「う……」
ウツロは目を覚ました。
そしてどうやら、自分が何か無機質な器具によって拘束されていることに気がついた。
「ここ、は……」
薄暗い、しかしある程度の広がりを感じる部屋。
少し時間が経って、目が慣れてくる。
「実験室……?」
用途はわからないが、いかにもそんな所感を受ける場所だった。
そうだ、俺はディオティマに捕らえられ、意識が遠くなって……
頭が痛む。
頭部にも何か、装置のようなものをはめ込まれているようだ。
「くそっ、うかつだった……ディオティマめ、俺をどうする気だ……?」
歓迎されているという雰囲気ではもちろんない。
体はろくに動かず、アルトラもなぜか発動できない。
「やつめ、何か細工をしたのか?」
そうこうしているうちに、こちらへやってくる気配が感じられた。
「う……」
光が一気に差しこんでくる。
扉が開かれたのだ。
いや、両サイドにずれていくそれは、扉というよりは防御壁といった風情である。
「グッ・モーニン、ウツロ~。そろそろ目を覚ますころだと思っておりました」
「ぎひひ、ウツロ。いいかっこうだな?」
ディオティマがキセルをふかしながら入室し、そのあとにバニーハートがとことこと続く。
そのままウツロの眼前までやってきた。
「これは何の真似ですか?」
ウツロはあらぶる心を抑えながら問いただした。
「何の? 知れたこと、あなたからデータを拝借している最中なわけですよ。そしてそれが終わったら、改造して洗脳して、わたしの意のままに動く生体兵器となっていただきます。ふふっ、それこそ一国の軍事力と比較しても引けを取らないだけの存在に、あなたはなれるのですよ?」
「……」
魔女のほほに唾が飛んだ。
「ぎひぃ……」
バニーハートが冷汗をかく。
しかしディオティマは、黙ってふところからハンカチを取り出し、それをふいた。
「反吐が出るので出してさしあげたまで、平にご容赦ください」
慇懃無礼、しかし当事者からすればしごくまっとうな対応である。
「ふう、ウツロ・ボーイ。わたしがこの程度で激高するような、器の小さい人間にでも見えましたか? それとも癇癪に任せ、ヒステリックにわめきちらせば満足ですか?」
「器が何ですって? 人を拉致監禁するようなマッド・サイエンティストが」
魔女はジトっと見つめている。
「何とおっしゃってくださってもけっこうですよ? すべてはわが悲願のため。あなたに話す必要はありませんが、そのために利用させてもらいますので」
「ふん、全知全能になるという例の研究ですか? 神をも蹴散らす存在になりたいそうですね。まるで子どもの発想だ。それこそあなたの器を示す証左ではありませんか?」
ウツロは静かに、しかし確実にディオティマを罵倒する。
「ぎひ、ウツロ、貴様、いいかげんに――」
「バニーハート」
目を血走らせるバニーハートを、彼女は制止した。
「ウツロ・ボーイ、あなたほどの人物であるのならば、この状況は容易にお察しがつくかと思いますが? わたしがそこにある小さなスイッチを押すだけで、あなたは地獄の苦しみを味わうことになるのですよ? それこそ、アリを踏みつぶすほどの力も必要ないのです」
「はっ、正体を現しましたね? しょせんは単なるサディストだ。神さまごっこがしたいのなら、ご自分のお部屋に箱庭でも作るのですね」
応酬につぐ応酬、しかしここで、かの魔女はというと。
「何がおかしいのですか?」
笑っていた。
声こそ出してはいないが、いかにも薄気味悪い、口角をほんの少しだけ動かすような笑い方である。
「いえいえ、ちょっと昔のことを思い出しましてね。いやいや、何でもない、実に些細なことなのですが」
「わざとらしい。また何か、いかがわしいことを考えているのでしょう?」
「失敬な、そんなこと。ただ、あの女の顔が、あまりにも間抜けだったのを思い出してしまって、ぷっ……」
「あの女、とは……?」
ウツロは何か、猛烈に嫌な予感がした。
「わたしが手をかけた女のことですよ、ウツロ・ボーイ。正確には間接的にですが。精神を蝕まれ、床に臥せっているその女をね、担当医に手を回して、始末してもらったのです」
「……」
「出産したばかりだったのですが、虫の息とはいえ、確かに生存はしていた。そこでね、点滴の中に、ちょっとした細工をね……」
「きっ……」
「その医師に遺体の写真を撮ってもらっていたのですが、まあ、その顔の間抜けぶりときたら、ぷぷっ!」
「きっ、きっ、きっ……」
「何という名前でしたかねえ、あのお方。ああ、思い出した。そうそう、確か確か、アクタさん、でしたねえええええ」
「きっさ、まあああああっ!」
ウツロは咆哮した。
当たり前である。
まぶたの母であるアクタ。
いくら間接的にとはいえ、それを殺害せしめたのがほかならぬディオティマだったのだ。
これを知って、激怒するなというほうが無理である。
なぜだ?
