入学式を外から眺めるという行為は、そうそう体験できることではない。
高校の入学式なら上級生は基本的に参列はしないし、午前中の始業式を終えて、みんな部活なり、それぞれの余暇に励んでいる。
そんな中で生徒会役員たちはというと、便利屋の本領発揮で新入生や保護者の案内、式中の補助、そして私は式典挨拶――と、式の前もそのあとも存分に働かされる。
式場の傍らで、大人たちの退屈な話を右から左に聞き流す。
膝の上で、折りたたまれた原稿が揺れる。
昨日の準備の時に毒島さんにいろいろアドバイスは貰ったけれど、結局納得のいく形にはまとまりそうになくって、もともと準備していたつまらない原稿を提出することになった。
学校側のチェックは難なく通り、準備は万事滞りない。
「続きましては在校生より、新入生歓迎の挨拶です。生徒会長、狩谷星さん。お願いします」
「はい」
アナウンスに促されてステージに登壇する。
思ったより緊張はない。
それは自信があるというよりは、単純にプレッシャーがないからだろう。
マイクの前に立つと、ステージ上のライトを一身に浴びることになった。
ちょっと熱いくらい。
なんとなく新入生たちの顔ぶれを見渡してみるが、照明が逆光になって、はっきりとは見えなかった。
それでも、彼女たちの視線が自分に集まっていることだけは感じる。
「全国的には街が美しい桜色に染まる季節ですが、残念ながらこの辺りではまだ、どの木も色づきを待っている時期です。そんな折、同じく高校生のつぼみであるみなさんが私たちの一員となり、生活を共にする仲間となることはとても喜ばしいことです。在校生を代表して、歓迎の言葉を述べさせていただきます」
そこから後は、流れるような定番の祝辞。
校風の紹介。
授業の紹介。
課外学習や行事の紹介。
新入生たちが高校生活に夢や希望を持てるように。
それが私の、生徒会長として語るべきこと。
確か、自分の入学式の時の挨拶も、こんなんだったな。
というか、一字一句と言わずとも、ほとんど同じような内容だった気がする。
興味がなくて聞いていないつもりで、実はちゃんと印象に残っていたのかもしれない。
だったら私もあのころには、人並みに夢や希望を抱いていたんだろうか。
いや……思い返してみても、そんなことはない。
受験で全力を出し切って、なんとか入学を勝ち取って、燃え尽きて、気分は既に五月病。
あの日、きっと私の他にも似たような人はいただろう。
割合にすれば少数派かもしれないけれど、それが進学校というものだ。
夢や希望を持ってる人は、誰が何を言おうと、勝手にそれらを抱いている。
ほっといても楽しい学校生活が待っている。
――全員が『楽しい高校生活だった』と笑って卒業できる、そんな学校を創りあげることです。
それは私ではなく、先代会長のマニフェスト。
最初に聞いた時は何を馬鹿なことを言ってるんだと感じて、今でもそれは変わらない。
楽しいか楽しくないかなんて、生徒ひとりひとりの主観でしかないし。
誰かの「楽しいこと」が、他の人にとって同じとは限らない。
ウェイ系と陰キャが相入れないのと同じように。
もっとも大抵の陰キャは、表面上は蔑みつつも、心のどこかではウェイ系に憧れを持っていたりするけれど。
そうしてそのどちらでもない、私みたいな無気力な人間は、さらに外側にはじき出されていく。
つまるところ、彼女はマニフェストは不完全だったというわけだ。
証拠は私。
はい論破。
それは天邪鬼で幼稚な駄々っ子みたいなもので。
全力で楽しませると言われたから、全力で拒否をしたわけで。
だとしたら、私が目の前の新入生に伝えるべきことはきっと、そういうことなのかもしれない。
そうしたら私は、彼女よりも生徒会長らしいことができたと言えるんじゃないだろうか。
祝辞の途中だったが、私はカンペ代わりに開いていた原稿を、おもむろに折りたたんだ。
教職員席、特に原稿を確認してくれた担当教員がざわつくのを感じる。
それが伝播したみたいに、新入生や保護者たちにも不安が伝染していく。
私は用意した原稿を捨て置いて、まっすぐに目の前の少女たちに向き直った。
「正直なことを言うと、入学してこの二年間、私は一度たりとも学校生活を楽しいと思ったことがありません」
再びざわつく館内。
その様子が面白くて、気づかれないようにちょっぴり笑みをこぼす。
それから作った笑顔を浮かべて、席という席を一瞥した。
圧にやられたみたいに、ひそひそ話が止んで静まり返る。
こんなところで、バイトで培った営業スマイルが役立つなんて思いもしなかった。
なんでも経験はしてみるもんだ。
「勘違いしないでもらいたいのは、それは私がそういう人間だからというだけのことです。ぶっちゃけ今も、ちょっとめんどくさいな……なんて思いながらこうしてみなさんの前に立っています。受験が終わったみなさんに辛いことを思い出させるかもしれませんが、私は今年が受験シーズンですし、こんなことしてるくらいなら図書館にでも行って勉強したい。そういう人間なんです」
会場の端からくすりと笑いがこぼれた。
姿は見えないけど、たぶんアヤセだろう。
一方、舞台袖で補助をしている毒島さんはの姿はよく見えていて、目を白黒させながら慌てている様子が視界の端にちらついた。
