「妹よー! 妹はおるかー?」
騒々しさと共に、部屋の扉が蹴破られる。
本当に蹴破られたわけではないけれど、勢い的にはそれくらいで。
何となくでもこの生き物の不躾さが伝わればと思う。
「うっさい。勉強中」
「勉強? つまんねえなあ」
突然押し入っておいて、その言い草はなんだっていうんだ。
私は早々に無視を決め込んで机に向かう。
それがお決まりのパターン。
「もうちょっとお姉ちゃんに興味持とう? しばらく会えなくなるんだからさ」
そう言われて、私は握っていたシャーペンをその辺に転がして振り返った。
「いつ出てくんだっけ」
「今日、今この瞬間から」
「そう。じゃあお元気で……あっ、部屋の参考書とか適当に借りるから」
「それだけかよ。ちくしょー。なんて冷たい妹なんだ……」
姉はヨヨヨと泣き崩れる。
下手に構うと三文芝居のお遊戯会になるだけなので、後はもう口を挟まないのが正解だ。
ほっとけばいずれ、飽きるか満足していなくなるだろう。
案の定、彼女はすぐにいつものトーンに戻ると、何か思い出したようにぱっと顔を上げた。
「あ、そうだ、もういっこ用事あった」
「なに」
「お母さんが、駅まで送りがてらお昼食べ行こうってさ。私の出所祝いに」
どう考えてもそっちが本題じゃないか。
先に言え。
というか出所て。
「それだと犯罪者だけど」
「あれ、じゃあ快気祝い?」
「頭が悪いのなら治ってませんよ」
「おおう、相変わらずキレッキレだねえ」
なぜか拍手を送られた。
「芸人目指してるんじゃないんだけど」
「あはは、ごめんごめん、つい」
何がつい、だ。
打ち返す私も私だけど。
「そう言えば昨日、あんたのこと知ってる新一年生に会ったよ。学校はどこか知らないけど」
姉のことを見ていたらふと、昨日出会ったちんまい子のことを思い出した。
「新入生? あらやだ星ったら、入学式もまだなのに手が早いのね」
「そういうんじゃないけど」
「でもなんで私のこと? 中学生の知り合いは道場の子たちくらいだけど、そうじゃないんでしょ?」
「さあ……私、今の顔ぶれ知らないし。寮がどうこうって言ってたから、この辺の子ではないと思うけど」
「私の名もついに各地に轟くことになったかあ。照れるね」
言葉とは裏腹に、姉は顎に手を当ててキリっと窓の外を見る。
「で、私のこと聞かれてなんて答えたの? ウチの自慢の姉ですって?」
「違いますけどって言って、それで終わりだけど」
そもそも間違われること自体が不服でしかない。
髪、切ろうかな。
でもせっかく伸ばしたしな。
ここは姉がいなくなるまでの辛抱か。
「えー、つまんないのー」
姉は唇を尖らせて、ぶーと不満を吹いた。
私は参考書とノートを閉じて、後ろで束ねていた髪のヘアゴムを解く。
ちょっとクセがついてしまったけど、このくらいならドライヤーですぐ取れるだろう。
「着替えるから出てってくれる?」
「べつに減るもんじゃないじゃん」
「気を抜くと下着減るからダメ」
「それ、お姉ちゃんのせいじゃないから! お母さんが洗濯物取り違えてるだけだから!」
「気づいてるなら返してよ。ほっとくと上下バラバラのが増えてくんだから」
「はい、すいません」
姉はしゅんとして頭を下げると、そのままとぼとぼと部屋を出ていった。
明日からは洗濯物の取り違えもなくなる。
人のシャンプーを使っただの使ってないだの、そもそも風呂が長いだのなんだの、そういうのも全部これっきり。
それってすごく良いことなんじゃないだろうか。
街でイタリアンのランチを食べ終えて、流れで両親と一緒に駅の改札までやってきた。
小さなスーツケースひとつにまとまった荷物を預かって、その間に姉は身軽な恰好でみどりの窓口に向かう。
しばらくして、彼女は発券したばかりの切符を片手に戻ってきた。
「いやあ、やっぱりひとりだと楽だね。二、三人で固まれる場所とかわざわざ探さなくていいし。簡単に取れちゃったよ」
姉はチケットを手帳型のスマホケースにしまって、コートの内ポケットに滑り込ませる。
それから、私の預かっていた菫色のスーツケースを受け取った。
「ちょっと早いけどホームに行っとくかな。指定席だけど少し並びそうだし」
両親と簡単な挨拶を交わした彼女は、笑顔で手を振りながら去っていく。
チケットを取り出して、改札のマシンに滑り込ませる。
「ちょっと」
声なんてかけるつもりはなかったのに、気づいたら背中を呼び止めていた。
姉はちょっと驚きながら振り返って、そのままにへらと笑った。
「なに? 急に寂しくなった?」
「そういうとこ、ホント嫌い」
「あらら」
彼女はどこか嬉しそうに笑う。
いつだってそう。
私がどんな嫌味を叩きつけようと、彼女はただ、楽しそうに笑っていた。
私はその顔に叩きつけるつもりで、ポケットから取り出した包みを放り投げる。
不意を突かれた姉は、取り落しそうになりながも、咄嗟にスーツケースを手放して、両手でそれを受け取った。
「進学祝い。ブックカバー」
単語を絞り出すのがやっとで、言い終わってから小さく深呼吸をする。
受け取った姉はしばしぽかんと呆けていたけれど、やがて静かにほほ笑んだ。
茶化すでも、馬鹿にするでもなく、ただニッコリと口角をあげるだけの微笑み。
「ありがと。大事にするね」
「あと、それと、いってらっしゃい、お姉ちゃん」
「じゃあね」でも、「またね」でもなく「いってらっしゃい」。
それが口から出たのは、どうあがいても私と彼女は家族なのだという証。
姉もそれを分かっているから、ハッキリと首を縦に振る。
「いってくるっ」
それが本当に最後の最後。
今日、この瞬間から、家からひとり騒がしいヤツがいなくなった。