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3月23日 私が嘘ついたことある?

 修了式が終わって、いよいよ高校二年が終わりを告げる。

 厳密には今月いっぱいはそうなのだろうけど、登校日が終わってしまえば気持ち的にはもう三年生だ。

 授業もなく、式とホームルームを経て自由の身。

 担任の話も大したものはなく、新年度の日程と、受験生になるにあたっての心構えみたいなものをとうとうと聞かされて終わった。


 そこから部活の時間になって、いつも通り練習をするなり、年度末の打ち上げをするなり、ご自由にどうぞといったところ。

 生徒会は特に何もないので、アヤセや後輩ちゃんたちもそれぞれの部に顔を出しに行った。

 ユリも言わずもがな。

 毒島さんは、私とふたりだけでも生徒会の打ち上げをしたいようだったけれど、流石に意味がないので丁重にお断りしてしまった。

 ただ、ひどくショックを受けていたようなので、春休みにまたお茶くらいならという約束だけすることに。

 具体的な日程は決めなかったので、そのままご破算になるかもしれないけれど、それはそれで。


 春休み中はバイトも少し多めに入れておきたいし、ユリとの旅行の日程もいい加減組まないといけない。

 案外やることが多くて、短い休みはあっという間に終わってしまいそうだ。


 放課後にひとりになるのは久しぶりで、なんとなく図書室の閉館時間まで勉強をしていた。

 ユリもアヤセもいない学校での生活は、なんだか物足りなくて、どれだけ他の生徒とすれ違い、時に知り合いと話をしても、ひとりぼっちのような錯覚に陥る。

 だけど家に帰るのはなんだか負けたような気がして、孤独と静寂をよしとする図書室にこもりきりになってしまっていた。

 私は何と戦っているんだろう。

 たぶん分りきったことだった。


「下校完了まであと10分だぞ」

「ありがとうございます。また新学期に」


 司書さんに半ば追い出されるようにして、図書室を後にする。

 いいかげん帰ろう。

 部活の喧騒もなくなり、校内の生徒もとっくにまばらだ。

 それは私が孤独に打ち勝った証だと思う。


 だと言うのに、昇降口にたどり着いた瞬間、見知った顔を見つけてしまった。

 いや、見知ったというか、その横顔はどれだけ顔を合わせなくったって忘れるわけがない。

 彼女はあの卒業式の日にそうしていた場所と全く同じところで、全く同じように薄暗がりの空を見上げていた。


「あっ、星! やっときた!」


 彼女――ユリが私の姿に気づいて、ペタペタと駆けてくる。

 一瞬、また泣いているのかと思ってどきっとしたけれど、いつものほんわかした笑顔の彼女だった。


「何? 待ってたの? てか部活は?」


 感情が追いつかなくて、矢継ぎ早に質問をしてしまう。


「部活は終わったとこ。もうへとへとだよー。帰ろうと思って下駄箱に来たら、星の外履きがまだあったから待ってたの」

「そう言うことなら連絡よこしなさいよ。何のためのスマホなの」

「スマホ家に置いてきちゃった」


 ユリはぺろっと舌を出してウインクする。

 ほんとに携帯を携帯しないやつだ。

 旅行のこともあるし、いい加減これは矯正しないといけないのかもしれない。


「もしかしてアヤセも待ってる?」

「ううん、あたしだけ。アヤセは書道部の打ち上げって言ってたよ」

「チア部は打ち上げないの?」

「ないない。いつも通りの平常運転でーす。代わりに春休みに軽い合宿があるから、パーティーみたいなことするならその時かな」


 チームワークとか、結束力とか、そういうのが大事な部活は本当に合宿が多い。

 私も中学のころは部活でそういう経験があったけれど、それでも春の地区総体の前に一回。

 あと三年生が引退してから夏休み中あたりに一回あるくらいだった。

 対するユリたちはと言えば、「また?」と素で思うレベルで数ヶ月おきに合宿という言葉を聞いているような気がする。

 それが全国区チームの強さの秘訣なのかもしれないけれど。


 校内放送で下校完了時刻5分前の知らせが入る。

 立ち話もなんなので、私は靴を履き替えて、ユリと一緒に校舎を後にした。

 三月も暮れになって春らしさが出て来たけれど、陽が落ちてくればまだまだ風が冷たい。

 図書室で温まった熱が逃げて行かないように、コートの襟元をしっかりと寄せる。


「それで、その合宿ってのはいつなの?」

「えーっと、次の土日だったかな。それが終わったら始業式までは自主練という名のお休みになるの」

