「先週ユリのやつがきて会計足りなかったんだって?」
熱々のマグカップを洗浄機から取り出して、一個ずつ拭きあげる作業をしていた私に、アヤセがそんなことを尋ねてくる。
二日連続の似たような導入に、我ながら芸がないなと心の中でため息をついた。
「何かが足りないのはいつものことでしょ」
「それは間違いない」
アヤセは笑って同意すると、カウンターのメニューを1枚ずつアルコールで消毒していく。
彼女とカフェのバイトが被るのは久しぶりだ。
書道部も兼任しているためか、アヤセのシフトは日曜日が中心で、土曜日は入っていても夕方以降だけ。
私は逆に土曜日を中心に入れて、日曜日はお店に頼まれた時を除いてフリーにしているので、おのずと被る時間帯は限られる。
それじゃあ私も日曜メインのシフトにしたらいいじゃないかという話だが、それだけは譲ることができなかった。
全国大会常連のチア部に所属するユリにとって、日曜日は数少ないオフの可能性がある曜日だったから。
それにアヤセと一緒に組まれることで、なんだか学校の休み時間のような雰囲気になってしまうのも、仕事上あまりよろしくはないだろう。
「あいつ、なに頼んだの?」
「一足先の春を感じる季節限定いちごのキャラメルマキアート」
「ほんと季節限定好きだな」
「限定以外頼んだことあったっけ」
「あいつなら南国の珍味を感じる季節限定ドリアンフラペチーノとか出しても買いそう」
買う。
特に南国に恋い焦がれてる今のユリなら間違いなく。
「私、ドリアン苦手だからそれはちょっとなあ……」
バリスタの同僚が、私たちの考案した新メニューに難色を示した。
アヤセは客席側からカウンターに身を乗り出すようにして、話題に食いつく。
「ドリアン食べたことあるんですか? どんな感じでした?」
「味は悪くないんだけど、やっぱり匂いと食感が。南国フルーツ特有のにちゃねろって感じがそもそも得意じゃないの」
言わんとしていることは分からんでもない。
あの歯や舌の裏にまとわりつくような独特の食感は、私もちょっと苦手だ。
バナナは問題はないのだけれど。
「アイスとかプリンにその味がついてるだけなら食べられるんだけどね。マンゴー味とか逆に好きなくらいだし」
わかりみが深い。
私は胸の内で赤べこみたいに首を縦に振る。
なんというかマンゴーとマンゴー味は別の食べ物だ。
マンゴー味というもの自体が、なんというか、マンゴーのイデアによる産物のような気がする。
私たちが想像する理想のマンゴーの味。
「私は結構好きですけど。南国フルーツの味も食感も。なんだかフルーツ食ってるって感じがして」
「じゃあミカンとかブドウとか、そっちの定番フルーツは?」
私が尋ねると、アヤセは身体をぞわぞわと震わせて、いーっと歯を見せるように表情を引きつらせた。
「ブドウはいいけど、あたし柑橘系ダメなんだ! てか酸っぱいのダメ! 想像しただけでも口の中がイガイガして鳥肌立ってくる!」
「レモンとか」
「ひいっ!」
「梅干しとか」
「やめて!」
「ヨーグルト」
「これでもかってハチミツ入れて!」
ひとしきりの思いついた酸っぱそうなものを言い終えると、彼女はカウンターにつっぷして、行き倒れの旅人みたいに痙攣していた。
「二年間を一緒に過ごしてきて、新たに発見された真実だね。そう言えば、ユリが唐揚げにレモンかけた時には般若のように怒り狂ってたっけ」
あれはてっきり「そういうの気にする人」なのかと思っていたけれど、単純にレモンそのものに怒っていたのか。
新たな発見は、思い出に隠された真実をあぶり出す。
「そういうことだから、柑橘類はできるだけ私の視界から遠ざけてくれよお……」
「そこまで言うなら善処はするけど」
ただし、ユリにまで周知させて気を使わせるのは諦めて欲しい。
それこそ南国ブームの彼女なら、これからどんなフルーツを日々の話題にぶちこんでくるのか分かったものじゃない。
彼女をコントロールすることは私には不可能だ。
というか、できたらこんなに苦労していない。
「てか、話してたらなんかフルーツ腹いっぱい食べたくなってきた。明日休みだし、一緒にフルーツパーラー行こうぜ」
「いいね。ユリにもあとで声かけとく」
「あいつはほら、法事だろ」
言われて、頭の中にカレンダーの画像が思い浮かぶ。
三月の二週目と言えば――
「そっか、お母さんの」
「そういうわけで、明日はアヤセちゃんとデートだな」
「先週もふたりだけで遊んだ気がするけど」
「あれは放課後だろー。休みの日はまた別腹だろうがよー」
「分かったからウザ絡みしないで」
私はすり寄ってくるアヤセを引きはがして、拭き終えたマグカップを棚に並べた。
二週連続でショッピングモール……たまにはそういうのもありか。
一週間たって、旅行代理店に新しいチラシが出ているかもしれないし。
「あなたたち三人とも、仲が良さそうでうらやましい」
バリスタの同僚が、娘の成長を見守る母親みないた顔で微笑んでいた。
私は「そうですね」とだけ短く返して、ちょうど店に入ってきたお客の対応へ向かった。