私がシフトに入ると、誰か知り合いに会う呪いにでもかかっているのだろうか。
それもまた、私がここで働いていることを(たぶん)知らずに来た微妙な仲の人だと、何とも気まずい空気が流れる。
「いらっしゃいませ」
「え゛っ……あっ……はい、こんにちは」
鋼鉄のマニュアル接客に勤しむ私に、毒島さんはひどく驚いた様子で顔を引きつらせた。
「ご注文は?」
「あっ、えっと、この季節限定のいちごのフラペチーノで」
「かしこまりました」
とりあえず早いところ終わらせよう。
そう思って強引に対応を進めている。
彼女も想定外の自体に慣れて来たのか、声のトーンが多少は普段の調子に戻っていた。
「こちらでバイトされてたんですね」
「ちゃんと学校の許可は取ってるから」
それだけはハッキリ言っておかないと、変な誤解をされても困る。
許可は取っているのだから学校にチクられても問題はないのだけれど、チクられるという行為が行われること自体があまりよろしくない。
たとえ規則に則った行為でも、そういうのが積み重なると、許可の取り消しに繋がったりするんだ。
外面に厳しい公立高校であれば特に。
「そうだろうと思ってました。それにバイトしてることは、アヤセさんとの会話で知ってましたし」
「そう。ならよかった」
それで会話は終わり。
お金を受け取って、代わりにレシートを兼ねた整理番号を手渡すと、毒島さんは受け取りカウンターの方へとはけていった。
「狩谷さんのお友達? 初めて見る子だね」
オーダーを通すと、いつものバリスタの同僚がニコニコしながら声をかけてきた。
私は業務の引継ぎのためにレジから自分の社員コードをログアウトさせると、そのまま彼女に深くお辞儀をする。
「時間なのであがります。お疲れ様でした」
「あっ、ちょっと待って」
帰ろうとした私を同僚が呼び止める。
彼女は慣れた手つきでレジを操作すると、出て来たレシートを私に差し出した。
「はい、友達とゆっくりしていって。お姉さんが奢ってあげる」
「帰るんですけど」
「いいのいいの。どうせ帰っても勉強するだけでしょ」
それはそうだけれども。
押し付けられた好意を邪険にするのも悪い気がして、私は軽くお礼を言ってレシートを受け取った。
同僚の方はというと、楽しそうにニコニコしながら作業へと戻っていく。
「いいね。いいね。青春だねえ」
バックヤードへ戻っていくその耳に、同僚の温かい笑みがこだました。
そうして私は毒島さんとふたりで窓に向かうカウンター席に並んで、同僚お手製のカフェラテを啜っていた。
私が一緒に飲もうと誘った時、毒島さんは目を白黒させて固まっていた。
私も同じ立場ならそうなると思う。ほんとは店内と隔絶されたテラス席が良かったけれど、先週の夏日が嘘のように今日はちょっと肌寒い。
仕方なくカウンター席にしたところ、同僚の視線を背中にチクチクと感じていた。
「私服、そんな感じなんだ」
「な、何か変ですか?」
「似合ってるけど」
毒島さんはちょっと恥ずかしそうにして、春らしいライム色のスプリングコートの合わせを寄せる。
その下には白地のプリントTにデニムのパンツというTHEアメリカンなラフスタイル。
靴も踵がちょっとだけ高いハイカットのブーツでこなれている。
中でも目を引くのはプリントTだ。
白字にプリントというよくある形状のものだけど、その柄がなんというか、ピカソみたいな前衛的なデザインをしていた。
「そのTシャツ、どこで売ってるの?」
「美術館とか行った時につい買っちゃうんです。あとはネットとか……海外のサイトでいろんなTシャツを扱ってるところがあって、そこから取り寄せたり」
おお。
思ってもない食いつき。
この方向性は悪くない。
何とか話を繋ぐことができそうだ。
「趣味なんです。Tシャツ集めるの。でも普段が制服だとあんまり着る機会がなくて、クローゼットの中身だけ延々と増えていくんですが……あっ、良ければいくつかさしあげましょうか? 会長に似合いそうなのもいくつかあるんですが」
「それは悪いから遠慮しとく」
流石に私には着こなすスキルがなさそう。
部屋着くらいにはできるかもしれないけれど、たぶん毒島さんが期待するのはそういう用途じゃないだろう。
「でも、毒島さんの印象ちょっと変わったかも。私服はもっとこう、和服をびしっと着付けてるか、フリフリのロリータ系ファッションのイメージだった」
「また極端なイメージですね。お望みなら、そういうのも準備しますが」
「準備しても見る機会がなさそうだけど」
プツリ、会話が途絶える。
今のはちょっと余計だったかな。
「がーん」は出なかったけど、瞳にちょっと哀愁が漂っているのがわかる。
つい口から出てしまったけれど、彼女はユリたちに比べて少し感受性が豊かだから、言葉には十分気をつけないと。
細心の注意を払って次の話題を探る。
「ここ、よく使うの? 私は見たことないけど」
「今日はたまたまです。探していた本がこの辺りの書店にあると聞いたので」
「本は買えたの?」
「残念ながらもう売り切れでした。仕方がないので、ウェブで買うことにします」
会話、終了。
ううん、もう話のとっかかりがない。
ここで本の内容を聞いても、全く興味のない分野だったら、状況はさらに悲惨なことになる。
自分がそういう時に、何となく話を合わせるのが苦手なのを分かっているからこそ、うかつに声をかけられなかった。
正直、ホワイトデーの件以来、彼女とは距離感を計りかねているところだ。
毒島さんもそれは同じだろうし、こういうお見合いみたいな状態が一番精神的に堪える。
私はほんのり同僚を恨んだ。
「その、ここは長いんですか?」
「え? ああ……うん、そうね。一年半くらいになるかな」
「それで成績も良いのだから、たいしたものですね」
「部活はやってないし、今の時期なら真面目にテストに臨んでるヤツが成績上位に食い込むだけだよ。夏にみんな引退して勉強に本腰入れたら、たぶん上の中か、悪くて下くらいにおさまると思う」
「そこで自分を上と言える心の強さが羨ましいです」
「毒島さんだって、いつも敵知らずって顔してるけど」
瞬間、再び沈黙が訪れる。
また、ちょっと言い過ぎてしまったかな。
ユリやアヤセ相手ならさらっと流されるくらいのものなのだけど。
毒島さんは、手の中のフラペチーノをじっと見つめながら、中身をねるねるねるねみたいにかき混ぜる。
どれだけ混ぜても色は変わらないけれど、氷が体温でじっとりと溶けていく。
「正しいことをしているから胸を張れるんですよ」
「正しいこと?」
「両親の教えなんです。もっとも確実に、あらゆる人からの信用を担保する方法は、ルールを守ることだって」
「うん、なるほど?」
今、ちょっと言葉が入ってこなかった。
なんだかすごくいいことを言ってたような気がするのだけれど。
確実に?
