目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
約束の刻

 夢から覚めた私を待っていたのは暖かい珈琲だった。


「やっと目を覚ましたね。國春くん、望む夢は見られたかな」


「はい。見ることができました」


 いつも通りの『夢』からの目覚めであるが、胸の奥から寂しさが湧き出てこようとしているのがわかる。


「シラキさん、私はどれくらい眠っていましたか」


「三十分くらいかな。いつもより長かったね」


 壁に掛かっている時計を見ると、確かに時刻はまだ九時を過ぎたばかりだった。


「あの、身体は大丈夫なんですか」


 初めて『夢』を買った人を見たためかマユミさんは心配そうな視線を私に向けていた。


「心配ありませんよ。私も今回で三回目です。流石に慣れてしまいました」


 ようやく安心したようでマユミさんは安堵の表情を浮かべる。


「シラキさんそろそろお願いできますか」


「おや、もういいのかい。てっきりもう少しゆっくりしていくと思っていたんだけどね」


 たしかにシラキさんの予想通り当初はもう少しゆっくりするつもりだった。しかし、今日夢を見るまでの時間を過ごし、夢を経験してからはこれ以上ここに居るといつまでも前へ進むことができないと思ってしまった。


「これ以上長居をしてしまえば私の決心が揺らぎます。だからすぐにでも離れなくてはなりません」


 私の気持ちを理解したシラキさんはほんの少し寂しさを滲ませたが、すぐに作業へと戻った。一方でマユミさんは私たちのやりとりの意味を理解していないようで私たちの雰囲気についていけないようだ。


「シラキさん、伝えていないのですか」


「君が一人目だったからね。もう少し色々な人を見てからのほうが良いと思うんだよね」


「そうですか」


 これまで何度もお世話になったシラキさんの考えであれば私はこれ以上口を挟む必要はないだろう。短い時間ではあったが仲良くなれたにも関わらず、今後会うことが難しいと考えると少し残念だった。


「マユミさん、ボクは必要なものを持ってくるので座敷や机を整えておいてくれませんか」


「わかりました」


 シラキさんが座敷から離れるとマユミさんは指示されたとおりに片付けを行い始めた。その間私は店内へと目を向けた。十九歳の頃に初めて訪れた時からほとんど変わっていない白幻堂をもう訪れることができないというのは目標が達成できた充実感とは別に胸の奥に寂しさをもたらしていた。

 戻ってきたシラキさんは手に何やら小さな箱を抱えていた。


「君もとうとうこれを受け取る時が来たね」


 シラキさんが私の向かいの席に座るとマユミさんを手招きで呼び、自らの隣の席へ座らせた。


「白幻堂では國春くんのように三回夢を見た人にはこの箱の中身を渡す習わしがあるんだ。中身はボクたちが丹念に作ったモノが入っている。この先の人生において君を助けてくれるはずだからずっと持っていてくれると嬉しいな」


 箱が開けられる。中には布で包まれた小さなものが置かれていた。布がめくられると姿を現したのは白い狐の根付だった。どこかシラキさんを思わせる表情の根付は不思議と安心感をもたらしてくれる。

 シラキさんから手渡された根付を手のひらにのせると吸い寄せ慣れるように目が離せなくなるように感じた。


「國春くん、君がどうしても解決できない人生の悩みにぶつかった時その根付に祈るといいよ。そうすればほんの少し君の願いの手助けをしてくれるはずだからね」


 渡された根付を決してなくさないように大事にしまう。


「シラキさん、今までありがとうございました。貴方のおかげで私は何度も前に進むことができました」


「気にすることはないよ。それがボクの責務だからね」


 私とシラキさんが握手を交す横でマユミさんはやはり現状をあまり理解できずにいるようだった。


「マユミさん、これからシラキさんのことをお願いします」


「えっ、はい。私が面倒をみて貰うことが多い気がしますが助けになるように頑張ります」


「それとシラキさん。伝言をお願いできますか」


 ふと、このとき何故か私の頭には私以外のもう一人の常連の存在を思い浮かんでいた。私からの気遣いなど不要と言われてしまうだろうが、それでも友人としてどうしても言葉をお伝えたかった。


