最寄りの空港から大阪伊丹までだいたい一時間半。
そこから京都駅までバスで一時間。乗り継ぎを挟むせいか、長いんだか短いんだかいまいちハッキリしない時間を経て、私たちは京都の地に立っていた。
時刻はもうお昼時だけど、とりあえず荷物の置き場を確保するのも兼ねて、先に二日間を厄介になる宿の方にチェックインすることにした。
「それにしても、こんなところよく見つけたね。さすがは我が妹だ」
大部屋の和室で手荷物の整理をしていると、姉はごろんと畳に寝転びながら口にした。
「たまたまSNSで見かけただけ。空いてたのも含めて運が良かった」
今回、一日目と二日目の宿に選んだのは、九条の路地裏にある古民家リノベーションのフリースペース。
要するに、民営している公民館のような施設だ。
一階部分はまるまる大部屋のリビングと、台所、ユニットバス、トイレなどの水回り。
二階部分には寝室が二部屋。
すべて和室で、布団さえ敷けば一階の大部屋にもそれなりの人数が泊まれるだろう。
これで京都駅から徒歩十分。
お値段なんと、何人泊まっても約一万円。
おそらく主に大学生がサークル合宿なんかで使う場所なのだと思うけれど、電話して予約さえとれれば誰でも泊まれるので問題はなかった。
「明ちゃんひさしぶりだねー。卒業式で会ったはずなのに、なんか長いこと会ってなかったみたいな気がするよー」
「明ちゃんも寂しかったぞー。誰かさんのおかげで、飛行機とバスじゃほとんど話せなかったからね」
ユリと姉で女子高生ふたり……あ、片方はもう卒業したか。
とにかく女ふたり、ひしりと抱き合いながら再会を喜ぶ。
「飛行機もバスも、真ん中通路の二席ずつだったから仕方ないでしょ」
私は姉に向けられたじっとりとした視線を無視すると、キャリーバッグの中に丁寧に詰めて来たセーラー服を取り出した。
「おおー、ホントに持ってきたんだ」
「それがユリの望みだったから」
「ふうん?」
姉はにやにやと笑みを浮かべる。
「なに?」
「ううん、良いんじゃない」
そう言って彼女も、小さなポーチに観光用の手荷物をまとめ始めた。
「明ちゃんもあたしたちと一緒に来ればいいのに。制服なくても大歓迎だよ?」
「んーん、大丈夫。私は私で観光ルート決めてるしね。それとも、私の幕末列伝巡礼の強行軍について来る?」
姉は、スマホの地図アプリの画面を印籠のように突き付ける。
ユリと一緒に覗き込んでみると、京都市内外にびっしりと、それこそ隙間なんてないんじゃないかってくらい大量のマーカーピンが突き立てられていた。
そう言えばこの人、幕末ガチ勢だったな。
流石のユリもこれは……と思って隣を見ると、彼女はどこか興奮した様子で食い入るように見入っていた。
「おおおお!? これはこれで……いい!」
「ユリちゃんなら分かってくれると思ってた!」
ユリは姉の旅行計画を前に、もだえ苦しむように身をよじり、唸ってから、やがて煩悩を振り払うみたいにぶるぶると首を横に振った。
「でも今回は修学旅行だから……修学旅行には修学旅行のテーマがあるの! でも次の機会は絶対連れてってね!」
「残念、フラれちゃった。じゃあユリちゃんはまた今度ね」
姉がすまし顔で私を見るとウインクをひとつ飛ばす。
ウザい。
が、今は誘惑に負けなかったユリを褒めたたえよう。
コングラッチュレーション。
「ところで、私はまだ観光ルート聞かされてないんだけど」
昨日の買い物のあと、アイスを食べながら軽く話は振ったのだけど。
ユリは「まだ計算中!」と言って、詳細を教えてはくれなかった。
計算が必要なほど緻密なスケジュールなんだろうか。
せっかく三泊もあるのだし、ギチギチに詰め込むのは勘弁してほしい。
「大丈夫! 完璧だから任せて!」
「うん、だからどこ行くのって」
「えっとね、まずは金閣寺」
ふん、なるほど。
思ったよりメジャーな観光スポットで、前のめりに身構えていた分、少し拍子抜けだった。
でも、修学旅行っぽくて良いんじゃないだろうか。
私もなんだかんだで行ったことないし、金閣寺。
「ということで、金閣寺でーす!」
京都駅でバスに乗って数十分。
あっと言う間というほどではないけれど、私たちは金閣寺とのご対面を果たしていた。
