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3月13日 本日の釣果=1

 ぼんやりと頭の中をからっぽにしながら、今日の導入はいつもと違う形になったことをほんのり喜ぶ。

 目の前に広がる水面はきらきらと春の日差しをうけて輝いていて、その中をまるまる太ったニジマスが気持ちよさそうに泳いでいた。

 井の中の蛙という言葉があるが、あのニジマスたちは自分たちが何のために生まれて、これからどんな運命をたどっていくのか知る由もないだろう。

 せめて美味しく食べてあげるからと、安い追悼の言葉を口にしておく。


「てか、華の女子校生ふたりがお出かけするのになんで釣り堀?」


 ここにきてアヤセが、至極もっともな意見を口にした。

 私たちがいるのは、山間に向けてバスで二十分ほど揺られたところにある釣り堀だった。

 といっても、古民家の庭にある大きな池にニジマスを放していて、一時間五百円で自由に釣れるというだけの簡素なものだ。

 代わりに、持ち帰るのには一匹いくらのお金がかかる。


「フルーツパーラー行く前にご飯を済ませようと思って」


 私は何度目かわからないねり餌を釣り針につけて、静かに池へと放る。

 すでに釣りを初めて30分ほど経過していたが、ウキはうんともすんとも言わなかった。


「うわっ、また掛った!」


 となりでアヤセがアタリを引き当てて、水面でビチビチ跳ねるニジマスと飛び散る水滴から逃げるようにタップダンスを踊る。

 通算六匹目。

 大漁だ。

 店のおじさんが針を外してくれて、バケツに入っている二匹と大きさを比べた後に池に返す。

 お昼ご飯にするには二匹いれば十分なので、三匹目からはそうやって大きさを比べながら、より大きな魚をキープするようにしてくれた。


「てか、釣りに行くなら先に言えよ。せっかくおしゃれしてきたのに」


 アヤセは花柄のロングスカートに水滴がかかっていないか、身体をくねらせながら確認していた。

 口汚いのに似合わず、アヤセは入学当初からこういう華やかなデザインの服が好みだった。

 上半身は薄いベージュで細身のタートルネックを着こんで、その上から茶色いライダースジャケットを大人っぽく着こなす。

 私はと言えば、オーバーサイズのパーカーとスキニー、スニーカーという「ちょっとそこのコンビニまで」スタイルで憂いはない。


「私は汚れても良いやつ着て来たから」

「せめてもう少しおしゃれしろよ」


 アヤセのツッコミを受け流して、先ほど投げた針を手繰り寄せる。

 餌だけが取られていた。

 いったい私の何がいけないというのか。

 服装か。

 池のニジマスたちもオスならば、気合を入れた服装の女子高生に釣られたいと思っているのかもしれない。


「メスは卵を産むから、ここに放つのはオスばっかりだからねえ」


 私の気持ちを見透かしたみたいに店のおじさんが笑う。

 なにわろてんねん。

 だがそれが自然の摂理だというのなら、私はそれを受け入れよう。

 オス相手ならいくら嫌われたって構わない。


「なあ、もう十分じゃね? いいかげんどっか汚しそうで怖いわ」

「わかった。じゃあ、これふたつ塩焼きにしてください」


 流石にそろそろギブアップのようだったので、私たちは借りた道具を片付け始めた。



「うっまあ! えっ、マジでうっまあ!」

 併設の古民家カフェにて。

 アヤセはニジマスの塩焼きにかぶりつきながら、繰り返し同じことを叫んでいた。

 ふたりの目の前には塩焼きの他に、雑穀ごはんになめこの味噌汁。

 里芋とキノコ類を一緒に煮たやつ。あときんぴらごぼうとほうれん草のお浸しが入った小鉢がそれぞれ並んでいた。


「やっぱ自分が釣ったからかなあ。骨の多い魚ってあんまり得意じゃないけど、これは骨までバリバリいきたくなるわ」

