八雲が第二ドームの建設を開始してから、まもなく一年が過ぎようとしている。
この間、陣内家恒例であるお盆の行事と新年の陣内家祝賀参賀も終わり、そして春がやってくる。
無事に大学4年に進学した八雲は、卒業のために日夜単位計算と卒業論文の制作の為に日々追われ始めている。
その間に、FSIのシリンダー型ドーム都市の内部構造も完成し、いよいよ人間が生存できるかどうかのテストの準備が始まった。
最初はISS(国際宇宙ステーション)での生活経験のあるアストロノーツから十二名が参加し、一か月、三か月、半年というスパンでの実生活実験を行い、火星地表上での生活によるどのような影響が出るのかを観測するのが目的である。
なお、グラハム・マックバーンと、マックバーン財団に出向となった丹羽の二人はすでに第一風祭ドームからFSIシリンダードームに引っ越しが完了、そこと地上を繋ぐ転送システムを利用して、随時地球と連絡を取るようにしている。
通信その他についても、火星軌道上に打ち上げられたFSIの通信衛星を通じて地球とのやりとりが可能となり、時間差は発生するものの、テレビ中継やスマホでの連絡なども可能となっている。
食料関係については、シリンダードームの後方が植物プラントとして改造されており、そこで自家菜園を作り、食用に耐えうる野菜が作れるかどうかの実験もスタート。
本格的に火星地表で人類が生活できるかどうか、その実験が本格的に稼働したのである。
………
……
…
――第二風祭ドーム
直径1.5キロメートル中心の最長高500メートル。
地下3層構造で作られた第二風祭ドーム、仮称『火星温泉郷』は、ついに完成。
和風造りの温泉宿をはじめ、観光物産店や娯楽施設、幾つもの野外温泉などが併設。
そのほとんどの管理は地下に設置された【エクスマキナ型生命維持機関・改】と、そこにケーブルを通じて接続している第一風祭ドーム地下の魔導頭脳が管理を担っている。
なお、折角完成した火星温泉郷であるが、現在は従業員不足により営業は行っておらず、もっぱらFSIシリンダードームに滞在しているアストロノーツたちに対して週に一度だけ開放していた。
「うん、やっぱり人手が足りないよなぁ」
温泉宿『マルスの湯』のロビーで、八雲はのんびりと大型モニターで映画を見ている真っ最中。
自宅よりも大きなスクリーンを設置しているため、仕事して火星温泉郷にやって来た時は、ここで休憩し食事を取るようにしている。
ちょうど今日は『FSI開放日』であり、宿の温泉施設にはアストロノーツたちが集い、のんびりと温泉を楽しんでいる。
ちなみにアストロノーツ全員が同時に来るのではなく、6人ずつで日を改めてくるように努めている。
「ん、誰かと思ったら八雲くんか。こんなところで会うとは、珍しいな」
「んんん、グラハムさんこそ、今日はこっちなのですか? うちの地下温泉施設を使っているかと思ったのに」
「いや、たまには来るようにしているのだけれどね。アストロノーツたちから直接話を聞ける、いい機会だと思ってな。それよりも、人手が足りないとか話していなかったか?」
しっかりと八雲の言葉に耳を傾けていたグラハム。
それならばと、八雲も座りなおしてグラハムの方を向いた。
「そうなんですよ。ほら、ここって一応は温泉郷じゃないですか。観光地的に使えるかなぁって作ってみたものの、名産品もなければ宿としての機能も不完全ですから」
「確かに、今は温泉施設としての機能しか働いていないようだからな、ちなみに清掃業務とかは? セネシャルたちが担当しているのかね?」
「いえ、ここの清掃関係はアクウェに担当して貰っていますけれど。ほら、外見的にもただのマネキンじゃないですか、接客業務ってできないんですよね」
アクウェは感情を表に出さない。
また、発声器官を有しておらず、体表面の紋様の発光とそれに伴う意思変換しかできず、それも『YES』か『NO』といったものでしか表現できない。
八雲なりに改造できないかと考えたものの、アクウェはそれ単体がすでに完成した存在故、八雲が手を付けられる箇所が存在していなかったのである。
「ふむ。それなら、人を雇うというのはどうだね?」
「人……かぁ。まあ、このドームの開いている場所では、まだ建物を建造していますから。そこを従業員用の設備として利用すればいいかな……」
「それと、福利厚生も忘れずに……と、ちょっと待て、そもそも営業許可はどうするつもりだ?」
「ここって僕の土地で……って、ああ、そっか」
ここで問題になるのは、八雲の国籍。
火星に2年以上も住んでいるので、いい加減、日本国籍を外した方がいいというのがグラハムの提案である。
ここが火星という意味不明な立ち位置であるからこそ、不動産関係での税金を日本から請求されていないものの、本当ならば『海外不動産』として手続きを取る必要が発生するかもしれない。
だが、何処の誰が、火星という一つの惑星の資産価値を正式に算出できるかという問題があり、その時点で日本の国税庁は風祭八雲に対して海外不動所得税を請求することを断念。