「ですが、この高校に通うのは私のような面白みのない人間ばかりではありません。どうして入学できたのか分からないくらいアホなのに、好奇心旺盛で、部活はよくできるし、妙に話題の中心になるヤツ。これまたアホみたいなコミュ力お化けで、面倒見も良くて、みんなに慕われるけど、実は小心者なヤツ。あと、アホみたいに真面目で、融通が利かなくて、私は苦手でしかないけど、その言葉には全幅の信頼をおけるヤツ……などなど、この学校にはいろんな人間がいます。きっと、今日入学したみなさんの中にも、たった今、あなたの隣にも、いろんな趣味嗜好や性癖を持ったヤツがいるでしょう」
新入生たちは息を飲み、人によっては吐きながら、自分の周りにいる人たちと顔を見合わせる。
来校した順に詰め込まれて、クラスも出席番号も知らずに放り込まれた彼女たちは、今初めて、自分の周りにどんな顔をしたヤツがいるのか知ったかもしれない。
それくらい入学式というものは孤独で、狭苦しいもの。
だったら私は生徒会長として、その孤独を取り払わなければならない。
「何が言いたいのかというと、私をはじめみなさんが通うこの学校にいる人たちは、先輩だとか立場とか関係なしに、みなさんと同じ人間だということです。同じように受験に望んで、合格して、入学式の席に座って、そうして何年かこの学校で過ごしてきた。それだけのことです。だから、怖がらないでください。友達になりましょう。私は高校生活を楽しいと思ったことはないけれど、友人たちと過ごす時間は……まあ、及第点くらいに思っています。てめえは何様だと思いましたか。女子しかいない学校の人間関係ですよ。面倒だってあるに決まってるじゃないですか。でもそれをひっくるめて、友人たちがいることで、はじめて私の高校生活は成り立っています。だから同級生でも、上級生でもいい。友達になりましょう。こんな話をしているとすごく怪しい団体の勧誘っぽく聞こえるので、この際だから勧誘もしときます。現在、生徒会は深刻な人手不足です。友達を作る自信がない人は、昇降口入ってすぐ左手、放送室の向かいにある生徒会室へどうぞ。アホな友人たちからすら友達甲斐がないと言われる私でよければ、気が済むまで相手になります。代わりに仕事は手伝ってもらいますが――」
そこまで言って、視界の端で式典担当教員が大きく手を振っているのが見えた。
ちらりと視線を向けると、彼女はぐるぐると糸巻みたいに両手を回す。
そのまんまの意味で「巻け」と、そういうことだろう。
「長すぎると怒られてしまいました。たぶんこの後、それとは別に怒られると思いますが、私の言いたいことは変わらず、今のが全てです。怖がらず、これから始まる三年間の生活に飛び込んできてください。私は、あなたの入学を心から歓迎します。在校生代表、南高校生徒会会長、狩谷星」
私はマイクから一歩離れて、深々とお辞儀をする。
そして顔をあげてから、遅れたように拍手が鳴り響いた。
私はやれるとこまでやってやろうと思って、最高にキザったらしく笑顔を浮かべて、手を振りながらステージを降りた。
「狩谷さん……終わってから、ちょっといいかな」
ステージ袖で、担当教員から小声でそんなことを言われる。
困ったような呆れたような表情の彼女に、私はただ会釈をして、自分の参列席に戻った。
「大喜利みたいなことは止めてくださいねって、私、言いましたよね」
耳元に毒島さんのひそひそ声が響く。
彼女は私の後ろに立って、肩口に顔を寄せていた。
「用意した祝辞があまりにつまらなくって。でも私、最高に楽しそうだったでしょ」
おでこがくっつきそうなくらいの距離で、私は真っすぐに彼女を見つめ返して笑う。
毒島さんは飛び上がって距離を取ると、軽く咳ばらいをしてから同じように笑みを浮かべる。
悪だくみをするみたいな、そんな毒のある笑顔だった。
「そうですね、凄く会長に……いえ、狩谷星に求められている祝辞でした。シビれましたよ。もちろん、この融通がきかないアホ真面目なヤツが言う皮肉ですが」
「ありがと」
短くお礼を返して、私も彼女も、そして式そのものも、何事もなかったかのように再開していった。
私の祝辞を聞いた新入生たちが、これからの高校生活にどんなイメージを持ったのかは全く分からないけれど、ぶっちゃけ責任を取るつもりはない。
あなたの高校生活はあなたのものだから。
私は私の高校生活のために、会長の肩書だって利用する。
生徒会長になることさえも、私にとってはゴールのひとつでしかなかったから。
でも、そうじゃなかったっていう約束を、今まですっかり忘れていた。
自分自身のマニフェストというやつを、焼けつくようなスポットライトの光が思い出させてくれた。
――私は、この高校での日々を楽しいと思ったことはありません。
だから、私が生徒会長になった暁には、私が楽しいと思える高校生活を自分勝手に創りあげて満喫します。
そのためにどうか、みなさんの力を貸してください。
史上最大の独裁演説と言われた私の選挙演説。
それに票を入れちゃう、ノリと勢いでしか生きていないアホな生徒たちで溢れかえっているのが、私たちが通うこの高校なのだ。