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3月28日 で、お姉ちゃんのは?

 京都への出立を明日に控えて、今日はユリと一緒に買い物に来ていた。

 場所はいつものモール。

 昨日までの合宿を終えたユリは、今日から始業式にかけては自主練という名の休みだ。

 この期間は、どの部員もたいていは体幹や柔軟といった基礎トレを、思い思いの場所でするだけらしい。

 練習が厳しく忙しいチア部の面々にとっては、数少ない休息期間だという。


「とはいえ、何か買うものってあるの? スキンケア用品の小分けボトルくらいは買っても良いかなと思っていたけど」


 本当の修学旅行というわけでもないし、時間も行動も融通がきくのだから、足りないものがあったら現地で買ったらいい。

 そういう感覚だったのだけれど、ユリはどうやら違ったらしい。


「どうしても準備しなきゃいけないもの、あるでしょ?」


 念を押すように言われたので考えてみるけど、だめだ、全くもって心当たりがない。


「ごめん、わかんない」

「えー、パジャマだよパジャマ!」


 そうなのか?

 何がどういう理由でそうなったのか、私の理解力ではサッパリわからなかった。

 ユリはというと「信じらんないなもー」と頬を膨らませながら、鞄から薄い冊子を取り出す。

 どこかで見たことがあると思ったら、昨年末に行われた“修学旅行in地元の温泉宿”のしおりだった。


 ユリはそれをぱらぱらめくると、持ち物の欄を指す。


――各部屋には浴衣も用意されており、貸し出し用の色浴衣もありますが、体操着など動きやすい服装を準備しても構いません。


 ごく当たり前の文面だ。

 ただし、その「各部屋には~」から「~色浴衣もありますが、」にかけて赤いボールペンで打ち消し線が引かれていて、代わりに「体操着など」の「など」がぐりぐりと何重もの丸で囲って協調されていた。


「それがどうしたの?」

「ええっ、これでもわかんないの!? 星……女子高生として終わってるよ?」

「納得いかねえ」


 それだけは譲れないんだけど。

 絶対に。

 ユリは肩と肩を押し付け合うくらいに身を寄せると、熱の入った教師が教科書をビシビシ叩くみたいに、丸をつけた「など」を指し示した


「ここ、ここ、ここだよ! このたったふたつの文字に全国の女子高生がどれだけ心をすり減らして、もだえ苦しんでいることか!」

「知らないけど」

「温泉修学旅行はね、よかったの! 浴衣があったから! その選択肢を選ばない人はいなかったから! それはもう平和だったさ! もう戻れないあの頃……青春って無常だね」

「あんた誰よ」


 放っておくと、どこまでも話が脱線してしまいそうなので、あまり気は乗らないけど口を挟んでおく。


「それで、そのふたつの文字がどうしたって? 要するに体操着でも、スウェットとかでもいいって話でしょ」

「ちがーう! わかってない! わかってないよ星は! いい? 修学旅行の夜って言うのはパリコレクションなんだよ! みんなが集まる応接室は、さながら欲望と羨望が渦巻くランウェイなんだよ!」

「ちょっとわかんないかな」


 客観的な事実を述べただけなのに、ものすごいダメ出しを食らった。

 なんなんだ、その熱量は。

 というか今回の旅行は修学旅行のリベンジではあるけど、修学旅行ではない。

 私たち以外の生徒もいなければ、引率の教師もいない。

 なお、姉は最初からいないものとする。

 各種の予約は全て任されたので、行き帰りの飛行機は2:1で席をとってやった。

 ざまあみろ。


「要するに、お洒落なパジャマが欲しいってこと? 見せる相手もいないのに?」

「星と明ちゃんがいるじゃん」


 まったく……リベンジとは言っても、流石にこだわりすぎじゃないか。

 でも、それがユリのモチベーションになるのならいいけれど。


「パジャマって言ってもいろいろあるじゃん。普通に可愛いのから、スウェットみたいにゆったりしたの、あと着ぐるみみたいなネタ枠とか、うーん、温泉でも着たけど、京都なら浴衣も捨てがたいよねえ」


