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3月9日 バリの風、吹いてる

 明日に控えた入試の準備はつつがなく進んでいる。

 と言っても学生ボランティアのやることと言えば、各教室の机を並べたり、受験番号を印刷した紙をその机に張り付けたり、そういう会場設営がメインとなる。

 明日の本番でも似たようなものだ。


「3-1教室、設営終わりました」

「2-4教室も終わりました」

「ありがとう。役員が順次確認に行きますので、少しだけ待機をお願いします」

「はい!」


 ボランティア本部である生徒会室に報告に来たボランティアの生徒たちは、きびきびとした所作でそれぞれの教室へ戻っていく。

 運動部だろうか。

 基本的に体育会系のノリは苦手な私だが、一緒に仕事をしてみるぶんには、なるほど気持ちがいい。

 就活で有利と言われているのも納得ができる。


 隣に控えた毒島さんが、手に持ったリストの3-1と2-4のところに「未」と書き添える。

 未確認という意味だろう。

 既に確認も終わっている教室には、その「未」の上から打ち消し線が引かれていた。

 毒島さんは手すきの役員にグループメッセで指示を与える。

 すると、下級生の役員たちから了解した旨の返事があった。


「今年のボランティアは優秀ですね。昨年はトラブルが多かったので」


 滞りない進行の中で、彼女は満足げにほほ笑んだ。

 私は手にしたペットボトルのお茶を飲みながら、窓の外の部活動の声に耳を傾ける。

 鋭い金属音。

 ソフト部かな?


「そうなの? 私、去年のことは知らないから」

「そうでしたね。でも私はほら、入学当初からずっと役員として働いていましたから」


 毒島さんは得意げに胸をはった。

 一年二年とプー太郎をしていた私と違って、彼女は入学してすぐに役員に名乗りをあげて生徒会の一員として働いている筋金入りだ。

 本校の生徒会組織は、秋の会長選挙と、そこで決まった会長の指名によって直下の役員――と言っても副会長と書記だけだけど――が選ばれる。

 でもその下の補助役員自体は部活動や委員会活動のように申請さえすれば誰でもなることができるため、内申点欲しさや生徒会長の座を目指す人が早い段階から在籍するのは珍しいことではない。


