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4月5日 そういうとこ、ホント

「妹よー! 妹はおるかー?」


 騒々しさと共に、部屋の扉が蹴破られる。

 本当に蹴破られたわけではないけれど、勢い的にはそれくらいで。

 何となくでもこの生き物の不躾さが伝わればと思う。


「うっさい。勉強中」

「勉強? つまんねえなあ」


 突然押し入っておいて、その言い草はなんだっていうんだ。

 私は早々に無視を決め込んで机に向かう。

 それがお決まりのパターン。


「もうちょっとお姉ちゃんに興味持とう? しばらく会えなくなるんだからさ」


 そう言われて、私は握っていたシャーペンをその辺に転がして振り返った。


「いつ出てくんだっけ」

「今日、今この瞬間から」

「そう。じゃあお元気で……あっ、部屋の参考書とか適当に借りるから」

「それだけかよ。ちくしょー。なんて冷たい妹なんだ……」


 姉はヨヨヨと泣き崩れる。

 下手に構うと三文芝居のお遊戯会になるだけなので、後はもう口を挟まないのが正解だ。

 ほっとけばいずれ、飽きるか満足していなくなるだろう。

 案の定、彼女はすぐにいつものトーンに戻ると、何か思い出したようにぱっと顔を上げた。


「あ、そうだ、もういっこ用事あった」

「なに」

「お母さんが、駅まで送りがてらお昼食べ行こうってさ。私の出所祝いに」


 どう考えてもそっちが本題じゃないか。

 先に言え。

 というか出所て。


「それだと犯罪者だけど」

「あれ、じゃあ快気祝い?」

「頭が悪いのなら治ってませんよ」

「おおう、相変わらずキレッキレだねえ」


 なぜか拍手を送られた。


「芸人目指してるんじゃないんだけど」

「あはは、ごめんごめん、つい」


 何がつい、だ。

 打ち返す私も私だけど。


「そう言えば昨日、あんたのこと知ってる新一年生に会ったよ。学校はどこか知らないけど」


 姉のことを見ていたらふと、昨日出会ったちんまい子のことを思い出した。


「新入生? あらやだ星ったら、入学式もまだなのに手が早いのね」

「そういうんじゃないけど」

「でもなんで私のこと? 中学生の知り合いは道場の子たちくらいだけど、そうじゃないんでしょ?」

「さあ……私、今の顔ぶれ知らないし。寮がどうこうって言ってたから、この辺の子ではないと思うけど」

「私の名もついに各地に轟くことになったかあ。照れるね」


 言葉とは裏腹に、姉は顎に手を当ててキリっと窓の外を見る。


「で、私のこと聞かれてなんて答えたの? ウチの自慢の姉ですって?」

「違いますけどって言って、それで終わりだけど」


 そもそも間違われること自体が不服でしかない。

 髪、切ろうかな。

 でもせっかく伸ばしたしな。

 ここは姉がいなくなるまでの辛抱か。


「えー、つまんないのー」


 姉は唇を尖らせて、ぶーと不満を吹いた。

 私は参考書とノートを閉じて、後ろで束ねていた髪のヘアゴムを解く。

 ちょっとクセがついてしまったけど、このくらいならドライヤーですぐ取れるだろう。


「着替えるから出てってくれる?」

「べつに減るもんじゃないじゃん」

「気を抜くと下着減るからダメ」

「それ、お姉ちゃんのせいじゃないから! お母さんが洗濯物取り違えてるだけだから!」

「気づいてるなら返してよ。ほっとくと上下バラバラのが増えてくんだから」

「はい、すいません」


 姉はしゅんとして頭を下げると、そのままとぼとぼと部屋を出ていった。

 明日からは洗濯物の取り違えもなくなる。

 人のシャンプーを使っただの使ってないだの、そもそも風呂が長いだのなんだの、そういうのも全部これっきり。

 それってすごく良いことなんじゃないだろうか。


 街でイタリアンのランチを食べ終えて、流れで両親と一緒に駅の改札までやってきた。

 小さなスーツケースひとつにまとまった荷物を預かって、その間に姉は身軽な恰好でみどりの窓口に向かう。

 しばらくして、彼女は発券したばかりの切符を片手に戻ってきた。


「いやあ、やっぱりひとりだと楽だね。二、三人で固まれる場所とかわざわざ探さなくていいし。簡単に取れちゃったよ」


 姉はチケットを手帳型のスマホケースにしまって、コートの内ポケットに滑り込ませる。

 それから、私の預かっていた菫色のスーツケースを受け取った。


「ちょっと早いけどホームに行っとくかな。指定席だけど少し並びそうだし」


 両親と簡単な挨拶を交わした彼女は、笑顔で手を振りながら去っていく。

 チケットを取り出して、改札のマシンに滑り込ませる。


「ちょっと」


 声なんてかけるつもりはなかったのに、気づいたら背中を呼び止めていた。

 姉はちょっと驚きながら振り返って、そのままにへらと笑った。


「なに? 急に寂しくなった?」

「そういうとこ、ホント嫌い」

「あらら」


 彼女はどこか嬉しそうに笑う。

 いつだってそう。

 私がどんな嫌味を叩きつけようと、彼女はただ、楽しそうに笑っていた。

 私はその顔に叩きつけるつもりで、ポケットから取り出した包みを放り投げる。

 不意を突かれた姉は、取り落しそうになりながも、咄嗟にスーツケースを手放して、両手でそれを受け取った。


「進学祝い。ブックカバー」


 単語を絞り出すのがやっとで、言い終わってから小さく深呼吸をする。

 受け取った姉はしばしぽかんと呆けていたけれど、やがて静かにほほ笑んだ。

 茶化すでも、馬鹿にするでもなく、ただニッコリと口角をあげるだけの微笑み。


「ありがと。大事にするね」

「あと、それと、いってらっしゃい、お姉ちゃん」


 「じゃあね」でも、「またね」でもなく「いってらっしゃい」。

 それが口から出たのは、どうあがいても私と彼女は家族なのだという証。

 姉もそれを分かっているから、ハッキリと首を縦に振る。


「いってくるっ」


 それが本当に最後の最後。

 今日、この瞬間から、家からひとり騒がしいヤツがいなくなった。

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