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4月6日 毒島さんちのおもてなし

 山肌に並ぶ美しい住宅街。

 もとは棚田だったというこの辺りの土地も、私が生まれたころには再開発工事が行われて、今では高級分譲地としてお洒落な家が立ち並んでいる。

 丘のてっぺんには芸術系の私大が鎮座していて、さながら街のシンボルのようだった。

 そんな場違いな所になぜ私がいるのかというと、ひと言で片付けてしまえば、お呼ばれしたからである。


「いらっしゃいませ。道、迷いませんでした?」


 チャイムを鳴らすと、にこやかに笑う毒島さんがお出迎えしてくれた。

 大きくはないけれど、絵本にでも出てきそうな白塗りの欧風建築。

 奇妙な冒険を描く作者の漫画で出てきそうな、そんなおうち。

 大きすぎるときっと逆に下品だから、あえて小さくまとめているという印象だった。


「目印がないから少し迷ったけど、最近のアプリは優秀だから」

「バス停までお迎えにあがれば良かったですね。お疲れでしょうし、中へどうぞ」


 毒島さんに促されるまま、家に足を踏み入れる。

 通されたリビングも、そこまでの廊下も、インテリアはごちゃごちゃしてなくて清廉されている。

 誰かのお土産やら、買い替える前の古い家具やら、物で溢れかえっている我が家とは大違いだ。

 流石にもうちょっとお洒落してくれば良かったかな。

 ニットセーターにジーンズという恰好で来た自分の姿を見下ろして、ちょっと後悔する。


「今、お茶を淹れますね」

「だったら先にこれ、京都のお土産」


 そう言って私は、毒島さんに持ってきた紅茶の小箱を手渡す。


「ありがとうございます。でも紅茶?」

「うん。自分でもどうかと思ったけど、美味しかったから毒島さんもどうかなって」


 嘘である。

 本当は買うのをすっかり忘れていて、自分用に買った中から封を切ってないやつを持ってきただけだった。


「オレンジショコラのフレーバーですか。美味しそうですね」

「そう、ならよかった」


 本当は、面白そうだなと思ってついでに買った変わり種フレーバーだ。

 自分では飲んでないので、美味しいかどうかも分からない。

 きっと美味しいはずだけど。


「私、オレンジショコラ好きなんですよ。もしかして知ってたんですか?」

「マジ? ほんとにあるんだそれ」

「輪切りのドライオレンジをチョコでコーティングしたもので、特に皮の部分が美味しいんですよ」

「へえ」


 砂糖をまぶしたオレンジピールなら、お土産で貰って食べたことはあるけれど。

 とにかく、残り物には福があったようで、ちょっと安心した。


「せっかくだから、これを淹れてみましょうか。足りない時のおかわりは、わが家のハーブティを淹れさせてください」


 そのまま彼女は、カウンター奥のダイニングキッチンに引っ込んで、お茶の準備を初めてしまった。

 さっきから自分の場違いさが気になってきて、つい「お構いなく」と口にしそうだったけれど、それは約束を反故にしてしまうことになるので弁えておく。

 もともとは、春休みのどっかでお茶をしようという約束だった。

 それがいつの間にやら毒島家にお邪魔することになり、今に至るというわけだ。


「そう言えば、お家の人は?」


 なんだか居たたまれなくなって、興味もないのに訪ねてしまう。

 とにかく何か話題が欲しかった。

 毒島さんは、冷蔵庫からお茶菓子らしきケーキを取り出しながら、声だけで返事する。


「今日は父も母も仕事です。ふたりとも忙しいみたいで、父なんかここしばらくは、ほとんど署に泊まり込みですよ」

「そんな時にお邪魔しちゃってよかったのかな」

「良いんですよ。母も友人が来ると伝えたら喜んでましたし。このタルトも母からです」


 毒島さんはテーブルの上に、ティーセットと一緒にフルーツタルトを並べる。

 ベリー系の果実がたっぷり乗った、美味しそうなタルトだった。


「お母さんによろしく伝えといて」

「もちろんです。さ、お茶もどうぞ」


 差し出されたカップから、湯気と一緒に甘いカカオの香りが立ち上る。

 なるほど、こういう感じなのか。

 軽く口に含んでみると、レモンティーのレモン風味のように、オレンジの熟れた酸味が鼻に抜ける。

 外からはチョコ、内からはオレンジ。

 私の中で、オレンジショコラが完成する。


