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3月2日 あいつがいない日

「セ~イっ!」


 昼休み。

 突然後ろから抱きつかれて、飲みかけたバナナジュースでむせ返る。


「うわっ、ゴメン! 悪気はなかったんだよ!」

「私のマーラーカオがバナナスペシャルになったんだけど」


 咄嗟に口を覆ったせいで、持っていた蒸しパンがぐっしょりとバナナジュースを吸っていた。

 後ろの席を振り返ると、アヤセが申し訳なさそうに手を合わせていた。

 今日はユリが休みだからと、すっかり油断していた自分が恨めしい。


「ところでどうだった? ユリっぽかったっしょ?」

「どうだろ……安いウニを食べたあとのエグみみたいなのが足りない」

「ユリの本質はニガリかあ。やっぱ保護者の言葉は説得力が違うわ」


 アヤセは肩口から垂らしたおさげをくるくるいじりながら、納得したように頷く。

 そんなに本気にされても困るのだけど、評価は的を射ていたと思う。


「可愛い娘が休みだから、さぞお寂しい思いをしていると思ってサービスしたつもりだったんだけど」

「どうせずる休みでしょ。心配する要素がどこにあるの」

「延々とサンボマスター熱唱してたからなー。絶対、喉が死んでるんだわ」


 本当の休みの理由は何となく察するけれど、アヤセにまで伝える必要はないだろう。

 彼女は素知らぬ顔でスマホの画面とにらめっこしていた。


「『元気い? ずる休みするならお姉さんも誘えよう!』……っと。これでどうだ」


 ユリにメッセージを送っていたらしい。

 だけどちょっと時間を置いて、私の鞄から鈍いバイブの音が響いた。


「あいつほんとまじさあ……」


 鞄を漁ると、底の方にユリのスマホの感触があった。

 引っ張り出して机の上に放る。


「なんでユリのスマホが星の鞄に入ってんの?」

「そんなの私が知りたいよ」


 スマホを携帯しないことに関しては天性の才があるユリのことだ。

 そこに四次元ポケット的な時空の歪みが発生していても、なんら驚きはしない。


「このスマホをどこぞの大学の研究室に提供したら、どこでもドアの開発が進みそう」

「あれ、いつからドラえもんの話になった?」


 アヤセはすぐに「そんなことより」と続けて、机の上のスマホを摘まみあげる。


「これ、届けないとかわいそうだろ。帰りに寄ってく?」

「いいよ、明日で。どうせユリが持ってても意味がないし」

「あんたら、普段どうやって連絡取り合ってるの?」

「コンビニに出かけ時にばったりでくわしたら」

「なにそれ、君の名は?」


 私はアヤセの手からスマホをひったくって鞄の中へと戻した。

 どういう経緯で紛れ込んだのか知らないけれど、とりあえず一晩の間、PASS解除チャレンジをする権利くらいはあるだろう。


「それじゃあ今日は私が星を独り占めだ。よかったな~、ユリの他にも理解者がいて」

「すぐ帰るけど」


 はやくPASS解除に挑みたいし。

 すると、アヤセが身体をくねらせながら泣きついてくる。


「面白そうな映画があるんだよ~。ユリがいると落ち着いて見れないしっとり系のやつなんだよ~」


 この感じ、なんか最近もあったなと思ったらつい昨日の事だった。

 ユリのサンボマスターがエンドレスすぎて、なんだか遠い昔の出来事みたいに感じていた。


「しょうがない、いくか。レディースデイだし」

「よく言った! ママにも生活を彩る休みが必要だよ。略してママ活だな」

「無理あるし二度と言わないで」

「観た後はスタバで感想を語り合おうぜ!」

「すぐ帰るけど」

「え~、映画は観たあと語らうとこまでセットだろ~」


 なるほど、言われてみればかつてはそんな文化もあったような気がする。

 ユリと観に行くときはたいていすぐにゲーセンだのバッセンだの次の遊びにめまぐるしく変わっていくので、自分史の中ではすっかり廃れたムーブメントとなってしまった。


「たまには古の風習に則るのも悪くはないものよの」

「なんで公家風味なん?」

「……悪代官のつもりだったんだけど」

「星のボケは高度過ぎますわ」


 アヤセに肩をすくめられて、妙な居心地の悪さを感じる。

 おかしい。

 そういうやれやれキャラは私のポジションのはずだ。

 その違和感に答えを出すべく、私はひとつの可能性を導き出す。


「もしかして私、ユリがいないとボケなのか?」

「それもボケてるつもり?」


 検証の結果は、ひどく不本意なものだった。


――古の風習に則るのも悪くないものよの。


 試しにユリに同じ文面でメッセージを送ってみる。

 彼女ならどう返してくるだろうか……と思っていたら、私の鞄がブルブル震えた。

 そう言えばそうだった。

 やっぱり……早めにスマホ返してやるか。私の立場の保全のために。

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