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4月12日 愛が足りない!

 二日間のテストが終わり、気持ちもようやく新学期へ移り始める。

 そんな昼下がりの講堂に、すぱーんと、乾いた竹刀の音が鳴り響いた。

 同時に、それまでけたたましく鳴っていたトランペットの演奏は止み、奏者の学生は小さく息をつく。

 合格発表の時にも見た、吹奏楽部で一番上手い子。

 名前は確か……うん、次に会う時までには覚えておこう。


 壇上には、数名のチア部の下級生がユニフォーム姿で並んでいる。

 その中央で、たった今、床に竹刀を叩きつけたユリが、威勢よく拳を振り上げた。

 彼女だけはなぜかユニフォームではなく、いつものセーラー服の上から男子用の長ラン(と言っても今時見たことないけど)を羽織っていた。

 どっから準備してきたんだ。


「声がちいさぁい! 貴様らぁ! やる気はあるのかぁ!?」


 ユリは、古風な熱血教師さながらに声を張り上げる。

 すると、入学式と同じ場所に立ち並んだ新入生たちがびくりと肩を揺らした。


「もう一度最初からぁ! 大・進・撃!」


 タイトルコールにあわせて、力強いトランペットの音が響く。

 本校の応援歌、チャンステーマのひとつ。

 歌う機会はめったに――というか、ぶっちゃけほとんどないけれど、私もそらで歌えるくらいには覚えている。


 というのも、全てはたった今、目の前で行われている応援練習のおかげである。

 新入生の立場からすれば知るよしもないけれど、長年行われている伝統行事のひとつ。

 入学直後に二日間の日程で、放課後の時間に行われる。

 それは入学者たちへの熱き洗礼。

 古臭いしきたりだけど、厳しい練習を通して団結力を高め、本当の意味で学校の一員となる通過儀礼のようなものだ。

 ぶっちゃけ、こんなことをするからノリと勢いだけの生徒が育つのではないだろうか。

 私はそう信じて疑わない。


 再び竹刀の音が響いた。

 誰かが歌詞を間違えたのだ。

 すぐに演奏が止み、会場内もしんと静まり返る。


「間違えたのは誰だぁ! 貴様らは、その程度の覚悟で入学してきたのかぁ!?」


 聞かされていないことに、覚悟なんてあるわけがない。

 理不尽の極みだけれど、これはそういうイベントなのだ。

 もっとも、例年はもうちょっとお上品というか、お蝶婦人みたいな役回りのチア部員が、ストイックでネチネチした感じで責め立てるものだけれど、何故か今年は昭和バンカラスタイルだった。

 たぶん担当になったユリの趣味。


「いいか、貴様らぁ! きたる四月二九日、宿敵である東高との定期交流戦があぁる! 貴様らは、男女関係にうつつを抜かす共学校にナメられても良いのかぁ!?」

「センパイ、ウチも一応は共学校です」

「え、そうなの?」


 傍にいた後輩チア部員に突っ込まれて、ユリは一瞬素に返った。

 てか、今まで過ごしてて知らなかったのか。

 鬼コーチモードが剥がれかかっていることに気づいたのか、ユリははっとして、小さく咳ばらいをする。

 それから場を繋ぐように、無意味に竹刀を鳴らした。


「うるさぁい! 共学だろうと、生徒が女子しかいなければ女子校であぁる!」


 なんて暴論だ。

 でも誰かに説明する時は、面倒だから私も女子校と言ってしまっている。

 その辺は、ケースバイケースで。


「今の貴様らに足りないものは何だと思う!? そこの最前列のメガネぇ! 言ってみろぉ!」

「き、気合ですか?」

「ちがぁう! 次、そこの通路側のメガネぇ!」

「練習……すか?」

「当たり前のことを言うなぁ! 次、右列一番後ろの眼鏡ぇ! というか何だ、メガネ率が高い!」

「す、すみません……わかりません」


 ユリはそれはもう大げさにため息をついてみせると、握りしめた竹刀の切っ先を新入生たちへ突き付けた。


「愛だ! 愛が足りないッ!」


 勿体ぶって出した答えは、なんとも意味不明だった。

 大丈夫かこれ。

 暴走してないか?


