大学三年生になると、誰もがゼミに所属することになる。それは大抵の学生の間では常識で、例に漏れず僕もどこのゼミに入るか、希望を出す必要があった。
主体性ゼロの僕が悩みに悩んで選んだのは、奏と同じメディア系に特化したゼミ。たまに映画を観れることと、単位を取りやすい教授が担当していることが、そのゼミを選んだ理由。
未だに自分の将来も決めかねているぐらいだ。
漠然とどこかに就職できたらいいなあとしか思えない自分に焦りもある。
だけどまだ就活までは時間があるし、一先ずはこのゼミで単位を落とさないように頑張ろうと思っていたのだけれど……。
「
「えーと……うん、行くよ」
「幹事やってくれてありがとう」
「好きでやってるから気にすんなって! またグループに詳細連絡するわ~」
まさか、学科内の陽キャが集まるゼミだなんて知らなかった……。
明らかに自分とは住む世界が違うのに、それでも親しく話しかけてきてくれるのはありがたい。ありがたいんだけど、その優しさが痛かった。
親睦会をいきなり欠席するのは印象が悪すぎるだろうと思って行くことにしたけれど、今からでも断ってしまいたい。
奏が一緒のゼミでよかったと心から思う。
飲み会なんて数える程しか行ったことがないから、憂鬱と緊張が入り混じって今からどうにかなってしまいそう。
バイトがあるから欠席で。
そんな断りの常套句を何度も入力したけれど、結局送信ボタンを押すことはできなかった。
典型的なノーと言えない日本人。
奏からはお人好しってよく言われるけれど、人から嫌われるぐらいなら自分が我慢すればいいやって思ってしまう。
親睦会が近づくにつれ、どんどん元気がなくなる僕を奏は何も言わずに見守っていた。いつものことだと、幼なじみの彼は虚無を抱えた僕にもうすっかり慣れてしまったらしい。
☆
ジョッキについた水滴がテーブルを濡らす。
大学近くの居酒屋で行われている親睦会。
貸し切られた座敷の隅で気配を消した僕は、ちびちびとハイボールを飲みながら枝豆を黙々と食べることに専念している。それが今の僕に課せられた唯一の仕事だった。
ゼミ生みんなの親睦を深める会だからと、席順をくじで決めることになるなんて思ってもいなかった。
居酒屋に到着して早々、ほら引いてと差し出されたくじの入った箱を前にして、僕の顔がサーッと絶望に染まったことは想像に容易いだろう。
こういう時、大抵僕はハズレくじをひく。
嫌な予感は当たるもので、奏とは離れた席になってしまった。
「大丈夫か?」
「…………なんとか」
心配そうな表情を隠そうともせず、奏が尋ねてくる。
たぶん、こいつ、今ここで僕が無理だって言ったら、幹事の宇田に相談して席を変えてもらうんだろうな。
そうなることが目に見えて予想できたから、ギギギと首を横に振った。
奏も僕に構ってばかりじゃなく、たまには他の人とも交流するべきだと思ったから。
産まれてからずっと、奏が隣にいた。
だけど、いつまでも奏に面倒を見てもらうわけにはいかない。
僕も奏も、いい加減外の世界を知るべきだ。
今日はその第一歩を踏み出すいい機会なんだ。
そう思ったのはいいものの、現状は違う。
今すぐにでもこの地獄から逃げ出したい、あるのはその一心だった。
氷が溶けきって薄くなったハイボールを、また少し喉奥に流し込む。
正直ぬるくなってしまって味も美味しくはないけれど、会話下手で手持ち無沙汰な僕の大事な武器だった。
「ねぇねぇ、吉良くんもさ、二次会行くよね」
「え、僕?」
そんな時、斜め向かいに座っていた女子が突然声をかけてきた。
女子と話すこと自体久しぶりで、素っ頓狂な声を出してしまって頬を染める僕をからかいもせず、彼女は柔らかく微笑んだ。
「この後予定ないなら、せっかくだし行こうよ」
「うん……」
その笑顔があまりにも眩しすぎた。
断ることに気が引けて、僕は視線を外しながらぎこちなく了承の意を示すことしかできなかった。
本当はさっさと帰る予定だったのに……。
いつもなら奏の助け舟がやってきただろうけれど、今回ばかりは運が悪かった。
あまり量は食べていないのに、なんだか無性に胃の中が重たくなった気がした。
「行くの?」
「……行くよ」
「珍しいじゃん」
「…………」
永遠かのように思われた親睦会がようやくお開きになり、店を出て真っ先に向かうは奏の隣。
まさか僕が二次会に行くとは思ってもいなかったらしい。そりゃあ奏も驚くよな、僕自身が一番驚いてるんだから。
「羽目を外しすぎないように、特に宇田」
「何で俺だけ名指し!?」
二次会には教授は参加しないらしく、生徒に釘を刺すと駅の方に向かっていった。その後ろ姿を僕は羨ましく眺めていた。
カラオケの広い部屋のこれまた隅っこで、僕は気配を消すことに専念していた。その様子は、まるで怯えるチワワ。
今度は奏が隣にいるけれど、それでも多勢に無勢、圧倒的アウェイの環境はそわそわして落ち着かない。
歌うことは好き。
自分に自信の持てない僕だけど、歌だけは唯一楽しいと思えることだった。