信用を?
担保?
えーっと……つまり、ルールを守ってる人は誰が見ても信用に値するって話か。
あれ、そのまんまだな。
なんで難しく考えてしまったんだろう。
「何か行動をしようとしたとき、意見があるとき、周りにそれを納得させるのは言葉そのものじゃなく、その人の立場や生き方だ。だから清廉潔白でありなさい。ルールに背かず生きていれば、信用は自然とついてくる、と」
「なんか……難しいことを難しく教える両親だね。何してる人?」
「父が県警の管理職で、母が弁護士です」
それはなんというか、すごくそれっぽい。
「そういうこと言いそう」っていうんじゃなくて、すごく毒島さんのご両親っぽい。
「会長のご両親は何をされてるんですか?」
「両方とも小学校の教師。父親は教頭で、そろそろ校長を目指したいらしいけど」
「立派なご両親じゃないですか」
「家に帰っても学校にいるみたいで、なんだか落ち着かなかったよ」
「そういうものなんですか?」
「まあ、高校に入ったくらいからはそんなんでもないけど。自分も大人になってきたからかな。親も同じ人間なんだなって思うようになってきた」
「それは分かるような気がします」
毒島さんが、ねり終えたフラペチーノを啜る。
半透明のストローの中を薄紅色の流体が流れていく様は、なんだか綺麗だなと思った。
「私も子供のころは両親のことを雲の上の人というか、とにかくすごい人だと思ってました。実際、今でも尊敬はしているんですが……なんというか、尊敬の方向が変わったというか」
「尊敬の方向?」
「生き方に胸が張れても、何かを成せるかどうかは結局その人の努力や才能次第なんだなって」
なるほど。
つまり……どういうことだってばよ?
「毒島さんは立派にご両親の娘だと思うよ」
「本当ですか?」
軽い皮肉のつもりだったんだけど、毒島さんは言葉のままに受け取って喜んでくれた。
将来、変な詐欺に引っかからないか心配になってくる。
それは置いておいて。
難しく事を伝えるのは間違いなくご両親の血を受け継いでるな。
でもまあ、何を言いたいかの輪郭というか、雰囲気はなんとなく伝わった。
清い生き方をしながら結果を残してる両親すげーなって話だろう。
きっと。
そういうことにしておこう。
ユリと会話するのも、次に何をしでかすのか頭を使うけれど、毒島さんも毒島さんで別の方向に頭を使う。
でも、なんだか実のある話をしている気がする。
ふわふわしてるけど。
これは、いつものふたりじゃ味わえない感覚だ。
「なんか、誰かとこういう話したの初めてかも。ユリはあんなんだし、アヤセもお互いの家の話まで突っ込んだりしないし」
「そうですか? ならこれを機にお友達に――」
「うーん、それはちょっともう一息置かせて」
「がーん!」
ああ、ついに出ました。
ごめん。
でもなんか友達っていうより、アフターファイブの良い感じのバーか、お昼休みの喫煙室って感じだったし。
やっぱり毒島さんとの関係はどこまで行っても仕事仲間だな。
彼女はほぼ涙目になりながら、縋るように迫ってくる。
「いつになったら私たち、お友達になれるんですか!」
「おいおい、おいおいね」
いや、まあ、気持ち的には別に今すぐでもいいんだけれど。
でもついこの間、あんなにハッキリまだ友達じゃないって言っちゃったし。
それを昨日の今日でくるくる手のひら返しはちょっとできない。
なけなしの意地っ張り。
タイミングの問題だ。
そう言っていつも機会を逃しまくるのだけれど。
「そう言えば、毒島さんとちゃんと連絡先交換してなかったよね。別にグループチャンネルから辿ってくれても良いんだけど……この際だからしとく?」
「は、はい! それは喜んで!」
彼女は大慌てで鞄からスマホを取り出して、メッセージアプリを立ち上げる。
そして、めったに使わないからか、友達登録のQRコード画面へ遷移するのに悪戦苦闘していた。
とりあえず、今はこれが私にとっての精一杯の歩み寄り。
彼女にもそのつもりがあるのなら、ゆっくりじっくり仲を深めていこうじゃないか。