「先週、心炉とお茶したんだって?」
タイムカードを押してフロアに出るなり、アヤセの口からそんな言葉が飛び出してきた。
私より一時間ほど先にシフトに入っていた彼女は、レジの中締め作業を行いながらにやついた表情で出迎える。
「ほんと耳が早いこと。情報源は……」
ちらりとカウンターの奥に目をやると、作業台のバリスタと目が合った。
彼女は露骨に目をそらしてから、鼻歌まじりに大きな業務用コーヒーマシンを磨き始めた。
この雌狸め。
「それで、狩谷さんちの星ちゃんは心炉ちゃんと何を話したのかな?」
「別に、ただの世間話だよ。趣味のこととか、家のこととか」
「真面目か。でもうちの学校きっての真面目ちゃんふたりだしなあ……」
アヤセは当てが外れたみたいにがっくり肩を落として、そのまま小銭を数える作業に戻っていった。
何を期待してたんだこいつは。
「で、何話したん?」
「毒島さんち、親が警察官と弁護士さんなんだって」
「へー、ほかには?」
「変なTシャツ集めるの趣味だって言ってた」
「なんだそりゃ」
なんだそりゃと言われても、言葉の通りなのだけど。
でもあのTシャツのセンスを言葉で伝えるのは、私の語彙力では少々荷が重い。
「なんだよ、ほんと真面目かよー」
「いったいアヤセは何を期待してたの」
「そりゃ、この時期に生徒会長と副会長がふたりで密会なんて言われたら、あることないこと想像するだろ」
「あることの心当たりがないし、ないことは想像するな」
「ちぇー、つまんねーの」
アヤセは唇を尖らせながら、数え終わった小銭をドロアに戻すと、ちょっとスネたように大げさな動きで閉めた。
「てかアヤセこそ、いつの間に心炉ちゃん」
意趣返しのつもりで尋ねると、彼女はきょとんとした顔で小首をかしげてみせた。
「そりゃ、なんかなあなあだけど友達ってことになったし。あいつ、苗字で呼ばれるの嫌いそうだったし」
「らしいね。私も彼女の立場なら同じこと感じると思う」
「だったら名前で呼んだれや」
「それとこれとは話が違うけど」
こっちは必死にタイミングを計っているんだから、しばらくほっといて欲しい。
誰とでもすぐに仲良くなっちゃうアヤセとは、基本的な頭の構造が違うんだから。
「そういや、ユリとは京都に行くことにしたんだって? 昨日遅くまで電話に付き合わされてさ、観光ルートを長々と説明されたわ」
「電話? ユリが?」
「おう。私も驚いた」
どうやら、彼女は着々と文明の利器を使いこなし始めているらしい。
というか観光ルートって何のことだ。
聞いてないんだけど。
アヤセは周囲にお客がいないのを確認すると、そのままべたーっとカウンターに突っ伏した。
「いいなあー京都。私も行きたいなあー」
「ひとりくらいなら今からでもねじ込めると思うけど?」
正直、姉が来るのが決まった時点でもう三人も四人も変わらないと思っている。
それにアヤセが来るならユリも喜ぶだろうし。
飛行機の予約は一人増やすくらいわけないし、宿の予約も少なくとも一日目と二日目に関しては問題ない。
三日目の夜は、旅の疲れもあるだろうからと温泉宿を取ったから、その人数を増やせるかどうか次第。
「行きたいのはやまやまなんだけどなー。三月末は家が忙しいんだよなあー」
「和菓子屋ってそんなに忙しいの?」
「忙しいんだよ、これが。ぶっちゃけイートイン始めてから年中忙しいくらいなんだけどさ」
「それなのに、こんな北欧の風を感じるカフェでバイトしてていいの」
あれ、本社自体はアメリカだったっけ。
まあいいや。
「それとこれとは話が別だろ」
そう言ってアヤセは、悪戯っぽい笑顔で私を見つめた。
意趣返しのつもりか。
あんまり家庭の事情に突っ込むのもなんなので、そのしっぺ返しは受け止めよう。
「それなら、アヤセはいつまでバイト続けるの?」
「うーん、まあ夏休み終わるくらいまでって感じかなあ。星は?」
「私はどんなに続けても夏休み前くらいまでかなって」
つい昨日、すぐにでも辞めてやろうかと思ったし、今でもそう思ってるけど。
「え、マジ? じゃあ私もそんぐらいにしとくかな」
「だめえ!!」
アヤセがふと口にした瞬間、背後から悲痛な叫びが響いた。
ぎょっとして、ふたり同時に振り返る。
バリスタの同僚が縋りつくみたいに、アヤセのサロンのすそを掴んでいた。
「ふたりとも一緒に辞められたら困るよ! 狼森さん、ただでさえ仕事もよくできるのうえに、お客さんの評判も良いんだから! 高校卒業したら大学生でしょ? そのまま働いてえ! なんなら大学も卒業したら社員になってえ! 私が上に口きくからあ!」
そう矢継ぎ早にまくしたてるので、私もアヤセもあっけに取られてしまった。
なんなんだ。
てか、私の時と反応が全然違うじゃないか。
ちょっとショックなんだけど。
涙の別れは戦力外の合図?
「いや、でも私、まだどこの大学行くかも決めてないし……その、県外に行くかもしれないわけで。というか、今のところその可能性の方が高いと言いますか」
アヤセは心底慌てた様子で、しどろもどろと言葉を返す。
それから助けを求めてこっちを見たので、私はちょっぴり拗ねたみたいにそっぽを向いてやった。
「就職先決まってよかったね」
「助けろよバカあ!」
彼女の泣き言を聞き流して、私はお客が帰った席の掃除に向かう。
一勝一敗二引き分けってところかな。
なんだかんだで、彼女と話すのは心地いいなと思う自分がいるのであった。