そもそも、火星を利用しての収入が全くないため、請求しても最低ラインの〇円なのである。
「そういう事だ。表向きはゼロ円であるが、マックバーン財団からは火星の土地利用代は君に支払っていることになっている。もっとも、それは私のエージェントが日本で君の代理手続きを行っているので、特に八雲くんが深く考える必要はないようにしてある。そうそう、それらの書類の一括管理についてはセネシャルに任せてあるので」
「な、なるほど……色々とありがとうございます」
「いや、君に任せておくと、色々と面倒なことに巻き込まれかねないからな。あと、近いうちに長野の陣内家に戻ってみた方がいい。確か八雲くんの『国籍離脱手続き』についての話が進んでいるはずだから」
グラハムの言葉に、最初はウンウンと納得していた八雲であるが。
最後の『国籍離脱手続き』という部分で頭を傾げてしまう。
「え、僕って日本人じゃなくなるの?」
「火星人として、ここで正式に国を建てる必要がある。正確には、君が日本人でいられることで不利益を被るもの、日本人だからこそ制約を課してくるものなどが発生しつつある。だが、日本人でないのなら、そんな煩わしさも全て消すことができる。まあ、決定権を有するは君だが」
「はぁ……そんなに面倒なことになっているのですか」
八雲が火星を貰った当初は、それが必然であったたため彼と縁が近いものは、それほど疑問視することは無かった。
だが、彼が火星での生活を続けている間にも、日本政府はどうにかして火星から得られる利権をどうにかしたいと画策。また諸外国でも八雲が火星の所有権を持っていることに納得がいかない者たちがおり、日本政府に対して圧力をかけ始めていた。
マックバーン財団は、それらの情報を逐一チェックし、可能な限り八雲の不利益が被らないようにと対策を練っていたのであるが。そもそもとうの本人が、年に二度か三度ぐらいしか地球に顔を出さないため、実力行使で迫ってくるものが存在していなかったのである。
また、間接的に八雲の家族に接触を試みようとする者もいたが、それらは『陣内家』が雇っているSS(シークレットサービス)などにより阻まれ、間接的にも手を出すことができないでいた。
だが、それも長くは続かないだろうと、グラハムと丹羽は結論を出したのである。
それらの説明を淡々と行っていると、八雲も彼なりに情報を精査。
そしてはじき出した答えが一つ。
「それじゃあ、日本国から国籍を外し、火星国ということで独立すればいいのですね? あと、国連にも加盟する必要はないと。そもそも地球圏の国家ではないので」
「予想よりも物分かりがいいが、それでいいのか?」
「う~ん。まず、火星という一つの国家としての政治形態を作る必要が……あ、僕が代表で国民はセネシャルとフラット、あとは外国からの転入者としてシリンダードーム都市の住民にもビザを発行して……」
国家というものを作るための準備。
それを一つ一つ予備降り数えつつグラハムに確認を取る八雲。
その頭の回転速度の速さに、グラハムも脱帽しそうになる。
「……と、これぐらいの準備でしたら、半年もあれば間に合いますね。それまでに準備して、じいちゃんたちと打ち合わせをして書類を提出。それでオッケーですか?」
「問題なのは、日本政府が火星という星を一つの国として認めるかどうかだが……書類的には不備はない、あとは日本の出方次第だが」
「まあ、外務省と連絡を取って、転送システムを使用する際のパスボード提示とかビザ発行をとうするかとか……うわぁ、やっぱり人手が足りないや。グラハムさん、そっち方面に詳しい人材、斡旋してくれませんか?」
さすがにセネシャルとフラットだけでは手が足りない。
アクウェは処理能力は高いものの、感情面では応用が利かない。
となると、人間の手を借りる必要がある。
「それこそ、君の婚約者に頼めば、色々と手を回してくれるのではないか?」
「あ~、詩音には、温泉郷の管理と経営をお願いしようと思っていまして。彼女もやる気は十分なので、大学を卒業したら、家に引っ越してくることになっているのですよ」
「そりゃ、どうも……」
あっけにとられるグラハム。
「それじゃあ、こちらでも色々と動くことにしようか。詳細が決まったら連絡をするので……そうだな、火星温泉郷に、アメリカ大使館とマックバーン財団事務局を作っておいてくれるか?」
「あ~、そういうことですか、ついでに日本大使館も作っておきますよ」
「よろしく頼む、一か月以内には一通りそろえておくので、よろしく」
これで難しい話は終了。
マックバーンと八雲の二人も温泉に向かうと、今しがたまで酷使していた頭と体をゆっくりと癒すことにした。
そして翌日、グラハムはマックバーン財団に連絡を取り、八雲に必要なエージェントを10名ほど選出。彼らにも転送システムの使用許可証を発行し、八雲の為に力になって欲しいと頭を下げたという。