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4月11日 私ってそんなにダメ?

 先週は式典だけだったので、気持ち的には登校日は今日からだ。

 それも今日明日は学力考査だけの午前授業。

 それ以降も年始のあれやこれやで時間が潰されるので、本格的な授業が始まるのは来週からのことになる。


 時期で言えば、この街の桜が満開に色づくころ。

 今はちょうど桜前線がやってきたところなので、見ごろは数日後になるだろう。

 桜の下で迎える入学式の図は、私たちにとっては都市伝説だ。


 そんな学力考査一日目を終えた私たちは、いつものファーストフード店で机を囲みながら、明日にある残りのテストに備えていた。

 学力考査は一日三教科ずつ。

 今日は古文、現国、英語の文系科目。

 明日は数学と理科系選択に加えて、社会系選択。

 科目数の問題でずれはあるけれど、ほとんど共通テストと同じ日程だ。

 社会系が二日目に入っているのは、実質理系の地理があるのと、暗記系をできるだけ二日目にまとめる学校側の配慮だと勝手に思っている。

 往々にして、一夜漬けというものに挑む生徒は少なくない。


「やっぱり、サインコサインタンジェントからは解放されなかった……」


 隣の席で、アヤセが数学の問題集を開いて頭を抱えていた。


「世界史は昨日やったから、仕方ないでしょ」

「くっそー、推薦ってなんで基本評定必要なんだよお」


 彼女はストレスを発散するみたいに、ポテトを口いっぱいに頬張った。

 すかさず向かい側から、問題集の図に向かって手が伸びる。

 その指先づたいに、毒島さんのすまし顔が目に入った。


「ですから、こっちの値を求めるんですってば」

「なんでそこを求めるのかが分からん」

「問題文の内容を順序だてて、整理して考えてください。数学はテスト対策だけで考えたら、実は文系の方が得意になれる科目なんですから」

「むう……そういうもんか?」


 アヤセは鼻の下にペンを挟んで、問題文とにらめっこをはじめた。

 入れ違いに、私の向かい――毒島さんの隣に座るユリが、元気よく手を上げる。


「はい! そもそもΣって何ですか!」

「あなたは授業中何を勉強していたんですか?」

「んー、睡眠学習?」


 ユリの返答に、毒島さんは大きなため息をついた。


「初歩的なところからいきますよ。そもそもΣというのは、kにここから、ここまでの値をすべて代入して、その和の結果を示したもので――」


 教える体制に入るために、毒島さんの身体がぐっとユリの隣に寄った。

 肩が触れ合う距離で一緒に問題集を覗き込み、計算をひとつひとつ手ほどきする。

 思わず間に割って入りたくなったけれど、目の前の机一枚が今は果てしなく遠い。


 そもそも、毒島さんがなぜいつメンの中にいるのかというと……まあ、事実だけを言えば完全にその場の流れなのだが。

 三年生になり、クラスが別々になった私とユリたち。

 今日はテストが終わるなり、ふたり揃って私の教室に来て、帰りがけに勉強をしていこうと誘ってくれた。

 それを、私と同じクラスにいた毒島さんが小耳に挟んで、「良かったら、ご一緒して良いですか?」となり、今の状況に至る。


「いやあ、でも心炉がいてくれて助かったわ。星は頭は良いんだけど、説明下手くそでさ」

「喧嘩売ってるなら買うけど」

「スマイルならゼロ円でいいぞ」


 言いながら笑ったアヤセの頬を、デコピンの要領で弾いてやった。

 彼女は頬を押さえながら、その後にぺろっと舌を出した。


「私は頭がいいんじゃなくて、他の同級生に比べて勉強に当てる時間が多いだけだって。いつも言ってるけど」

「犬童さんやアヤセさんと比較するならまだしも、私の前でそれは嫌味ですよ」

「毒島さんも部活やってるでしょ。なんだっけ」

「英語部です」

「英語部……わが校の三大謎部活のひとつだね」


 ユリが、キリッとキメ顔をしながら話に入ってくる。


「三大謎部活って、ほかふたつはなんなの」

「言われなきゃ思い出せないから、ミステリーなんだZE☆」


 なんだか懐かし口調で、バチコンとウインクを返された。


「英検とTOEICの前に勉強会をしたり、スピーチコンテストの準備をしたりするくらいしか活動がない部活ですよ」


 一方の毒島さんは、所属する部活をミステリースポット扱いをされたのに腹を立てた様子もなく、活動内容をとうとうと語ってくれた。


「支援機関の審査に通れば交換留学とかもできるようですが、わが校で希望する人はいませんね」

「留学かあ、いいな。私はちょっと興味ある」

「それなら英語もっと頑張んないとでしょ」


 私のツッコミむと、アヤセはさっきのデコピンよりも痛いところ突かれたみたいに、顔をしかめた。


「それより心炉ちゃん、なんでアヤセだけ名前呼び? あたしも名前でいいよ?」

「そうですか……? じゃあ、友梨さん?」

「友梨じゃなくって、ユリがいいの」

「はあ。ではユリさん」

「うん、それでよろしく」


 ユリが満足そうに頷く。

 すると、アヤセの肘が小腹突いた。


「ここはひとつ、星も『心炉ちゃん』で」

「それは、またの機会に」

「うーん、ダメかあ!」


 アヤセはお手上げだーって感じで両手を振り上げてから、そのまま頭の後ろで手を組んで、背もたれに体重を預けた。


「良いですよ、それで。何の巡り合わせかクラスも一緒になりましたし、私はじっくり待つことにします」


 そう言って毒島さんは、自分のウーロン茶をストローで啜る。


「それなら、心炉から名前で呼んでやったら」

「え?」


 突然のアヤセの提案に、毒島さんが目を丸くした。


「いつも会長か、狩谷会長じゃん」

「それもそーだよねー」


 追い打つような指摘に、ユリが同調して頷く。

 毒島さんは少しテンパった様子で、私と、アヤセたちとの顔を交互に見比べていた。

 私はため息をつきながら、諦めたように視線を外す。


「いつもの戯言だから、気にしないでいいよ」

「戯言はまだしも、いつものってなんだよー。本気の時の方が多いんだからな」

「だったら戸惑ってる彼女をどうにかして」

「だ、大丈夫です。それには及びません」


 毒島さんは、気持ちを落ち着けるように深呼吸をすると、私の顔をじっと見つめて口を開く。

 けど、そこから肝心の声はこぼれてこなかった。

 そのまま、池の鯉みたいに口をぱくぱくさせて、やがて目と口を一緒にぐっと結んだ。


「やっぱり、会長は会長でお願いします」

「こりゃダメだ」


 アヤセも匙を投げた様子で、これ以上、その話題を口にすることはなかった。


「心炉ちゃんも星と仲悪いの? そういうの、よくないと思うなあ」

「ユリは早く、明日提出の課題を終わらせて」

「相変わらず当たりが強いよ?」


 とはいえ彼女にとって死活問題なのは変わらず、ユリは今日も泣きそうになりながら、宿題の消化に励んでいた。

 その隣で毒島さんは、両手で顔を覆いながら、なんだか落ち込んだ様子だった。

 すごく大惨事。

 だから全部見なかったことにして、私もテスト前の仕上げに取り掛かった。


 なんかそういう流れだし……今は数学にしておくか。

 それにしても私の教え方って、そんなにダメなんだろうか?

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