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3月21日 悲しみで花が咲くもんか

 照明を絞った薄暗い部屋の中で、重厚なギターとドラムの音がお腹の底に響く。

 ほぼメインの光源となっている正面のモニターには、お優しい機能として大きな文字で曲の歌詞が表示されているけれど、散々聞いて散々歌い散らかしているユリは、目をくれることもなく一曲を歌い上げる。


「ラブ&ピース! ラブ&ピース! ラブ&ピィィィィィス!」


 立ったまま、ソファーの座面を片足で踏みつけて(律儀に靴は脱いでいる)、拳を振り上げての熱唱。

 曲が終わると、やり切ったようなすっごくいい表情で、ため息交じりに天井を見上げた。

 幻聴でも、満員のライブ会場の拍手喝采が聞こえるような気がする。


「おまえ、ホント好きなそれ」


 タッチパネルを操作する手を止めて、アヤセが苦笑する。

 ユリは額に浮かんだ汗を手の甲で無造作に振り払ってから、踏みつけていたソファーにすとんと腰を下ろした。


「サイコーでしょ! ヒトカラならエンドレスで時間いっぱい歌える!」

「好きすぎだろ」


 今度はマジトーンで入るツッコミ。

 本日既に三回目の熱唱だ。

 この調子なら、難なくこの間の記録を塗り替えてくれそう。


 予約曲が尽きて、モニターでは最近売り出し中のバンドのインタビューが流れ始める。

 ユリは口の中を潤す程度にメロンソーダを舐めると、パンパンと手を鳴らした。


「はいはい、次入れよー! 今日、ふたりともあんま歌ってないじゃん」


 急かされるみたいになって、アヤセのパネルの操作に熱が入る。

 私もちょっとせっつくように、テーブルのはす向かいから画面をのぞき込んだ。


「いつものドリカムで良いんじゃない」

「いや、サンボの流れでドリカムはどうだ?」

「流れとか気にする間柄じゃないでしょ」


 もう何度カラオケに来ていることか。

 既に同じ曲を何度も入れるやつがいる時点で、流れなんて存在しないに等しい。

 サンボの後にドリカムを入れたっていいじゃないか。

 むしろ、曲の方向性的には親和性すらありそうな気がするけれど。


 アヤセはそれでも決めあぐねるように、曲リストを行ったり来たりしている。

 何をそんなに迷っているのかと思いかけたところで、彼女と視線が合った。

 目配せするような、それでいて何か縋るような、そんな視線。

 そろそろ本題に入りたいということだろう。

 察しのついた私は、顎先でしゃくるようにユリのことを指す。

 言いだすのくらい自分でやれ。

 援護は適当にしてあげるから。


 アヤセは少し戸惑っていたけれど、観念して首を縦に振った。


「あの、ユリさ」

「ん? 何?」


 モニターのCMを眺めていたユリが、首ごとぐるりと視線を翻す。

 アヤセはその視線から逃げるみたいにふわふわと目を宙に泳がせてから、気持ちを仕切り直すみたいにソファーに深く座り直した。

 それから、おっかなびっくり、どこかお伺いを立てる調子で言葉を紡ぐ。


「最近なんか元気じゃん。良いことでもあった?」


 いや、下手くそか。

 もっかい言ってやる。

 へったくそか。

 ユリはぽかんと口をあけて、ぱちぱちと瞬きする。

 ちくしょう、ちょっと可愛いじゃないか。


「いいことかあ。街で道に迷ってるアラブ人助けたら、それが石油王だった話する?」

「いや、そういうんじゃなくて……てかそれマジ?」

「マジマジ。お礼にめっちゃお金くれるって言ってたけど、通帳の番号覚えてないから断っちゃった」

「それはとりあえず連絡先でも交換しとけよ」

「その手があったかー!」


 ユリはポンと手を打って、うんうんと激しく頷いていた。

 いや、石油王て。

 何で分かったんだ。

 「ワタシ、セキユオウデース」とでも言われたのか。

 というかめちゃくちゃ話が脱線してるんですけど。


 私はウーロン茶で指先をちょっぴり濡らすと、それはじくようにして、アヤセの顔に水滴を飛ばす。

 頬にウーロン汁がかかったアヤセは、一瞬びくりと身体を震わせてから、私を見て、そして申し開きするみたいに両手を合わせた。


「悪い、ユリ。そういうんじゃなくてさ。なんか最近困ってることとかないかなーって話だったんだけど」


 うーん、まあ、さっきよりはずいぶんマシかな。

 そのくらいハッキリ言ってやらないと、またどこから石油が湧いてくるかわからない。


「困ってること……うーん。どしたの、急に?」


 ユリはまさに今「困ってます」といった様子で、にへらと笑う。

 それから、私の方に助けを求めるような視線を送って来た。


 言っちゃって良いの?