 彼女は思いつく端から、次々と候補を出してくる。

 そのたびに私は頭の中のユリに着せ替えをしては、どれも捨てがたいなと固唾を呑む。


「星はどんなのが良い?」

「ベビードール」

「わーお、オトナだね」


 しまった、ぼーっとしてたら欲がだだ漏れた。

 流石にこれはヒかれたかもしれない。

 私ならヒく。

 恐る恐る、ユリの表情をうかがう。


「でもベビードールってベビーだよね? じゃあむしろ子供っぽいのかな? わかんないなあ……星はどう思う?」

「ああ、うん。似合えばそれでいいんじゃない」

「もうー、選び甲斐がないなあ」


 ユリがアホで良かった。

 そうこうしながら、私たちは立ち並ぶ衣料系の店舗から、寝具コーナーだけを狙ってハシゴをする。

 普段の買い物ではパジャマなんて目に止めないので、改めて見て回ると思ったよりも種類があるもんだと感心する。


「ところで、今はどんなのを着てるの?」

「えーっとね、普通のお洋服みたいなのでね、色はライムミントに茶色の水玉でね……そう、チョコミント!」


 チョコミントか……うん、いい。

 ぶっちゃけ今の買い物には何の関係もないけど、聞いてよかった。

 そして、なんかアイスを食べたくなってきた。

 買い物後のお茶の当てが決まった。


「ねえ、ぼーっとしてないで星も選んでよ。意見出してくれないと決まんないじゃん」


 腕をぐいぐい引っ張られて、意識がバスキン・ロビンスから帰ってくる。


「選ぶったって、ユリのなんだからユリの好みで選べばいいでしょ」

「えー、星は買わないの?」

「私はいつもスウェットだけど」


 買うにしても新しいスウェットかな。

 さっきちょっと良いのを見つけたので、アタリはすでにつけている。


「えー、それじゃつまんないよー。せっかくお揃いにしようと思ったのに」

「お揃い……?」


 予想もしてなかった言葉に、ちょっとだけ考えを改める。

 お揃い……かあ……まあ、それなら……真面目に考えなくもない。


「あたしだけの好みだと、星に合わないかもしれないでしょ? だから星の意見も欲しいの!」

「なるほど」


 私は気持ちを入れ替えて、それまで横目に流していた商品棚やマネキンに目を向ける。

 ざっくり、それでいてユリと自分の好みを照らし合わせて。

 そうやって、私は商品のひとつに目をつけた。


「これかな」


 それは、見た目こそ普通の洋服タイプに近いデザインのパジャマ。

 だけど中央の合わせ目のボタンはなく、代わりに首元から腋の下にかけて特徴的なスリットが刻まれていた。


「あっ、かわいい! なんだっけ、アオザイ? っぽいね!」


 ちょっと前に流行ったような気がするけれど、まだこれ系の新作が出てたんだな。

 寝具用デザインなので、だらんと膝下まで垂れる裾はないけれど。

 それでも可愛さと綺麗さを兼ね備えた、良くも悪くも、誰が着てもある程度似合う優れもの。


 ユリは、いくつかカラーバリエーションがある中からひとつを選んで自分の身体に当てると、にっこりと笑みを浮かべた。


「いいね、これにしよう。色違いがいいかなあ。星はこっちの白いので、あたしはこっちの緑の」

「チョコミントと被らない?」

「うーん……カワイイからよし!」


 ユリは迷ったんだか迷ってないんだか、よくわからない間を置いて、ビシリと親指を立てる。

 予定外の出費だけどそこまで高いものでもないし、ここは旅を楽しむ必要経費と割り切っておこう。

 宿なんて、一日中歩き回ってから戻って寝るだけくらいの場所に考えていたけれど。

 京都の夜の過ごし方にも、少し楽しみが増えたような気がした。


 夕方、家に帰ると姉がリビングでテレビを観ていた。

 彼女はソファーの背もたれに寄り掛かるようにして振り返ると、しゃぶっていたスルメのゲソを噛み切る。


「おかえりー。明日の準備? 何買ってきたの?」

「化粧水とか持ってく用の小分けボトルと、携帯除菌シートとかの消耗品と、あとパジャマ」

「パジャマ? なんで?」

「ユリがお揃いにしたかったんだって」


 姉が小首をかしげる。

 そうだよね。

 それが普通の反応だ。

 やっぱりユリが過剰に考え過ぎなだけだと思う。

 私は手洗いとうがいを済ませてから、部屋に引っ込もうとする。

 すると、その背中を呼び止められた。


「いいじゃん。で、お姉ちゃんのは?」

「は?」


 言ってる意味が分からなくって不躾に聞き返す。

 姉はムッとしたような、拗ねたような、すごく色んな感情が交ざったような顔で頬をぷっくり膨らませた。


「お姉ちゃんのは!?」

「ないけど」

「なんでなの!」


 そんなこと言われたって、なにひとつ気にも留めなかったんだから仕方ないじゃないか。

 明日からの旅行は楽しみだけど、やっぱり姉の扱いがめんどくさそうだなと再確認した夜だった。

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