だけど、自分からあまり関わりのない人たちの前で歌おうとは思わない。緊張するし、下手だなぁって思われるのも嫌だし。
今度は目の前のメロンソーダの炭酸が少しずつ抜けていく様を見つめながら、ただ退室時間になるのを待っていた。
「吉良、そんな隅っこでじっとしてないでお前も歌えよ」
すると、宇田が目ざとく僕を見つけて、マイクを無理やり握らせた。
(どうしよう……)
いつの間にか曲を選ぶ流れになってしまって、遠慮がちに機械を操作する。
曲選びに時間をかけたら、不要な期待値が跳ね上がってしまうかもしれない。適当にランキングを漁っていると、数年前に律が主演を務めた映画の主題歌がランクインしていた。
これでいいやと半ば投げやりな気持ちになりながらリクエストを送れば、イントロがすぐに流れ始めた。
(バラードにするんじゃなかった)
落ち着いた曲調よりも、もっとみんなが盛り上がる曲にすればよかったかも。
場の空気をシラケさせたなんて思われたらどうしよう。
宇田やその友だちは「いいじゃん!」と盛り上がっているから、今更曲を変更することも言い出しにくい。
ここまできたら歌うしかない。
どっちにしろ、律の曲を手を抜いて歌うことなんてできない。
マイクをぎゅっと握りしめて、僕は大きく息を吸った。
スマホをいじったり、曲を選んだり、喋ったり各々好きなことをしていたみんなは僕の歌声を聴いた途端、ぱたりとその手を止めた。
奏を除く全員が驚きに満ちた表情で僕を見つめていることには、全く気づかなかった。
ただ僕は前を向いて、画面に映るMVの律に夢中になりながら歌っていた。
だから宇田がスマホを手に取って勝手に撮影を始めたことなんて、誰も気がついていなかった。
☆
それからおよそ二週間が経った。
平穏に静かに目立つことなく大学生活を送りたいと思っていたのに、僕は今や注目の的になりつつあった。
マンモス校だから全校生徒とまではいかないまでも、学科内のひとにはすれ違った後に必ずといっていいほどひそひそ話をされている。
「ねぇ、あのひとだよね」
「まじで歌上手いんだってね」
そんな声が聞こえてくると、むずむずして居心地が悪い。僕なんか放っておいてほしい。
透明人間になりたい。切実にそう思った。
隣を歩く奏はいつも通り飄々としていて、僕だけが憂鬱な気持ちになっていた。
「吉良!」
共通科目の授業を受けるために大講義室に入ると、上の方の席を陣取っていた宇田が頬を紅潮させて駆けてくる。
興奮している宇田に嫌な予感しかしない。
人の目を避けるために下を向いていた僕は、名前を呼ばれてすぐにそう思った。
このままUターンして逃げ出してしまおうか。
くるりと踵を返す前に、宇田は僕らの前にやってきた。
「待ってたのに来んの遅せぇよ~」
「……ごめん?」
身に覚えがなくて、頭上に?マークが浮かぶ。
上機嫌な宇田に肩を組まれて訳も分からないまま謝ると、彼はニカッと気持ちいいほど爽快に笑った。
「お前、テレビに出られるって」
「…………は?」
「今度オーディション番組やるらしくてさ、他薦もOKだったから吉良の動画送ったら通っちゃったんだよね」
宇田の見せるスマホの画面には、確かに僕の名前と一次審査通過の文字、そして収録日の詳細が書かれたメールが映っていた。
どうして了承も得ずにそんなことを……。
まじまじと信じられない思いで宇田を見上げれば、彼は何を勘違いしたか、バシッと僕の背中を叩いて「頑張れよ」と宣った。
「お前、勝手に送ったのかよ」
「黙って送ったのは悪いと思ってるよ。けど、こんなチャンス滅多にないじゃん」
「お前は紹介者として得したいだけだろ」
「そ、そんなことねーし」
さすがにそんな宇田の態度を不快に思ったのだろう、奏が代わりに問い詰めてくれる。
図星をつかれたのか、少し焦った様子を見せながらも宇田は奏には言い負かされると察したのか、僕の肩を真正面からガッと掴んだ。
「吉良、出るよな」
「…………」
「頼むよ、何でもしてやるから。お前は才能の塊なんだって」
「やめろって」
何も言わない僕に焦れた宇田が必死な形相に変わった。奏も少しヒートアップしてきたのか、語気が強くなっている。
大講義室の入口で揉める僕たちを他の生徒は遠巻きに眺めていた。
オーディション番組、それは律の住む世界への入口。天界を覗いてみるぐらいは、僕にも許されるだろうか。
ごくりと唾を飲み込む。
「…………いいよ」
精一杯の勇気を振り絞って了承すると、思った以上に声が掠れてしまって恥ずかしい。
「紡、」
「大丈夫、やってみる」
「よっしゃー!」
喜色いっぱいに破顔した宇田が抱きついているのを剥がしながら、奏は眉を下げて心配そうに僕を見つめていた。
もう決めたこと。後戻りはできない。
有名になりたいとかテレビに出たいとか、そんなことを考えたことなんて一度もなかった。
でも、許されるならば、ほんの少しでいいから律に近づいてみたくなった。
最初で最後のチャンスを与えられて、欲が出てしまったんだ。