俺の母は?
アクタは?
こんなやつに、こんなやつの欲望を満たすために?
ゴミのように殺されたのか?
あんまりだ、神さま、あんまりだ。
返してくれ、俺の母を。
俺の、人生を。
「ふふ、いい感じですね」
魔女はニヤリとほくそ笑んだ。
共感覚。
ディオティマは人間の精神状態を、色として認識することができる。
いま目の前にいる少年の色は、そう、まるで地獄の業火。
寸前までは目も覚めるような青だったというのに。
そんなものだ、人間なんて。
弱く、もろく、すぐに崩れる。
時代がいくら変化しようとも、その本質はいっさい変わらない。
いままでと同じとおり、この勝負も、わたしの勝ちだ……!
「返せディオティマ! 俺の母さんを、返せえええええっ!」
ウツロの顔面は醜くよどんでいる。
泣きじゃくるその姿は子どものようで、頭の中からはお得意の「人間論」もすっかりと消し飛んでいた。
「ふふふ、ウツロ・ボーイ、その調子です。人間などいかにおぞましく、くだらないものであるか、あらためてよくおわかりいただけたでしょう? あなたの父、ミスター
「うっ、ううっ……」
「人間は駆逐しなければなりません。殺すのです、ウツロ・ボーイ。あなたの持つ強大な力をもって。人類に罰を与えるのです! 天誅を下すのです!」
「うう、憎い……人間が、憎い……」
ウツロの精神に異変が生じた。
もちろんというか、すべてはディオティマの策略である。
特殊な周波数を持つ電磁波を流し、ウツロの脳を揺さぶっていたのだ。
そこへ話術を用い、「とどめ」を食らわせたというわけである。
「もっともっと、怒りを増幅するのです。人間という唾棄すべき存在に対してね。ウツロ・ボーイ、あなたはさらに強くなる。その力をもってして、人類に粛清を執り行うのです。地球をけがす害虫どもを、ノアの洪水よろしく薙ぎ払い、洗い流すのです。それこそまさに、ふふっ、神の御業ですよ?」
「神……俺、が……?」
「そのとおりです、ウツロ・ボーイ。あなたに人間などもったいない。あんな薄汚い存在など。それこそ神にふさわしい。いまこそ生き神となり、全地球上に君臨するのです。宇宙の平和はそう、あなたにかかっているのですよ? 人類を正しい方向へと導けるのは、ふふっ、あなただけなのです……!」
「神、そう……俺は、神だ……人間は、人間という存在は、間違っている……この俺が、正しい道へと、導かねばならない……不要な者は削除し、必要な者だけが、生き残ればよい。それが俺の、人間論、だ……!」
ディオティマはこみあげてくる笑いを必死にこらえた。
いま本当に彼は、自分が神になったと錯覚している……!
いい、実にいい……!
あとはわたしが、それを利用するだけ。
ふふっ、ふはははははは!
「われこそは、救済の神・ウツロ……!」
かくしてウツロは「魔道」へと堕ちたのであった。