 ところが私たちの代にいたっては、二年生になった時点でなぜか毒島さんひとりしかいなかった。

 一年のころにはもう何人かいたような気がしたのだけれど、いつの間にか辞めてしまっていたようだ。

 ともすれば、どうしても雑務が彼女のもとに集中することになる。

 結果として彼女一人がいれば回る現生徒会の誕生である。

 流石に私が会長になって新体制になったところで、顧問の先生の口利きで何人かの一年生役員を立ててもらったけれども。


 そんなこんなで、私はこれでもそれなりに副会長の毒島さんには敬意を払っているし、組織の柱として信頼もしている。

 はずなのである。

 たぶん伝わってはいないけど。


「副会長がいてくれて助かった。経験者が誰もいないから、雰囲気で運営することになるところだった」

「それはなによりです。私の有益さが分かったら、どうぞ会長の座をお譲りください」

「それは無理」


 唐突に差し込んでくるなあ。

 このありさまじゃ、下手に感謝も告げられない。


「そもそも、どうしてそんなに会長になりたいの」

「会長こそ、どうしていきなり選挙に出たんです」


 質問に質問で返されて、互いの返事がこう着する。

 互いに出方を伺うように視線が牽制し合う。

 やっぱり私は彼女が苦手だ。

 あんまり関わりあいたくない。

 まじで。

 そんな逃げ出したい空気を打ち破るのは、裏表のないあいつのひと声だ。


「やはやはー。3-7の設営終わったよー」

「ありがとうユリ。チア部は手際が良くて助かる」

「それほどでもあるけどねー」


 社交辞令みたいな誉め言葉なのに、ユリは大げさに喜んでくれた。

 そうだ、この素直さこそ今の私には必要なリラクゼーションというものだ。


「んじゃ、もう部活行っていい?」

「生徒会が確認に行くからそれまで待って」

「えー、それ何分後?」


 毒島さんに無言で目配せをすると、彼女は意を汲んで手元のリストに視線を落とした。


「今のところ役員はみんな出払っているので、しばらく待機してもらうことになります。そんなに時間は取らせません。そろそろ狼森さんも帰ってくるでしょうし」


 アヤセは別の用事で席を外していた。

 ただでさえ足りない人手が減るのは勘弁願いたいところなのだけれど、この件に関しては彼女以上の適役はいないので仕方がない。


「えー、今すぐやってよー」

「子供ですかあなたは」

「永遠の17歳です☆」


 永遠もなにも、現に17歳なわけだが。

 毒島さんは一歩も引かずに「順番を待ちなさい」とユリを一蹴する。

 ユリはめげずにぶつくさ文句を言っていたけれど、やがて私の顔をロックオンしてぱっと笑顔を浮かべた。


「そーだ、星がチェックしてよ! 暇そうだし!」


 言うや否や、私の腕に抱き着いてぐいぐいと担当教室まで引っ張っていこうとする。

 生徒会長であるこの私に向かって「暇そう」とは失礼なやつだ。

 暇だけど。

 すると、なぜか毒島さんが慌てた様子でユリをたしなめる。


「会長はここで全体の成り行きを見届ける義務があるんです!」

「えー、そんなの心炉ちゃんひとりでいーじゃーん! ちょっと見て、確認するだけだから! ね!」

「だーめーでーす!」


 私はなすがままユリに引きずられる。

 そっちがその気ならと、毒島さんもユリを後ろから抱えるように掴んで実力行使に出た。

 うんとこしょ。

 どっこいしょ。

 この感じ、何かで見たことある。

 そう、小さい頃に絵本か何かで……あ、そうだ。


「大きなカブ」

「何が!?」

「何が!?」


 ユリと毒島さんの声がハモった。

 すごいな。

 アヤセといい毒島さんといい、私は人をハモらせる才能があるのかもしれない。

 昨日は私もハモっていたっけ。


「今からでも目指そうかな。オーケストラ指揮者」


 この場合はオーケストラじゃなくて合唱団?

 合唱団の指揮者ってどうやってなるのだろう。

 とりあえず音楽の先生にでもなればいいのだろうか。

 音楽の先生は……教育学部でなれたっけ。


「いいからチェックしてよー!」


 ユリがしびれを切らして来たようで、腕を引く手に力がこもる。

 これはこれで、なんか悪い気はしない。

 私は観念した風を装いつつ、だらしなく浮かべそうになった笑みをひっこめる。


「いいよ。部活の時間を削るのも悪いし、私もチェックに回ろう」

「がーん! 何言ってるんですか、会長!」


 なぜか毒島さんが狼狽えた。

 実際のところ仕事を回しているのは彼女だし、本部には彼女さえ残ればいい。

 その分、私が人海戦術の一員に加わるのが筋というものだ。


「やったー! それじゃあこっちこっち!」


 ユリは腕に絡みついたまま、私を教室へと引っ張っていく。

 なんだか悪いことをして連行されてるような気分だけれど。

 ユリポリス。

 アリだ。

 さっきの17歳のノリで「逮捕しちゃうぞ☆」って言ってみて欲しい。


「みんなおつかれー。設営進んでるー?」


 入れ違いにアヤセが帰ってきた。

 その手には、ところどころ墨で黒くなったデニムのエプロンが握られている。

 彼女が書道部の部活で使っている汚れ防止用のものだ。

 そんな彼女の仕事はというと、会場内外に設置する看板に案内の文字を入れることだった。


「今年はなかなかいい出来だったから、後で見てくれよな」


 アヤセはひと仕事終えた良い表情でサムズアップをしたが、そこへ毒島さんが半ば泣きつくように飛びついた。


「狼森さん! ここ、あとお願いします!」

「え!? あ、ちょっと!」


 毒島さんは持っていたリストをアヤセに押し付けて、こっちの方へとかけて来た。

 残されたアヤセは状況すら理解していないまま、直後にやってきた設営報告の生徒たちの対応に追われていた。

 なんだか申し訳ないことをした気がするが、ああ見えてしっかりしているし大丈夫だろう。

 私は彼女を信じている。




「それで……これはなに?」

 ユリに連れてこられた教室で、真っ先に目に飛び込んで来たのは方眼紙を切り抜いて作ったらしいヤシの葉やハイビスカス。

 前後の黒板には、色とりどりのチョークで海やログハウスなどのトロピカ~ルな風景が描かれていて、机にもそれぞれ切り花の装飾が施されていた。


「緊張する受験生たちに、究! 極! のリラクゼーションを……バリ島の風を感じる南国トロピカルスタ~イルでございます」


 ユリは高級ホテルのギャルソンみたいに厳かに、そして恭しくお辞儀をした。


「副会長、紙」

「え……あ、はい。どうぞ」


 毒島さんから手ごろな紙を貰った私は、ボールペンでさらさらと文字を書いて、お辞儀をするユリの後頭部に叩きつける。


――やりなおし。


 伝えることは紙に書いたので、私は無言で教室を立ち去った。

 文句は一切受け付けない。

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