白幻堂に入ってきた女性と私の目が合う。途端、驚いた表情を浮かべた女性は慌てて店内をキョロキョロと見渡している。
「マユミさん、國春くんはお客さんだよ。一先ず裏で準備をしてきてもらってもいいかな」
「わかりました」
シラキさんを見つけ安堵の表情を浮かべた女性は言われるがままにそそくさと裏へ行った。
「彼女が新しい店員の方ですか」
「そうだよ。まだお客さんが来てないと思っていたみたいだから驚いたみたいだね」
「それは悪いことをしてしまいましたね」
「君が気にすることではないよ。ボクが君のことを伝え忘れていたんだ。マユミさんも驚いただけで気にしてはいないはずだからね」
内心で安堵していた。
今日話をすることができるかもしれない。マユミさんの話を聞きたかった私にとってシラキさんの言葉はそう思わせるには十分だった。
「先ほどはすみません」
暫くすると店の奥からやってきたマユミさんはまず始めに私へ謝罪を行った。どうやら先ほどの態度を気にしているらしい。
「気にしないでください。驚かせてしまった私と私のことを伝えていなかったシラキさんにも問題がありますから」
「そうだね。ボクが昨日のうちにマユミさんに國春くんのことを伝えておけば良かったからね」
シラキさんも同意してたことでマユミさんは安心したようでホッと息を吐く。
「それじゃあ、早速紹介しておくね。この子が今日から白幻堂で働くことになったマユミさん、こっちがこの店の常連の國春くんだよ」
「よろしくお願います」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ぎこちなく頭を下げる様子からまだ緊張しているものの、拒絶されているようではなかった。忠敬さんからの紹介ということもあり悪い人ではないだろうが、癖のある人かもしれないという考えは杞憂だったようだ。
「じゃあボクはちょっと裏で準備をしてくるから少しの間二人で話しててくれるかな」
「わかりました店長」
マユミさんからの様子を確認したシラキさんはさっさと裏に向かっていった。どうやらお膳立てをしてくれたようだ。
さて、どのような話をしようか。そんなことを考えていると意外にもマユミさんの方から話しかけられた。
「あの、國春さんってこの店の常連さんなんですよね」
「そうですよ」
「それならこの店の店長、シラキさんがどんな方か教えて貰えませんか」
きっと彼女もシラキさんの姿に驚いたのだろう。くすりと笑いそうになりながらもどうにか笑いをこらえる。シラキさんのことだから必要なことは伝えたものの自分のことをあまり伝えなかったのかもしれない。そう思いながらこれまでのシラキさんとの思い出を頭の中でまとめていった。
「シラキさんがどのような方かですか。そうですね。シラキさんはここを訪れる人を大切になさっている方ですよ」
「大切に、ですか」
マユミさんはいまいちピンときていないのか少し首をかしげている。
「大切にです。白幻堂を訪れる人は悩みを抱えている人が多いですからね。そういった人が前に進めるようにシラキさんはよく手助けをされています」
「その、國春さんも店長に助けて貰ったんですか」
「はい、何度も助けて貰いましたよ」
「そうなんですね……。他にも何か店長について教えてくれませんか」
不安なのかもしれない。私はマユミさんの表情からそう思ってしまった。よくわからない場所にある、狐が店長をやっている喫茶店で突然働くことになった。字面にしてみると確かに不安を煽る要素が多かった。
「他にはシラキさんは料理が上手な方ですよ」
「料理、上手なんですか。その狐ですよね」
「狐ですね」
確かに料理が上手な狐はイメージが難しいかもしれない。人間とは手の形が違う上にぱっと見でわかる調理器具や置かれている場所も大人の人間が料理を行う高さであるため余計少し大きな狐にしか見えないシラキさんが料理をしている場面をイメージしにくいのだろう。
「このお店の料理はほとんどシラキさんが作っているのですよ」
「えっ、そうなんですか。もしかしてシフォンケーキもですか」
「シフォンケーキもよく作られていますね。食べたことがあるのですか」
「はい。面接の時に店長が出してくれたんです。それがとてもおいしかったので」
マユミさんは味を思い出しているのか頬が緩んでいた。
「シラキさんの作る料理はどれもおいしいですからね。私も頻繁にこの喫茶店に食事をしに来ますよ」
「やっぱりどの料理もおいしいんですね」
実際シラキさんの料理はこの喫茶店を訪れる様々な人々が満足していくものだった。シラキさん曰く趣味が高じたものとのことだが、シラキさんは白幻堂に来る人々を大切にするため、その一貫なのかもしれない。中には私がまだで出会ったことのない料理を食べるために長年店を訪れる常連もいるらしい。
「私からも一つ質問してもいいですか」
「いいですよ」
「弦園忠敬さんをご存じですか」
知り合いだったようでマユミさんは目を大きく見開いていた。
「お祖父ちゃんを知っているんですか」
今度は私が驚かされることとなった。忠敬さんに孫がいるという話は聞いていたが、まさかマユミさんが孫だったとは予想していなかった。
「ええ、忠敬さんも白幻堂で働いていましたからね。そのときに仲良くなったのですよ」
「えっ、お祖父ちゃんここで働いていたんですか」
再びマユミさんが大きく目を見開く。この様子では、あまり白幻堂についても知らないのだろう。もしかしたら私との話す時間を用意したのは彼女にこの店を知ってもらうシラキさんの思惑があったのかもしれない。
「おや、知りませんでしたか」
「はい。私から聞くこともありませんでしたしお祖父ちゃんもあまり仕事の話をする人ではなかったので、」
意外だった。私の知っている忠敬さんであれば喫茶店で働いていることを家族に話していると考えていた。無論、白幻堂が普通の喫茶店と異なるのは知っているがそれでも家族に一切話せないほど変わっているわけでも秘密主義なわけでもないだろう。
「家に帰った後に忠敬さんに聞いてみるといいですよ。忠敬さんなら教えてくれるはずですから」
マユミさんが気まずそうに目線を逸らす。
「その、お祖父ちゃんは今日本全国を巡る旅に出たばかりでいつ帰ってくるかわからないんですよね」
返ってきたのは予想外の答えだった。確かに白幻堂で話した忠敬さんは行動力のある人であったが、ここまでぶっ飛んだ行動を取る人ではなかったはずだった。どうやら白幻堂を止める際に今まで押さえ込んでいた箍が外れたらしい。
「なので良ければこのお店で働いていたお祖父ちゃんの話を聞かせてくれませんか」
「時間もあまりないのでたくさんのことをお話しすることは難しいですが、いくつかであればお話しましょう」
「本当ですか。ありがとうございます」
本当に今日はタイミングが悪い。マユミさんの喜ぶ姿を見ながらそんなことを考えていた。今日に限って白幻堂に居たいと思える理由が続け様に出てくるとは思わなかった。本当であれば時間をかけてたくさんの話を聞かせてあげたいところだったが私にはあまり時間がない。仕方がないのでいくつかの出来事を思い出しながら特に印象深い話をしよう、そう内心で決めた。
「まずは、私が忠敬さんと出会った頃の話になるのですが、」