 そんな目だった。


「ユリがあんまりサンボ歌いまくるから、アヤセが心配しちゃったんだよ」


 援護射撃のつもりで私はそう言い添える。

 結局、言うかどうかはユリ次第なのだし、ここはアヤセの味方をしておくことにした。

 ユリは迷うみたいに明後日の方向を見上げてから、バツが悪そうに頭を掻いた。



「なんかごめんね。心配かけちゃった……かな?」

「かけた! いや、かけてる!」


 ここぞとばかりにアヤセが圧す。

 誠実で、まっすぐにユリの目を見つめ返して、彼女の言葉を待った。

 対するユリは、大きくひとつ深呼吸してから、バレた悪戯をごまかすみたいに笑った。


「実は……好きな人に告白してフラれちゃった。えへへ」

「こくっ……あっ……えっ、そうなの?」


 前のめり気味になっていたアヤセは、反応に困ったみたいにキョドり始める。

 しばらく「あー」だの「うー」だの、言葉にならない戸惑いを口にしてから、手元のカルピスを一気に飲み干して一息ついた。


「そっかあ……ユリに好きな人がなあ……え、なに、それって相手は別の学校?」

「それはナイショ! あたしは相手のプライバスィを尊重するから!」


 ユリは胸の前で大きくバッテンを作る。

 すると、アヤセは噴き出したように笑ってから、バッテンの合わせ目を肘で小突いた。


「えー、いいじゃんか。教えろよ。てか好きなやついたなら教えろよ。友達だろー?」

「えー、だってアヤセ、好きな人いるの? 一方的なコイバナなんてつまんないじゃん」

「いや、いねーけど。強いて言えばお前らふたり?」

「ズキューン! あたし、新しい恋に目覚めていいのかな……?」


 ユリが胸を押さえてうずくまるので、アヤセは悪乗りして、舞踏会でダンスに誘う王子様みたいに手のひらを差し伸べる。


「来いよ……今夜は寝かせないぜ」

「トゥクン……はじめてだから優しくしてね?」

「クサい芝居はそこまでにして」


 私は再びウーロン汁をアヤセの横顔に振りかけた。


「うわ、冷てえ! なんで私だけ!?」

「ユリよりアホだったから」

「それ、お前が口にすると、まあまあの悪口だからな?」


 そんなもん知るか。

 私は話が変な方向に行こうとするのを軌道修正しただけだ。

 感謝こそされても、文句を言われる筋合いはない。

 そうじゃなければ、今すぐそこを代われ。


 とは言え、アヤセも馬鹿ではない。

 ひとつ咳ばらいをすると、声のトーンを元に戻す。


「それで、もう気持ちの整理はついたんか?」


 その問いかけに、ユリの口元が一瞬、ひくりと歪んだような気がした。

 でもすぐにいつもの笑顔になったので、気に留めるほどの――ましてや、指摘するほどの間もなかった。


「うん。たっぷりサンボ歌ったからもう大丈夫。ご心配おかけしました!」


 そう言って、ユリは警察官っぽくビシリと敬礼する。

 ユリポリス再び。

 いい。

 すると、アヤセがその肩をひしりと抱き留めた。


「うわーん! 大変だったのに気付いてやれなくてごめんよおー! ユリぃー!」


 なんだか感極まってしまったみたいで、アヤセは泣きながら、ユリの頭をぐりぐり撫でまわす。

 私はまた咄嗟にウーロン汁を装填したけれど、理性という名の反対の手でそれを抑え込む。

 ユリは恥ずかしそうに頬を染めながら、アヤセに髪の毛をぐしゃぐしゃにされていた。


「もー、失恋くらいで大げさだよー。てかアヤセが泣く必要なんもないじゃん」

「でも心配したんだよー! しかもユリを振るとか、相手も何考えてんだよー! 誰も貰い手がいなかったら、お姉さんが一生面倒見てやるから――って冷たっ!」


 アヤセが頬にウーロン汁を受けて飛び上がる。

 ごめん。

 今度は理性が追いつかなかった。


「さっきからなんなんだよ!」

「ごめん、つい」

「ついってなんだよ!?」

「あははっ、ふたりともやめなよー。あたしにもちょっとかかった」


 ユリがケラケラと笑う。

 それはなんの憂いも含まない、いつも通りの彼女の笑顔だった。


「あたしも、ふたりと一緒にいるのが今は一番楽しいから。だからアヤセも泣かないで。悲しみで花が咲くもんか!」

「byサンボマスター」


 ユリがドヤ顔で口にしたので、すかさず引用元を添えてやる。

 彼女は自分の額をぴしゃりと叩いて、べっと舌を出した。


「バレたかっ」

「そりゃ、あんだけ聞かされたら歌詞も覚えるわ」

「あいたっ」


 あきれ顔のアヤセが、追い打つようにユリの額にデコピンする。

 ユリは、今度は額を押さえながらうずくまると、今度は笑いながら顔をあげた。


「ほらほら、次の曲入れよ」


 ユリがタッチパネルを机の真ん中に押し出す。

 順番的には次はアヤセだがこの有様なので、仕方なく私がそれを手に取った。


「うーん……井上陽水でいい?」

「少年時代?」


 首をかしげるユリに、私は首を横に振って答える。


「夢の中へ」

「それより僕と踊りませんか?」


 さっきのアヤセの真似をして、差し出されたユリの手を思わず取りそうになる。

 それを何とかスルーすると、アヤセがじっとりとした視線でこちらを見ていた。


「星の選曲センスもまあまあアレだよな」

「松田聖子の方がいい?」

「聖子ちゃんなら、あの、すごいバカンスみたいな曲が良い!」

「青い珊瑚礁のこと?」


 心をバリ島に捕らわれた女め。

 まあ、特に入れたい曲があったわけじゃないので、ここはリクエストにお応えしておく。

 モニターに曲名が表示されて、軽快なイントロが流れ始める。

 するとユリが跳ねるように立ち上がってモニターの横に並んだ。


「あたし、新しいMVの方のダンスなら踊れるよ!」


 そう言って、両手に力こぶを作って溌剌と笑う。

 入れたのセルフカバーの方じゃなくて、昔のやつなんだけど……まあいっか。

 ユリが楽しそうならそれはそれで。

 それで、今度こそほんとにいつも通り。

 そう思えることが、何よりの幸せだと私は思う。


 でもそれを引き出せたのが自分ではないことが、一抹の不満になって胸の内に引っかかっている。

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