「なら連れてきてよかった」

「星も遠慮せず食えよー。私の釣った魚をさ」


 さっきまでの不満はなんだったのか。

 得意げになって鼻を鳴らす彼女に、本日の釣果ゼロの私は少しばかりイラッとしても許されるだろう。

 イラッ。


「このままデザートも食べてく? 抹茶パフェとか美味しいけど」

「やだ! 今日はフルーツパーラーがメインだから!」


 このまますべてこの店で済ませようとした私の提案を、アヤセは真っ向から否定した。

 仕方なくもくもくと目の前のニジマス御膳を食べ進める。


「ここはユリと何度か来たことあんの?」

「二回くらい?」

「どうりで服装からこなれてると思った」

「アヤセと遊ぶ時、だいたいいつもこんな格好でしょ」

「あんたにとっての私はなんなのさ」

「親友のつもりだけど」

「知ってる」


 アヤセは苦笑して、味噌汁のお椀を口に運ぶ。

 私もご飯の最後のひと口を飲み込むと、温かいお茶でひと息入れる。

 満腹になって、しばし至福の沈黙。

 それを破って、アヤセがぽつりとつぶやくように言った。


「ユリ、なんかあった?」

「どうしてそう思うの?」

「あのサンボマスターは異常だった」


 卒業式の帰りのカラオケ。

 二年も一緒に連れ添っていれば、そりゃ異変に気付くだろう。

 ライブさながらの熱唱というか独白のようなシャウト。

 曲選びだって「世界はそれを~」なんてかけつけ一曲、お代わりに一曲、最後に本人映像付きで臨場感たっぷりに号泣しながら一曲の計三回も歌い上げた。


「あいつ、今日の晩飯どうしようとか、どうでもいいことはウザいくらい相談してくるくせに、ほんとに困ってることはなんも相談してくれないんだよな」

「それはそうかも」

「言っとくけど星もだから。仲間外れみたいで寂しいじゃんか」


 アヤセは拗ねたように唇を尖らせて、そのまま熱いお茶をずるずると啜った。

 それに関しては私も悪いと思っている。

 アヤセには何も相談しなかったのもその通りだし、半ば意図してのこと。

 私がかつてユリにそう言った。

 このことは私にだけ相談して欲しいと。


 それは決してアヤセをのけ者にしようとしたわけじゃなくて、ユリの悩みを独り占めしたいと思ってしまったから。

 でもそんなことを、目の前で本気で心配している彼女に言えるはずもない。


「まあ良いんだ。ほんとにどうしようもなくなったらさ、いつでも相談しろよ。それが親友ってもんだろ」

「わかった。ありがとう」

「……っていう、主人公の親友ポジにありがちのセリフ、大っっっっっっっっっ嫌いなんだよなあー!」


 アヤセは手足を投げ出すように仰け反って、大げさに声を張り上げた。

 私は口に含んだお茶が気管の方に入りかけて、思わずせき込む。


「つーわけで、望まれようが望まれまいが土足で助けに行くから。オール・マイ・自己満足。ユーコピー?」


 アヤセはそう言って握った拳をこちらに向けて突き出す。

 そうだそうだ、こいつはそういうやつだった。

 でなければ私とユリと、二年ものあいだ一緒に友達をやっていられない。

 私は咳ばらいをして喉の調子を整えると、握り拳を突き出して彼女のそれに合わせた。


「わかった。アイコピー」

「よろしい。そんじゃフルーツパーラー行くか」

「その前にウチに着替えに寄っていい?」

「おまえ、ほんとに全部ここで終わらせる気だったんだな……」


 別にそんなつもりはなかったけれど、少しだけ気が変わったのは確かだ。

 お母さんがクリーニングに出していなければ、アヤセが着ているのと色違いで買ったジャケットがまだ吊るしてあったはず。

 それを取りに行くくらいの面倒を惜しまないのが、親友に対する礼儀というやつだろう。

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