昨日も書いたけど、当日の入試ボランティアというと、実はそれほどやることはない。
教室内での問題用紙や答案の配布、監督、回収は原則として先生たちが行うし、生徒たちは何が起きても手を触れないようにと言われている。
だから仕事と言えば廊下の各所に待機して、受験生に体調不良などがあったときに保健室やトイレへ(スマホなどの使用がないかの監視も含めて)案内するくらいのものだ。
今日は部外者に校舎が解放されることになるので、受験生の保護者やら、ほんとに関係のない不審者やらが廊下をうろついていないか見回りをする必要もあるが、それは基本的に生徒会役員の仕事となっている。
一方の生徒会長はと言えば、基本的に生徒会室に待機するだけ。
見回りで何かがあればスマホに連絡がくる(基本はなにも来ない)し、そのほかは午前と午後でシフトの入れ替えがある学生ボランティアの出欠確認を行うだけ。
昨日もそうだったが暇だ。
会長の本懐とは待つことと見つけたり。
私の得意分野かもしれない。
最もトラブルが多いであろう昼休み開始のごたごたを無事に終えて、午後シフト組の出席確認も終えると共に役員も交代で休憩をとることにする。
例に漏れず、昨年度の経験と実績と信頼のある毒島さんがはりきって運営を切り盛りしていたので、本部は彼女に任せて私が先に休憩をとることになった。
彼女は一緒に休憩をとろうとしていたみたいだが、運営体制的にどう考えても不可能なので、そこは飲み込んでもらう。
今日一日、在校生は休校日になって、代わりに県内外から集まった中学生たちで校舎はごった返す。
私も二年前にはあの統一感がない、色とりどりの制服たちの一員だったんだなと思うと、時の流れは早いような遅いような。
ひとまずお腹もすいたので、余り物のパンを手に入れるため購買でも向かおうと思ったところでグループチャットに連絡が入った。
『職員玄関に来れる方、誰か応援をお願いします』
見回りに出ている下級生役員からのものだった。
――近いから行くよ
私は手短に返信して現場へと向かった。
試験開始後の受験者の出入り口は、生徒たちが使う広い昇降口ではなく、狭い職員用の玄関が使われていた。
校舎に入るには受験票の提示が必要なので、狭いほうが都合が良かったからだ。
そこで何かあったというなら、入退場のトラブルなのだろう。
心配で見に来た過保護すぎる保護者か、それとも大遅刻してきた受験生か。
どっちにしろ面倒事に変りはなさそうだ。
現場につくと、下級生役員の子と一緒になぜかユリがそこにいた。
「何してんのこんなとこで」
「何って、入場チェック係だよー! 星が割り振ったんじゃん!」
そうだったっけ。
割り振りは毒島さんが機械的に行ってくれたので、誰がどこの配置についているかなんていちいち覚えていなかった。
むくれるユリのことは放っておいて、私は下級生役員の子に向き直る。
「とりあえず私が引き継ぐから、入管の先生呼んできて」
彼女は関係者一同に小さく会釈をすると、ぱたぱたと入管本部の方へ駆けていく。
入管とは入試管理局のことで、イメージするほどたいそれたものではない。
「それで、何があったの?」
「実はこの子がさあ」
ユリは、玄関の片隅にうずくまる少女に目をやった。
見たことのないブレザーの制服は、少なくともこの辺の学校のものではない。
小柄でおそらく中学生――つまりは受験生だと思うが、もう午後の試験も始まるというのに何事だろう。
「お昼ご飯を食べに出かけてたんだけど、受験票を教室に置いてきちゃったんだって。それで有能なガードマンであるあたしは、ここを通せなくなっちゃって」
ユリが説明する傍で、受験生の子はぽろぽろと泣き始めてしまう。
ユリはぎょっとした様子で、あたふたと慌て始めた。
「通したい気持ちはいっぱいなの! でも社会のルールがそれを許さないの! ファッキン社会! アナキズム万歳! オール・ハイル・フリーダム!」
「口を開くたびにアホをさらさないで」
受験生の前で学校の品位に関わる。