「だが心配するなぁ! そのために、この学校があぁる」


 締めくくりに、聞いたこともない学校理念が付け加えられて、ユリはこれ以上ないキメ顔で、ウインクまで決めた。

 鬼コーチモードが、いつの間にかキザモードになっているけれど。

 新入生たちも、今までの緊張とはちょっと違って、やや色めいた雰囲気が混じり始める。

 おいおいおい、なんだコラ、おい。


 なんだか趣旨が変わり始めてきた気がするので、私は舞台袖から後輩チア部の子に「先に進めて」とジェスチャーを送った。

 私が今ここにいる理由の大半がこれだ。

 生徒主催のイベントとして、その監督をするのは生徒会の仕事である。

 後輩チア部員は無言で頷くと、慌ただしくすっ飛んで行って、私の指示をユリに耳打ちした。

 それがまた、神妙な顔つきで演ってくれたものだから、妙な事件感が演出される。

 浮ついた会場の空気が、再びピリピリと引き締まった。

 あの子、策士だな。

 やはりチア部は侮れない。


「この曲はまた明日とする。明日は一度で成功させるように」

「はいっ!」


 いつの間にか、新入生たちの返事に一体感が生まれていた。

 今年もまた、このイベントで純粋無垢な少女たちが、ちゃらんぽらんな学校の色に染まっていく。


 とはいえなんだかんだ、当事者じゃない位置でこの儀式を眺めてみるというのは、面白いものがある。

 自分が一年生の頃は「なんだコラ、お高く留まりやがって」なんて思ったものだけれど、今年の新入生たちはどうなのだろうか。

 ユリがちょいちょいボロを出すので、既に察しの良い人は仕込みだと気づいているような、そうでないような。


 そう言えば、あの剣道少女もどこかにいるはず、と思って席の顔ぶれを見渡してみたけれど、薄暗い中ではよく分からなかった。

 もしくはちんまいので、周りの生徒の陰になって見えていないのかもしれない。

 彼女ならバリバリの体育会系だし、至極真面目に取り組んでいそう。

 私の勝手なイメージだけど。


「よし次! コンバットォ! マァチィ!」


 今度のは、夏の甲子園中継とかでもたまに聞くお決まりのテーマ。

 これまた、意図的としか思えないひっかけパートがあって、まず間違いなく一発で声が揃うことはない。

 今にして思えば、このイベントのために、大昔の生徒たちが悪だくみをして精錬させていったんだろうなという風にも思える。


 間違えるたびにユリの怒声が飛び、練習が中断される。

 長時間にわたる練習で、新入生たちも緊張と疲労の限界に達し、中には泣き出す子も出始める。

 それでも練習自体は中断しない。受けている方も辛いかもしれないが、これは指導している方も辛い。


 どうにか今日の分。

 課題はあるにしても、一通りの応援歌を練習し終えたころには、ユリもすっかり汗だくでへとへとになっていた。


「よぉし、本日の練習はここまで! 仕上げは明日の貴様らに期待する! 押忍!」

「押忍!」


 新入生たちの返事もいつの間にかそれっぽいものに変わって、今日の練習は終了した。

 明日も頑張れ。

 私は理不尽に立たされた彼女たちを、陰ながら応援する。


「つーかーれーたー」


 舞台袖へ引っ込んでくるなり、ユリがふらふらと倒れ込んできた。

 私は正面から抱きかかえるように受け止めると、回した手でぽんぽんと背中を叩いてやった。


「おつかれ」

「あー、しんど。あたし、こういうの向いてないかも」

「去年は部活の育成係で、今の二年生に鬼コーチしてたんでしょ?」

「最初からその気できた子と、そうじゃない子とでは扱いが違うよー! 新入生ちゃんたちに嫌われてないかなあ?」


 珍しく弱気な意見だけれど、それぐらい本気で怒って、指導していたのは私にも伝わった。

 私は元気づけるように、背中をさすってやる。


「大丈夫でしょ。もし嫌われたとしたら、今年のチア部の新入部員が目に見えて減るだけ」

「うわー、それ困るよお! 勧誘会頑張んなきゃ!」

「あんまり変なことしないでよ。私の責任になるんだから」

「はーい」


 それだけ返事をして、ユリは静かに目を閉じると、私の肩におでこを乗せて動かなくなってしまった。

 まるで眠ってしまったような彼女を無理に引きはがすことはせず、私はただ子供をあやすみたいに背中を撫でながら、彼女の体温を感じていた。

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