今日は何週間かぶりに中心街の方に足を運んだ。
地方都市の平日の日中ともなれば人もまばらで、いかに過疎化が進んでいるのかということを実感する。
目的地はあったのだけど、たまに来た中心街をそれだけで終わらせてしまうのも勿体ないので、散歩がてら周辺をうろうろする。
同じく春休みなのか、小中学生らしい少年少女が、はしゃぎながら傍を駆け抜けていった。
走り去っていく無邪気な笑い声。
あの頃にはもう戻れそうにはない。
路地にある部道具店の前を通りがかったとき、お店から少女がひとり出て来た。
彼女は入口の引き戸をあけたまま店内を振り返ると、深々と頭を下げる。
「ありがとうございました。これから、お世話になります」
それがあまりに突然のことだったもので、お辞儀と一緒に尻尾みたいに飛び出した彼女の竹刀袋の先が、私の脛にクリーンヒットした。
「っ!?」
声を上げる間もなく、痺れるような痛みが脳天を突き抜ける。
少女も何が起きたのか理解して、慌てた様子で振り返った。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
脛を押さえてうずくまる私に、少女はなにをできるでもなく、おろおろしながら何とか声だけを絞り出す。
背が低い、小学校高学年くらいに見えるパーカー姿の女の子。
たった今買ったらしい、ぴかぴかの革の竹刀袋が目に眩しい。
中学生になったお祝いに、中学生規格の竹刀を買いに来たのかな。
そんな風に見えた。
「大丈夫……ちょっと先っぽがぶつかっただけだから」
あんまり騒ぎにしたくもないので、空元気でもそう答えておいた。
ふと彼女の身体ごしに店内を臨むと、何かあったのかと感づいたらしい店の主人が、店の小上がりから腰をあげたのが見えた。
私は身体に鞭を売って、立ち上がる。
「ほんとに大丈夫だから……それじゃ」
「……あの!」
穏便に立ち去ろうとしたのに、背中から呼び止められた。
私は店から顔を背けるように、通りの側から振り返る。
「……何か?」
少女は振り返った私の顔をまじまじ眺めて、それから小首をかしげて、最後にはぶるぶると首を横に振った。
爽やかに切り揃えられたショートボブの黒髪が、さらさらと揺れる。
「ごめんなさい。人違いだったみたいです」
「そう、じゃあ、もう行くから」
「たびたび、ごめんなさいでした」
立ち去る私に、彼女は先ほどお店に向かってそうしたように、深々と頭を下げた。
いかにも武道家って感じだ。礼に始まり礼に終わる。
なんだちょっぴり気分がいい。
それから、私は本来の目的である老舗本屋に向かい、高校三年次の教科書類を買い込んだ。
三年次は二年次と共用のものも多いので、思いのほか量が少ない。
もう少し持てるなと思った私は、併設された文具屋で大学ノートのストックを購入する。
ついでに一階部分にあるコスメショップで新しいリップスティックを物色してみたけれど、京都で散財したことを思い出して今回は我慢することにした。
そうして店を出ようとしたとき、つい先ほど出会ったちんまいのに再び出くわした。
「あっ」
「えっ」
「あ」が彼女で、「え」が私。
かの小さな剣道少女は、ちょうど本屋の入口から出て来たところのようだった。
その胸には、私が持つのと同じ紙袋が大事そうに抱えられている。
ただし、厚さは私の倍はある。
「あれ……高校生?」
言ってからハッとする。
しまった、つい口にしてしまった。
だが彼女はこちらの真意なんて気づいていないようで、きょとんとした顔で私を見上げながら、こくりと小さく頷いた。
「はい。この春から高校生になります……見えませんか?」
あれ、やっぱり見透かされていたかな。
しかし、不満があるようには見えなかったので言われ慣れているのかもしれない。
「ごめん。私の勝手な勘違い。じゃあ、竹刀もサンパチを買ったんだ」
サンパチ。
地域によってはサブハチとも呼ぶらしい。
竹刀の規格で、その長さが三尺八寸以下であることを示す。
中学生はその下のサンシチ。
小学生ならサブロク――と、年代によってちょっとずつ長くなっていくのが特徴だ。
大学生以上になるとサンクで打ち止め。
サンクはメートル法で言えば一二〇センチ以下の規格。
佐々木小次郎でなくても、ちょっとした物干し竿である。
訊ねられた少女は、自分の背中に伸びる竹刀袋をちらりと見てから、また私に視線を戻す。
「はい。部活が始まる前に慣らしておきたくって」
「部活ったって、入学式すらまだでしょ」
「二週間も竹刀を握らないでいたら、身体が鈍っちゃいます」
そう言って彼女は、無表情のままふんと鼻を鳴らした。
どうやら感情表現が乏しいタイプの子らしい。
さっきは平気に見えたけど、小学生に見間違えたことも実は怒ってるかな。
「あの、もしかして狩谷明さんですか?」
少女の口から思いもよらない名前が出てきて、私はわずかに息を飲んだ。
「……違いますけど?」
動揺を悟られないように、平静を装って首を横に振る。
だけど変に敬語になってしまった。
少女は私の答えに残念そうに肩を落として、それからまた頭を下げた。
一年生用の大量の教科書を抱えているせいもあるだろう。
先ほどの部道具店でのそれとは違って、控えめな、会釈のような礼だった。
「ごめんなさい。どことなく似ていたものだったので、つい」
「別にいいけど」
そうか。
ウチの姉を知っているのか。
これは結構な通……いや、単純に意識の高いガチ勢か。
どっちにしろ、その妹だと気づかれる前に、早めに退散した方がよいのかもしれない。
「お姉さんも高校生……ですよね?」
彼女は、私が同じ紙袋を持っているのに気づいて、首をかしげる。
「そうだけど」
「剣道部なんですか? どこの高校の?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問。
大人しい子かと思っていたけれど、予想より積極的だ。
どことなく目の色がさっきよりも輝いているような気がする。
これはどちらかというと、アヤセみたいな対人特化型ではなく、ただの剣道馬鹿だ。
「違うよ。中学までやってたってだけ」
「じゃあ、今は辞めちゃったんですか?」
「受験勉強が忙しいからね」
「はあ」
彼女は納得したような、していないような、曖昧な様子で頷く。
それから右手に着けた腕時計を見て、小さな悲鳴を上げた。
「あっ……ごめんなさい。そろそろ行かないと」
「なんか、時間を取らせちゃってごめん」
「いえ、寮の顔合わせがあるというだけなので……では、これで」
彼女はぺこりと、今度は教科書を抱えたままでも深くお辞儀をして、そのまま商店街の彼方に消えていった。
残された私は、なんとなく三度出くわす気まずさは回避したいなと思って、近場のバーガーショップで遅めの昼食をとっていくことにした。
今週末には、ウチの高校にも新入生が入ってくる。
そして新学期の始まりだ。
そう言えば、どの高校に入ったのかくらい聞いても良かったなと、ポテトをつまみながら自分の行動を振り返った。
そういうところが、私とアヤセの大きな違いなんだろう。
そう思ったら、やっぱあいつすごいなと、つくづく感心するものだった。