「かまわないよ。それでどんな伝言を伝えればいいのかな」


「私は先に前へ進みます。そう伝えてください」


 快く引き受けてくれたシラキさんに伝言を託す。これで私の思い残すことはないはずだ。


「君らしいね。伝えておくよ。それじゃあ気をつけてね」


「はい。ありがとうございました」


 見送る二人へ会釈をすると私は白幻堂から去って行った。


 あの約束の日から今日がちょうど五十年。かつて彩梅さんと歩いた桜並木があった場所に来ていた。そこにはどこまでも続いていくように感じていた土手の桜並木がほとんど消え、今では以前とは比べものにならないわずかな木々が存在するだけになっていた。逆に河原にはいくつかの木や大量の草が生い茂り以前とは比べものにならない景色を創り出していた。

 先ほど見た夢とは異なる景色になってしまった場所だが、どうにか記憶と照らし合わせ約束の場所を探す。今も残っている建物と記憶にある建物の位置からおおよその場所を見つけると新しくできていた階段を使って河原へ向かった。

 かつてあった桜並木の中央あたりにやってくるとそこからおおよその目星をつけそれらしい場所を探す。


「たしか、このあたりに道があったはず」


 記憶を頼りに細い道を探すが、見つけることができない。仕方なく周囲の草木を注意深く観察しながら回ってみると以前とは異なる道らしき地面が見えた。他に道を見つけることのできなかった私はこの道があの場所に繋がっていると信じて草木をかき分けながら細い道を進んでいった。


「ここは、五十年前の……」


 私の目の前には五十年前に訪れた場所があった。以前に比べ多少草が生い茂り荒れているが、小さいながらもぽっかりと空いた空間は間違いなく記憶の通りだった。

 風が草木を駆け抜ける音が聞こえる。そこには誰にも見つかることがない静かな空間が変わらずあった。

 約束の場所に辿り着いた私はあのとき彩梅さんが見せてくれた本を探そうとこの狭い空間を見渡した。

 この辺りだっただろうか。記憶を確かにどうにか見つけようと地面や周辺の草木を触るが手がかりらしいものは見つからない。どうしたものかと悩んでいると草木をかき分け近づいてくる足音が聞こえてきた。


「久しぶりね國春くん。約束を覚えていてくれたのね」


 草木をかき分け現れたのは彩梅さんだった。幾つになっても変わらない目が眩むような笑顔を浮かべている。あの夢であった出来事から暫くして私たちは結婚した。とはいえ、何か大きな変化があったわけではなく二人で様々な場所へ行く日が続いた。


「私が君との約束を忘れるわけありませんよ。その木箱は、」


 彩梅さんの手には見覚えのある木箱が握られていた。


「この前、河が増水するっていう話を聞いたから回収しておいたの。そのあとすぐに海外巡りを再開したから戻す暇がなくってね。もしかして探してくれていたの」


「彩梅さんが来る前に見つけようと考えていたのですが、彩梅さんが持っていたのですね。どうりで見つからないはずです。ところで今回の海外巡りはどうでしたか」


「なかなか楽しかったかな。見たかった景色も見ることができたしね。國春くんも一緒に来れれば良かったのに」


「私はもう以前ほどアグレッシブに動くことはできませんよ」


 五十年経っても行動力の変わらない彩梅さんと違い、私はすでに以前のように身体を動かすことができなくなっていた。疲れも溜まりやすくなっていてもう遠出をすることもできない。


「國春くんと一緒だと楽しんだけどね」


「私も彩梅さんと一緒だと楽しいですよ。なので、海外巡りでずっと会えない時間が続くと寂しくなってしまいます。せめて連絡だけでも取れるようにして欲しいのですが、」


 彩梅さんの海外巡りは長ければ長いほど連絡を取れなくなることが多い。今回も半年以上連絡ができなかった。


「それについては反省しています。連絡手段を壊しちゃうことが多くてね」


「もういいですよ。それよりも久しぶりにここでのんびりと過ごしませんか」


「いいね。たまにはのんびりしようか」


 この日、私たちは日が暮れたことに気づくまで二人だけの空間でのんびり過ごしていた。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?