私は静かにしゃがみ込んで、女の子のまるまった背中に問いかける。
「中学校の学生証は?」
ふるふると首が横に振られる。
「受験票といっしょなんだって」
ユリが代弁するように答えた。
「他に受験してる友達と連絡とれない? 鞄ごと持ってきてもらうとかできれば、どうにかなりそうだけど」
ふるふる再び。
「遠くからひとりで来てるんだって」
「それはまいったね」
正直、私程度の権限でどうにかできるのはそこまでだ。
今や受験と言えば、ちょっとしたトラブルや運営の判断ミスで地方ニュースになって、そこから全国にSNSで拡散される時代だ。
生徒会長とはいえ、勝手な判断で下手なことはできない。
「その子が外出する時は確認しなかったの? 受験票持ったか呼びかけるとか」
「その時は私の係じゃなかったんだよねえ」
「そっか、午後のシフトに入れ代わる前か」
となればトラブルの大元はそっちの方だ。
ユリを責めても仕方がない。
前の担当……は誰か知らないけど、後で確認して、その部の心象を悪くしてやる。
というのは個人的な気持ちの問題で、そんな事を今ここで思っても後にも先にも意味がない。
目の前にあるのは、校舎に入れない受験生がいて、私にはそれをどうすることもできないという事実だけだ。
気まずい沈黙の中で、女の子の泣き声だけが廊下に響く。
「大丈夫、まだ午後の試験まで時間があるから! 夢を諦めないで!」
ユリは、女の子の肩を揺らしながら熱く語った。
ものすごく雑な励ましに見えるけれど、泣いていたその子はユリの顔を見上げ、涙をこらえるように唇をかみしめて、それから力強く頷いてみせた。
思ったより信頼関係ができているみたいだ。
そういえばユリのやつ、ちゃんとトラブルの詳細を理解していたな。
初期対応でしっかり女の子の話を聞いて、親身に対応していたに違いない。
ちょっと見直した。
「ああー、いっそのこと私が持ってきてあげられたらなあ……あれ、それでいいんじゃね?」
いかにも「万事休す!」といった様子で天を仰いだユリだったが、すぐにポンと手を打って、女の子の手を握った。
「そーだよ、あたしが持ってくりゃいいんじゃん! うわー、やっぱあたしアホだったわー!」
そのまま首脳会談の後の握手会みたいに、繋いだ手をぶんぶん振り回す。
私は慌ててユリの肩を掴んだ。
「いや、それはちょっと……先生の許可を取ってからじゃないと」
「なーに馬鹿を言ってんだい星の字い! 彼女の楽しい高校生活がかかってるんだよ! 四の五の言ってる場合じゃないっしょ!」
「それは分かってるけど、だからこそ……」
後々何か問題になって、試験無効やら入学取り消しなんてことになったら元も子もない。
そろそろさっきの役員の子が先生を連れて戻ってくるだろうし、そうしたら同伴のもとで入場して、教室で受験票を確認なんてこともできるだろう。
というかそれが妥当な落としどころというものだ。
それを百の言葉を使ってユリにもわかるように説明してやりたかったけれど、走り出したら止まらない彼女相手では、どうにも叶わない願いだったようだ。
「3-7教室の、受験番号1185番ね! よっしゃ、いざ鎌倉あああああ!」
ユリは、勢いのまま女の子から教室と席を聞き出すと、ロケットみたいにすっ飛んで行ってしまった。
なんてやつだ。
私はせめて大事にならないようにと、心の中で成り行きがこじれないことを願った。
入れ違いくらいのタイミングで、先ほどの役員の子が責任者の先生を連れて戻ってくる。
先生はその場で女の子からいくつかの個人情報を聞き出すと、持ってきたタブレット上の名簿と照らし合わせてから同伴での入場を許可した。
やっぱりほら、私の思った通りじゃないか。
まずは無事に入場できてよかった。
手間を掛けさせたのだから、彼女には何とか合格してウチの制服に袖を通して貰いたい。
そして受験会場へ向かう途中のこと。
彼女の鞄を持って爆走しているユリと鉢合わせたとき、先生の雷が落ちたのは言うまでもない。