「おいしい」


 素直な感想だった。

 それを聞いて、毒島さんはほほ笑む。


「良かったです。ケーキもどうぞ」


 これはヤバイ。

 私、今、完全にもてなされている。

 正直、ほんのついさっきまで全く気乗りがしていなかったのに、今ではこの空間がちょっと居心地良いななんて思い始めている自分がいた。

 始末に負えない。


「ところで……さっきから気になってたこと聞いてもいい?」


 だから、ちょっと強引にでも話題を変えることにした。


「その服、どうしたの」


 聞こうか聞くまいか、最初に玄関で出迎えてくれた時から、ずっと気にして考えていた。

 首から上はいつもの毒島さんと変わらないのだけれど、今日彼女が着ているのは、いつかの変――奇抜なアメカジスタイルではなく、ふりふりのブラウスとスカート、そしてリボンタイ。

 いわゆるロリータ系の、可愛らしいお洋服だった。

 真っ向から指摘されたせいか、毒島さんはさっと頬を朱に染めて視線を逸らす。


「以前、似合うかもと言われたので……変ですか?」

「いや、すごく似合ってるけど……」


 私、そんなこと言ったっけ。

 確かに「着てそうなイメージ」とかなんとか、そういう話はしたような記憶があるけれど。

 とは言え、自分の発言には責任を持つべく、改めて彼女の恰好を頭のてっぺんからつま先まで、じっくりと見下ろす。


「正直な感想を言えば、似合い過ぎてちょっとヒく」

「がーん!」

「あ、いや、でも、決して悪い意味ではないから」


 この家の感じも相まって、いいとこのお嬢様感が増している。

 いや、いいとこのお嬢様なんだろうけど。

 逆に、この家であの変なTシャツを着て過ごしてる彼女の姿の方が、私には想像できない。

 毒島さんは悔しそうに涙を浮かべながら、すくりと立ち上がった。


「うう……やっぱり、着替えてきます」

「いや、いいって、そこまでしなくて。似合ってるのは本当だから。自分じゃそういうの着ないし、似合わないから、ちょっと驚いただけで」

「本当ですか?」

「本当だって。私、誠実。ウソ、つかない」


 凄くカタコトになってしまった。

 でも誠意を見せるには十分だったらしく、毒島さんは再び腰を下ろしてくれた。

 彼女は自分で淹れた紅茶を啜ると、ほっとリラックスするように息をつく。


「会長は本当に、言葉のオブラートというものを知らないですよね」

「気は使ってるつもりなんだけど」

「いいんですよ。きっとそういうところが魅力で票も入ったんでしょうし。先代会長が肩入れしたのだって」

「毒島さん、やっぱり選挙の結果は不満だったよね」

「もちろん不満です」


 取りつく島もなく言い切られる。

 そこまでハッキリ言われてしまうと、こちらとしてもフォローのしようがない。


「不満ですけど、納得はしています。だからそれに見合った働きをしてください」

「それはごもっともです」


 ド正論を前に、私はただ頷くことしかできなかった。

 これが毒島家の家訓の強みか。

 威を借るだけの私と違って、本場の宝刀は切れ味が違う。


「そうと決まれば、まずは入学式。それから部活動オリエンテーションと、新年度生徒総会、そして新入生歓迎会ですね。せっかくですから、少し打ち合わせをしておきましょう」


 毒島さんは手書きのスケジュール帳とペンを取り出すと、メモスペースを開いて傍らに置いた。


「別に、今ここでしなくても……」

「何を言ってるんですか。入学式の準備は明日に迫ってますし、来週になれば学力考査もあります。そしたら、あっという間に週末のオリエンテーションですよ。ギリギリになって泣きを見るのは会長と、生徒会のみんななんですからね」

「はい、すいませんでした」


 思わずの平謝り。

 正論の暴力。

 耳が痛い。

 そこまで全力でやらなくても……という気持ちがないわけではないけれど、彼女に対しては燃料を注ぐことにしかならないだろう。

 胸の奥に閉まって、そっと蓋まで閉じておく。


 それから実にスムーズな進行で、新学期のあれやこれやが、ほとんど毒島さんの草案で決まっていく。

 どうやら三年生になってからも、私は彼女に頭が上がらないらしい。

 この力関係は、ちょっとなんとかしないとなあ……

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