目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
4月2日 私のdiary

 旅行明けの土曜日だけど、今日も今日とてバイト日和だ。

 いろいろとあって最終的には疲れが残った旅行ではあったけれど、広義的には四日もかけてリフレッシュしてきたことになるのだろうし。

 来週から学校が始まるとなれば、バイトに十分な時間を割けるのもこの土日が最後になる。


 京都土産の定番「生八つ橋」を、「ご自由にどうぞ」のメモ書き付きで休憩室に広げておく。

 それから表に出ていくと、この世で一番見たくない顔がレジで会計を済ませていた。


「あらー、タッチの差だったか。もうちょっと遅く来ればよかったな」


 姉がお釣りの小銭を財布に入れてから、こちらに向けて手を振った。


「いらっしゃいませー」


 私は棒読み対応で最低限の業務だけこなすと、そのままレジカウンターを素通りして返却ボックスのゴミの片付けに向かった。


「ちょっとー! 大好きなお姉様に何かひとこと無いのー?」


 背中にかけられた声を完全に無視して、ただ黙々とゴミ袋を新しいものに入れ替える。

 肉親来店イベント。

 それは世のアルバイターにとって、おそらく友人来店イベントよりも気まずく、避けたがるイベントだろう。

 少なくとも私は、事前に権利さえあるのなら、断固として拒否したい。


「あらー、お姉さんお久しぶり。あと、ご卒業おめでとうございます」

「いやいや、ありがとうございます。高校なんて三年通うことさえできれば卒業できるんですけどね」

「そんなこと言ってー。いずれ、貴重な三年間だったなーって思うようになるんですよー」


 観念して受け取りカウンターへ向かった姉は、さっそくあのバリスタと世間話に花を咲かせていた。

 なんというか、やり取りがすごく井戸端会議の主婦っぽい。


「進学はどちらに? 狩谷さん……ああ、星ちゃん、あんまりそういうの教えてくれないものだから」

「東京の大学に潜り込みましたよ。そういうことで、来週からこっち離れます」

「そうなんだ。寂しくなりますね」

「これ! こういう会話だよ! ねえ妹よ!」

「私に振らないでよ」


 横を素通りしながら、ひと言だけ断りを入れておく。

 私はカウンターの中に入ると、持っていたゴミ袋に辺りのゴミも全部ぶち込んだ。


「もー、せっかく東京に発つ前に妹の雄姿を眼鏡に収めようと思ったのに」

「じゃあその眼鏡を割ったら万事解決だ」

「やめてっ! そんなことしたら眼鏡美少女がただの美少女に……ってこれもうやったな。二番煎じはいくない」


 姉は謎のこだわりでネタを引っこめると、そのまま腕を組んで唸りはじめる。

 きっと、脳内のネタストックをひっくり返しているんだろう。

 そういう時は、触らぬ神に祟りなしだ。


「狩谷さん、あんまりお姉さんに意地悪しちゃだめだよ」

「意地悪じゃなくて、当然の報いです」

「お姉さんはいったい何をしたの?」


 姉だって、地主神社での一件を忘れたわけではあるまい。

 向こうしばらくは、かつてない針のむしろにさらされる覚悟はしてもらわないと。

 バリスタは困ったような、でも楽しそうな、曖昧な笑顔を浮かべると、完成したホットチャイティーラテのマグを姉に手渡した。


「あっちでは独り暮らしなんですか?」


 姉はトレーごとマグを受け取ると、セルフスタンドのシナモンパウダーやらの容器を手に、好みのトッピングを開始する。


「友人とルームシェアする予定ですよ。最初の二年は下北沢で、順調にいけば三年目からはキャンパスが変わるので、そのタイミングで引っ越しを検討中です」

「じゃあ、二年間はあんまり買い物しないように気をつけなくっちゃね。都内とはいえ、引っ越しは大変だよー」

「星さえ良ければ、来年ウチに転がり込んで、そのまま住み続けてくれてもいいんだけどねー」

「仮に東京に行ってもそれはないから。契約年数だってぐちゃぐちゃになっちゃうじゃん」


 たいてい二年契約らしいし。一年だけダブってそのあと追加で二年って、すごく収まりが悪い。

 それなら、自分で新たに契約した方が面倒じゃないに決まっている。


「引っ越し調子を相方に聞いたんだけどさ、言ってたよ。日記帳、ちゃんと使ってるのかって」


 その言葉にどきりとする。

 いったいなんてことをこの姉に、もう一回言おう、この姉に言ってくれたんだ。


「えー! 狩谷さん、日記つけてるの? かわいいー!」


 ほら、雌狸が水を得た魚みたいにイキイキし始めたじゃないか。

 そのまま柴を背負わせて火いつけたろか。

 姉も完全に楽しんでる顔で、ニヤニヤと視線を送ってくる。


「せっかくプレゼントしたのに、ちゃんと使ってるのかなーって心配してたよ。で、書いてるの? 机のどの引き出しに入ってる?」

「教えるわけないでしょ」


 そして引き出しになんて入れるもんか。

 絶対に誰にも見られないように、いついかなる時でも肌身離さず持ち歩いてるに決まってる。

 そういうことを言うと、お風呂に入ってる時にでも家探しされそうなので、あえて明言はしないけど。


「ね、ね、どんなこと書いてるの?」


 バリスタは、すっかり仕事をほっぽって食い気味に尋ねてくる。

 私は内心めんどくさいなと思いながら受け答えた。


「別に……普通にその日あったこととか、友達と話したこととか、メモ書き程度に書いてるだけですよ。ただの日記です」


 ただの日記。

 実際のところ、全てはそれに集約する。

 日記なんて書いたことないし、他人のも読んだことはないので何が正しいかなんて知らないけれど、少なくとも変な使い方はしていないはずだ。

 殺したいヤツの名前を書いてるとか、誰かへの恨み言を書いてるとか……あれ、恨み言は書いてるかも。主に姉への。


 そんな返事でもバリスタは納得したのか、我が子の成長を見守るみたいに温かく頷いていた。


「狩谷さんもちゃんと青春してるんだね。お姉さんは安心したよ」

「血の繋がったお姉ちゃんも安心だよ」


 そうして、ふたりでうんうん頷き合う。

 なんなんだこれは。ほんとに井戸端会議じゃないか。

そういう時はさっさと退散するに限る。


「私、テラス席のバッシングに行ってきます」

「えー、じゃあお姉ちゃんもテラス席いくー!」

「客なんだからバッシング終わるまで待て」


 有無を言わさず姉を静止させて、すたすたと店の外へと抜け出していく。

 それからぼんやりと、更衣室のロッカーって鍵掛けたっけと、自分の行動を振り返った。

 流石にあの雌狸もそこまでしないと思うけど……一応、戻り際に確認しに行っておこう。

 そうしよう。

 私の中で、あの手の人間の信用度は基本的にゼロである。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?