「すご。ほんとに金ぴかなんだ」
写真くらいは見たことあるけれど、もっとペンキみたいな黄色をしていると思った。
金箔ってちゃんと光り輝くんだな。
池に映る影も含めて、ちょっと感動。
「すいませーん! 写真撮って貰えますか?」
ユリはその辺にいた観光客の御婦人を捕まえてスマホを渡すと、私の腕をとってぐいぐいと池の柵のほうへと引っ張っていく。
気の良いご婦人は笑顔でスマホを構えると、縦と横のアングルでそれぞれ記念写真を撮ってくれた。
お礼を言って、スマホを返してもらう。
ユリは写真の出来栄えを満足そうに確認してから、きょろきょろと周囲や空を見渡した。
「流石に鳥は邪魔しにこないかあ」
「何の話?」
平常運転のユリは置いといて、私はしばし魅惑の黄金に心を委ねることにした。
「ということで次は北野天満宮でーす!」
続いてのスポットは、金閣寺からほど近く、梅と紅葉で有名な北野天満宮だった。
これまた定番スポット。
紅葉の時期に家族で来たことはあるけれど、春に来るのは初めてだ。
梅の時期はもう終わり際だけれど、紅梅と枝垂れ梅がまだ美しく咲いていた。
「祓いたまえ清めたまえ……」
私は、熱を入れて拝殿に手を合わせる。
天満宮と言えば菅原道真。
すなわち学問の神様だ。
ついさっき仏門世界に心を委ねたところだというのに、ずいぶんと節操なしだなとは自分でも思う。
でも人生でそう何度もない受験シーズンから。
今だけは許してもらいたい。
「さっき通った門は三光門って言って、お日様と、お月様と、お星様を表してるんだって。全部合わせると明ちゃんと星ちゃんだね」
「一気にご利益なくなった気がするんだけど」
「門にはお日様とお月様の彫刻があるんだけど、お星様だけはないんだって。だから星欠けの門っても呼ばれてるんだよ」
「もっとご利益が薄れたんだけど」
受験の祈願をしてるのに何てことを言うんだ。
それにしても、相変わらず日本の文化に関しては博識だな。
聞きたくない知識ではあったけど。
「大丈夫だよ。あたしはいつだって星のこと拝めるから、ちゃんと三光のご利益あるよ」
「それ、私には何の得もないんだけど」
「あいたっ」
ぴしりとユリの額を小突いてやると、彼女は両手で押さえてうずくまる。
けどすぐに跳ね起きると境内の一角を指さす。
「そうだ、牛! 牛! 牛撫でなきゃ! べえべえしてやるべえ!」
「そんなに慌てなくても」
「でもあんまり時間ないから。この後は嵐山弾丸ツアーだし」
「は?」
嵐山?
これから?
「それ、大丈夫なの? 嵐山って丸一日使って観光するようなとこでしょ」
もう三時のおやつも過ぎてるんだけど。
これから移動して、観光して……え、帰り何時になるの?
「大丈夫大丈夫。最短も最短のルートで回るし。渡月橋見て、モンキーパーク見て、あとは流れでって感じ」
「無理して今日行くなら、三日目の温泉宿が嵐山なんだけど」
「そうなの!? そういうのは先に言ってよー!」
「相談する暇を与えなかったのはどっちよ」
ルート教えてもくれなかったし。
せめて嵐山に行くってことくらい教えてくれれば、宿を取ってることくらい共有できたのに。
ユリはというと、そんな逆境にもめげずにぐっと拳を握りしめて力説する。
「うーん、でも今日いく! 今日じゃないとテーマ達成できないから!」
だからそのテーマってなんなんだ。
私の心配などお構いなしに、ユリはまだ比較的高い位置にある太陽を見上げる。
陽が長くなったのは、唯一の救いかな。
「明日は明日の、明後日は明後日のテーマがあるんだよ。牛を撫でたらいざ嵐山!」
それから彼女はずんずんと、ひとりで行進するみたいに歩き出した。
仕方ない。
そもそもギリギリに決まった、まともに準備の時間も取れなかった旅行だし。
ぐだぐだな感じになっても、それはそれで笑い話になるかもしれない。
結局、本当に嵐山弾丸ツアーを強行した結果、宿に戻ったころにはとっぷりと陽が暮れるどころか補導時間ギリギリになってしまっていた。
勝手に着ている制服で、しかも深夜にうろついて補導なんて洒落にならない。
そこだけは本当に焦ったし、安心した。
その後に待っている姉のお小言くらい我慢しようじゃないか。