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3月20日 姉という生き物

 何もない休日は勉強に身が入る。

 勉強以外やることがないと言うのが本当のところだけれど。

 映画やドラマを見たりはするけれど、それ以外にこれといって趣味という趣味もないし。

 バンドもやってなければ、実は美大を目指して予備校に通っていたり、その道では有名な動画配信者だったりもしない。

 私の青春ってなんなんだろうな。

 言っていて少し悲しくなった。


「愛する妹よー。お姉さまのご帰宅だよー」


 ノックもなしにドアが開いて、鼓膜に響くちゃらちゃらした声が飛び込んでくる。

 私は一瞬だけ振り返って怪訝な表情を浮かべてから、無視を決め込むように机の上のノートに視線を置いた。


「ちょっと、お帰りくらい言ってくれたっていいじゃん。一週間ぶりの再会なんだからさ」

「いないことに気づかなかった」

「ひどっ! 言ったじゃん。今週は卒業旅行だって」

「そうだっけ」


 なんかそんな事言われたような、言われてないような。

 どっちにしろ興味が無さ過ぎて、忘却の彼方に葬り去っていた。


「なにー、もう受験勉強? 早くない? みんな本腰入れるの夏からでしょ」

「ちょっと、邪魔しないでよ。部活やってないし、目標ランク少しでも上げるために今からやってるんだから」

「目標ランクって言っても、旧帝ラインは乗ってるんでしょ?」

「ギリギリもギリギリだけど」

「ならいけるいける。お姉ちゃんの妹なんだから」


 根拠のない応援にイラっとしながら、私は彼女の言葉をそのまま聞き流した。

 これが私の姉という生き物だ。

 この間、高校――私と同じ学校を卒業して春から東京の大学生。

 しかも旧帝の医学部。

 私の目の上のたんこぶ。


「力試しで良い大学入っといて、いったい何勉強するっていうの」

「失敬な! お姉ちゃんはねー、ちゃんと志を持って大学を受験したのです」

「初耳なんだけど」

「医療分野の観点からIPS細胞を研究して、出生の多様化を促し、少子高齢化の打開と共に同性婚の一般化を推進する!」


 何言ってんだこいつは。

 そういうのって、まだ学生レベルが研究で扱える分野じゃないでしょ。

 でもなんだか、この女が言うとそれが本当に現実のことになりそうな気がして、嫌な悪寒を覚える。

 勝手に外部の研究機関にコネ作って、勝手に研究して、勝手に卒論とかで書きそうだな。

 そしてしれっと主席卒業なんてするのがこの女だ。

 高校は比較的ちゃらんぽらんにしてたから主席じゃなかったけれど。


 それから私がすっかり無視を決め込んだのが面白くないのか、彼女は机の上に積んだ参考書を一冊取り上げて、勝手に人のベッドに寝転んで開き始めた。


「うわっ、もはや懐かしー。ついこのあいだまで必死こいて勉強してたとこなのに」

「なんも必死じゃなかったじゃん。それこそ部活を引退してから、半年くらい追い込みかけてただけ」

「いやいや、必死だったよー。半年で周りの一年か、下手したら三年分に追いつかなきゃいけなかったんだから」

「ナチュラルな自慢どうもありがと」


 私の嫌味を受け取ってか、姉はしばらく黙ったまま、参考書のページをぺらぺらとめくっていた。

 やがて飽きたみたいで本を閉じると、元の山の上へと戻す。

 それからつんつんと、犬か猫でも触るみたいに私の頬をつついてくる。


「なんでこんな可愛げのない子に育っちゃったかなあ。中学校まではお姉ちゃんお姉ちゃんって、後ろからぴったり離れなかったのに」

「自分がいかに愚かだったか思い出すだけで鳥肌がたつ」

「そんなあなたに、お土産の美容オイルです。木の実成分でつやつやになるよー」


 そう言って、彼女は参考書の山の頂上に、美容液のボトルを立て置いた。

 妙にパステルカラーで、見たことない英字のパッケージ。

 いったいどこのお土産なんだ。


「旅行ってどこ行ったの」

「バリ島。これお試し用ね。一週間後くらいに、他にも段ボールひと箱分くらい届くから、お母さんとも分けて使お」


 よりにもよってバリ島かよ。

 どうりで、季節に似合わずちょっと陽に焼けて帰って来たと思った。

 というか妹の私でも興味な――知らなかったのに、ユリのセンサーすごいな。


「それで? こっちにはいつまでいるの?」

「お、なになに? 春からいなくなるって分かったら、ちょっとは寂しくなった?」

「本棚にいろいろ入りきらなくなってきたから、そっちの部屋のも使おうと思って」

「ちょっとは寂しがってよー、もー」


 姉は文句を言いながらスマホを取り出して、スケジューラーを起動する。


「入学式が来月の十二だから、一週間前くらいに移ればいいかな。マンション自体は一日から入れるんだけどね。相方は即日で入るみたいだし」

「ルームシェアなんでしょ。引っ越し手伝わなくていいの」

「部屋の家具レイアウトは自分がやるって張り切ってたから、もうお任せよ。私は悠々自適に新生活を迎えますわ」


 そう言って、なぜか少女漫画とかに出てくるお嬢様みたいに、すまし顔で手の甲を口元に当てる。

 いや、お嬢様っていうより悪役令嬢……それどころかシンデレラに雑用を押し付ける継母だな。


「そんなギリギリまでこっちに残って何するの」

「そりゃあもう、大事な妹との時間をギリギリまで楽しむに決まってるじゃん」


 姉はベッドから飛び起きて、私の横っ面に抱き着いてきた。

 私はいいかげんにペンを動かす手を止めて、暑苦しい横っ面を両手で押し返した。


「シンプルにウザい。出てけ」

「えー、もう仕方ないなあ。これ以上嫌われる前に退散するか」


 まったく凝りていない朗らかなトーンで、彼女の体温が身体を離れる。

 私は難が去ったみたいに、手で顔を仰ぐまねをして、それに応えた。


「それじゃ、勉強頑張りなよー。お姉ちゃん、一年間は東京で待っててあげる」


 ウインクと一緒にそう言い残して、姉は部屋を去っていった。

 いつも私の数歩先を行く、それが姉という生き物。

 きっと、生涯の私の宿敵だ。

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