「じゃあ、旅行の日程詰めるならその時だね」


 私が旅行という単語を出すと、ユリは弾かれたように振り返った。


「そう、それ! あたしね、行きたいとこ考えてたの!」


 彼女は興奮した様子でぐっと拳を握る。

 それから人差し指を一本立てて、びしっと、西の方角を指さした。


「京都行こうよ京都! 修学旅行だよ!」


 突然また、妙なことを言い始めたよこの子は。


「修学旅行なら去年の暮れに行ったでしょ」

「えー、でもほら、いろいろあって京都はキャンセルになって、近場の温泉旅館に一泊だけだったじゃん」

「あれ、普通に泊まったらかなりの高級旅館だから。京都までの交通費と、泊まったりご飯食べたりする分のお金を、全部宿代に突っ込んだ旅行計画みたいだよ」

「そうなの? なるほど高貴な香りがすると思ってた」


 高貴な香りとは。

 旅館一泊になったのは私も多少なり残念だったけれど、一生に何度行くか分からない高級旅館に泊まるというのも、ひとつの修学に変わりはないだろう。


 他校では一緒にテーブルマナー講座なんてのがあるところもあったみたいだけれど、私たちの高校ではそういうのはなかった。

 小学生の遠足ルートみたいな地元の史跡を巡って、水族館に行って、旅館に早めにチェックインして、あとは館内施設で自由に過ごしてねという感じ。

 あれはあれでゆっくりできて、そんなに悪い思い出ではなかったけど。


「でもさー、修学旅行って言ったらやっぱり京都じゃん。これは行っとかないと、卒業してから絶対に後悔すると思うんだよね」

「それこそ卒業してからいくらでも行けると思うけど」

「そうじゃないの! 女子高生が制服で京都を歩くことに意味があるの!」


 ユリは頬を膨らませて力説した。

 つまり、制服でテーマパークに行く的な、そういうことだろうか。

 言わんとしてることは分からなくもないけれど。

 でも、それこそ世の中の制服なんたらだって世の中じゃ高校卒業してから――それこそ成人してから楽しんでる人だって、結構な数でいるようだし。

 それ用に制服風のコス衣装を貸し出してるサービスだってあるくらいだ。


「まあ、いいよ。ユリが行きたいなら京都にしよう。二泊三日くらい?」

「修学旅行なら三泊四日でしょ!」

「じゃあそれで。飛行機と宿はユリが合宿の間に調べて連絡しとくから、お前ほんとスマホ見てよ?」

「忘れずに充電しとくね!」


 そうか、充電からなのか……まあ連絡を取れるなら何でも良いけど。

 旅行先が決まって満足したのか、ユリは両手を上にあげて、うんと思いっきり背伸びをする。

 それからちょっと先を行くように前へ出ると、振り返って笑顔を浮かべた。


「星はいつでも一緒にいてくれるね。だから大好きっ」


 私は面食らって、冷たい風を力いっぱいに吸い込む。

 熱を帯び始めた喉が急激に冷やされて、思わずむせてしまった。


「えっ、大丈夫?」


 これ幸いと視線を逸らした私に、ユリは駆け寄って背中をさすってくれる。

 厚いコート越しに彼女の体温を感じられたような気がして、私はもう何度か、空咳を繰り返してみせた。


「ごめん。ちょっとむせた」

「気を付けてよねー。旅行の前に風邪とか引かないでよ?」


 体温はすっかり上がっていたけれど、これは病気的なアレではない。

 断じて違う。

 病気だとしても旅行までまだ数日あるし、絶対に治してやる。

 治らなくても、這ってでも旅行には行く。


「私がユリの傍からいなくなることはたぶんないよ。それこそ、卒業してからだって、なんだか一緒にいるような気がするんでしょ?」

「うん、そのとーりなのです。これは予感……いや、予言だね。あたし、エスパーだから」


 そう言ってユリは、両手の親指と人差し指を合わせて四角い窓をつくると、カメラを向けるみたいにその中に私の姿を捉えた。


「ホントに……いなくならないよね?」

「私が嘘ついたことある?」

「あたしがアホすぎて気づいてないんじゃなければ、ないっ」


 私は、彼女の作った窓を壊して、その手を握った。

 冷えた手と手が重なって、そこにほんのり熱が生まれる。

 それを寒空に逃さないみたいに、私たちは手をつないだまま帰り道を歩いて行った。


 私はユリに嘘をついたことはない。

 それは本当だ。

 ただ、口にしていないことがあると言うだけ。

 私たちの今は、そうやってできている。

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