤセ。団子いらないの?」
傍らで桜の根っこに腰かけるアヤセは、すっかり意気消沈した様子で、ぼーっと花を見上げていた。
「えっ、そうなの? じゃあちょうだい!」
「ばかっ、やるかっ」
すかさずユリが団子を奪い取ろうとしたので、アヤセは我に返って、自分の串を死守した。
けどすぐにその団子をみつめて、大きなため息をついた。
「いや、まあ、ぶっちゃけあげてもいいんだけどな……しばらく団子は見なくていい」
「お花見シーズンの和菓子屋ならそりゃそうか」
合点がいった私に、アヤセは力なく頷く。
「別に、これウチの団子じゃないけどさ。きっとこねるのから成型から焼くのまで、全部マシンなんだろうけどさ。黙々と串打ちして梱包する人たちがいるんだなって思ったら、なんだかやるせなくなってきてさ……」
「そういうの私、結構キくからやめてくんない?」
「ああ、悪い悪い」
苦笑するアヤセを他所に、私はじっと団子をみつめる。
この丸い団子ひとつひとつが、パートのおばちゃんたちの苦労の結晶なのかもしれない。
大量生産の、一個数十円の団子なんだろうけど、それでもお米一粒のように神様が宿る心地がする。
いただきます。
片手は団子で塞がっているので、もう片方の手だけで込めれるだけ感謝を込める。
「ごちそーさまでした」
一足先に食べ終わったユリは、ぱちんと手を合わせてお辞儀する。
きれいにしゃぶったのか、残りかすひとつない楊枝のような竹串を咥えていた。
アヤセも覚悟を決めたみたいに団子を口にすると、むしゃむしゃ咀嚼しながらもう一度、桜を見上げる。
「春だなあ」
「春だねえ」
縁側におじいちゃんが増えた。
さしずめ私は、おばあちゃんの膝の上で眠る猫になりたい。
「あ、会長。こんなところにいたんですね」
ふらふらと、校舎の陰から毒島さんが姿を現した。
団子はもう食べ終わっているのか、彼女は手ぶらで私の方に歩いてくると、ユリとアヤセに小さく会釈をする。
「そろそろ、私たちのクラスの番ですよ。正面にみんな集まってます」
「あ、そう。わかった。すぐいく」
私は団子の最後のひとかけを食べると、制服のカラーや、スカートのプリーツを軽く払って、身だしなみを整える。
「撮り逃したら、ひとりだけ隅っこに丸い窓で乗るからな。呼びに来た心炉に感謝しとけよ」
私は、お尻を小突いてきたアヤセの頭を、逆に押し返してやる。
「言われなくても、そろそろ行くつもりだったけど」
「仲がいいのは良いですけど、ほんとにもう行かないと」
「そういうことだから。それじゃ」
毒島さんに急かされるように、私はその場を後にする。
ふたりは手を振って見送ってくれたが、離れていくその姿に、なんだか寂しさも感じていた。
後者の正面に向かうと、既にアルミだかスチールだかでできた簡易のひな壇の上に、クラスメイトたちが並んで間隔を計っていた。
三年生だけは、この時間を利用して、桜の下での写真の撮影がある。
卒業アルバムに乗せる集合写真だった。
「すみません、あとふたり入ります」
毒島さんがひと声かけてくれて、私たちは後付けのように、中段の隅に並んで立つ。
「いやいやいや、会長と副会長が端っことかありえないでしょ」
それに気づいた周りの人たちが、ぐいぐいと私たちの袖を引く。
やがてバケツリレーみたいに最前列まで押しやられると、担任と、学年主任とが座る席の隣に、ふたり並んで詰め込まれた。
「私、集合写真苦手なんだけど」
やっぱり後ろの方に並びなおそうとした私だったが、その袖を今度は毒島さんがむんずと掴んだ。
そんなに一日に何度も掴まれたら、袖、伸びちゃう。
厚手の冬服を着るのも、あとツーシーズンくらいだけれども。
「そう言わずに。楽しい高校生活の想い出ですよ」
毒島さんがにこやかに笑う。
いつもなら何も感じないのだけれど、自分の選挙演説の内容を思い出した今なら、その言葉に隠しきれない棘を感じる。
何も言い返すことはできず、静かに椅子に腰を下ろした。
「では三枚撮りまーす!」
写真館から呼んだらしいカメラマンの掛け声で、みんな一斉に姿勢を正す。
表情や、立ち位置の微調整の指示が入りながら三枚。
瞬く間に撮影は終了した。
「クラス替えの結果は、やっぱり不満でしたか?」
颯爽と解散しようとしたその後ろ髪を、またもや毒島さんに捕まれる。
「まあ、無いと言えばウソだけど」
とはいえ仕方のないことなのは分かっているので、ダダをこねるほどでもない。
「私も、残念と言えば残念です。どうせなら生徒会のみなさんで一緒になれたらな、とは思いましたけど……せめて、会長じゃなくてアヤセさんの方だったら」
「それは普通に傷つくけど」
いや、別にそれくらいで傷はつかないけど。
それでも面と向かって「いらない」と言われたら、多少はムキになってもいいじゃないか。
何に対してムキになっているのかすらも分からないけど、もやもやする気持ちは本物だ。
毒島さんはくすっと小さく笑って、それから私のことを真っすぐに見上げた。
「文句を言っても仕方がないので、私も最後の一年間くらい、自分勝手に楽しんでみようと思います。誰かさんを見習って」
最後に殺し文句みたいなひと言を添えて、彼女はひとり、校舎に戻っていった。
「なになに。女房に別れ話でも切り出された?」
「そういうんじゃないってば」
クラスメイトに絡まれて、私はため息をひとつ返す。というか小姑じゃなかったのか。
若返ってない?
「じゃあ、その調子でクラス委員も頼むな」
「生徒会役員はクラス委員になれないし」
「マジかよ。おーい! 会長も副会長もクラス委員ダメだってさ!」
「うそっ。じゃあ、今のうちにジャンケンすんべ」
「勝ったヤツ? 負けたヤツ? いっそ野球拳?」
「それこそ、勝ったヤツか負けたヤツか、どっちよ」
そのままクラスメイトたちは、満開の桜の下でワイワイと、ジャンケン大会を始めてしまった。
この学校じゃ、流れに身を任せていたら身体がいつくあっても足りない。
楽しもうとしたら、多少自分勝手なくらい我が強くあるべきなのだ。
それすらも気分次第な私は、アウトだのセーフだの飛び交う喧騒の中からそそくさと逃げ出すのだった。