「セ~イっ!」
昼休み。
突然後ろから抱きつかれて、飲みかけたバナナジュースでむせ返る。
「うわっ、ゴメン! 悪気はなかったんだよ!」
「私のマーラーカオがバナナスペシャルになったんだけど」
咄嗟に口を覆ったせいで、持っていた蒸しパンがぐっしょりとバナナジュースを吸っていた。
後ろの席を振り返ると、アヤセが申し訳なさそうに手を合わせていた。
今日はユリが休みだからと、すっかり油断していた自分が恨めしい。
「ところでどうだった? ユリっぽかったっしょ?」
「どうだろ……安いウニを食べたあとのエグみみたいなのが足りない」
「ユリの本質はニガリかあ。やっぱ保護者の言葉は説得力が違うわ」
アヤセは肩口から垂らしたおさげをくるくるいじりながら、納得したように頷く。
そんなに本気にされても困るのだけど、評価は的を射ていたと思う。
「可愛い娘が休みだから、さぞお寂しい思いをしていると思ってサービスしたつもりだったんだけど」
「どうせずる休みでしょ。心配する要素がどこにあるの」
「延々とサンボマスター熱唱してたからなー。絶対、喉が死んでるんだわ」
本当の休みの理由は何となく察するけれど、アヤセにまで伝える必要はないだろう。
彼女は素知らぬ顔でスマホの画面とにらめっこしていた。
「『元気い? ずる休みするならお姉さんも誘えよう!』……っと。これでどうだ」
ユリにメッセージを送っていたらしい。
だけどちょっと時間を置いて、私の鞄から鈍いバイブの音が響いた。
「あいつほんとまじさあ……」
鞄を漁ると、底の方にユリのスマホの感触があった。
引っ張り出して机の上に放る。
「なんでユリのスマホが星の鞄に入ってんの?」
「そんなの私が知りたいよ」
スマホを携帯しないことに関しては天性の才があるユリのことだ。
そこに四次元ポケット的な時空の歪みが発生していても、なんら驚きはしない。
「このスマホをどこぞの大学の研究室に提供したら、どこでもドアの開発が進みそう」
「あれ、いつからドラえもんの話になった?」
アヤセはすぐに「そんなことより」と続けて、机の上のスマホを摘まみあげる。
「これ、届けないとかわいそうだろ。帰りに寄ってく?」
「いいよ、明日で。どうせユリが持ってても意味がないし」
「あんたら、普段どうやって連絡取り合ってるの?」
「コンビニに出かけ時にばったりでくわしたら」
「なにそれ、君の名は?」
私はアヤセの手からスマホをひったくって鞄の中へと戻した。
どういう経緯で紛れ込んだのか知らないけれど、とりあえず一晩の間、PASS解除チャレンジをする権利くらいはあるだろう。
「それじゃあ今日は私が星を独り占めだ。よかったな~、ユリの他にも理解者がいて」
「すぐ帰るけど」
はやくPASS解除に挑みたいし。
すると、アヤセが身体をくねらせながら泣きついてくる。
「面白そうな映画があるんだよ~。ユリがいると落ち着いて見れないしっとり系のやつなんだよ~」
この感じ、なんか最近もあったなと思ったらつい昨日の事だった。
ユリのサンボマスターがエンドレスすぎて、なんだか遠い昔の出来事みたいに感じていた。
「しょうがない、いくか。レディースデイだし」
「よく言った! ママにも生活を彩る休みが必要だよ。略してママ活だな」
「無理あるし二度と言わないで」
「観た後はスタバで感想を語り合おうぜ!」
「すぐ帰るけど」
「え~、映画は観たあと語らうとこまでセットだろ~」
なるほど、言われてみればかつてはそんな文化もあったような気がする。
ユリと観に行くときはたいていすぐにゲーセンだのバッセンだの次の遊びにめまぐるしく変わっていくので、自分史の中ではすっかり廃れたムーブメントとなってしまった。
「たまには古の風習に則るのも悪くはないものよの」
「なんで公家風味なん?」
「……悪代官のつもりだったんだけど」
「星のボケは高度過ぎますわ」
アヤセに肩をすくめられて、妙な居心地の悪さを感じる。
おかしい。
そういうやれやれキャラは私のポジションのはずだ。
その違和感に答えを出すべく、私はひとつの可能性を導き出す。
「もしかして私、ユリがいないとボケなのか?」
「それもボケてるつもり?」
検証の結果は、ひどく不本意なものだった。
――古の風習に則るのも悪くないものよの。
試しにユリに同じ文面でメッセージを送ってみる。
彼女ならどう返してくるだろうか……と思っていたら、私の鞄がブルブル震えた。
そう言えばそうだった。
やっぱり……早めにスマホ返してやるか。私の立場の保全のために。