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第五話第二章 飛縁魔の好転反応②

『サーァイレン・ナーイ…ホーォリー・ナーイ……♪』

 ルイ・アームストロングの『きよしこの夜』がバックに流れる。

 そんなロマンティックな空気の中、カフェ・オ・レのカップで両手を温めながら彼女は告白した。


飛縁魔ひのえんまは別名を縁障女えんしょうじょといい、江戸時代の奇談集『絵本百物語』に出てくる妖怪です。


 本来『飛縁魔』とは仏教発祥で、煩悩や執着を絶たねばならない出家者が戒律を破り女性と性的関係を持つ事─女犯にょぼんを戒めるべく、女の色香に惑わされて己の身を滅ぼす愚かさを諭す為の言葉でした。そこに具体的な姿が絵と物語で後付けされて、妖怪の名として流布されたのです。

 その外見は菩薩の様に美しい女性でありながら本性は夜叉の如く怖ろしく、この姿に魅入られた男性は心を迷わせて身を滅ぼし、家を絶やし、遂には命をうしなうそうです。中国の古代王朝である桀王けつおうを惑わせて贅沢三昧をしたという妺喜ばっきいん紂王ちゅうおうを堕落させたという妲己だっきといった王妃達がその飛縁魔に例えられています。

 また西周の幽王ゆうおうきさきで何をしても笑わなかった褒姒ほうじが、或る日、緊急事態のしらせである烽火ほうかが間違って上がって、駆け付けた諸将が右往左往する姿を見て初めて笑いました。その美しい笑顔の虜となった幽王はその後無意味な烽火を度々上げさせたので、次第に諸将はその合図を信用しなくなったそうです。その為いざ大きな反乱が起こった時に上がった烽火を誰もが『またごとか』と無視、援軍を得られなかった幽王は滅ぼされ、褒姒は〈亡国の美女〉として飛縁魔の系譜に名を連ねたのです」

 思った通り、真見まみの告白の内容はロマンティックの欠片かけらも無かった…… 


 詳しい事情を聞く為に入った裏通りの喫茶店は渋い─というか古い小さな店で、しかしお陰で若いカップルは寄り付かず、表の喧騒から遮断されていて落ち着く。

 オレ達は奥の壁際のテーブル席で、だいぶ高齢のマスターが入れてくれたブレンドとカフェ・オ・レを飲みながらボソボソと話をしていた。アンティークな木造の内装が施された店内には静かなジャズのクリスマスナンバーが流れるのみで、小声でも充分聴き取れる。

 真見は俯いてカップを見たまま、絞り出す様に続けた。

「私には分からないんです。飛縁魔は確かに男性をとりこにして駄目にする妖怪ですから、その属性はまさに私に当て嵌まります。

 でも私にそんな美貌がありますか?男性に性的にアピールする魅力がありますか?ありませんよね。

 なのに勤める先々で男の方が寄ってくるんです。患者さんでもそういうアピールをされる方がいらっしゃいましたが、一緒に働く先生方がやはりしつこくて…それで最後は皆ストーカーみてくるんです。一体どうしてなんでしょう?


 特に酷かったのがぎゃらん堂に来る前の鍼灸院の院長で、奥さんも高校生のお子さんもいらっしゃるんですよ?それなのに何度も二人きりでどこかに行こうと誘われて、お断りしたんですが、『夜道は危ないから』と帰りに自宅まで付いてくる様になりました。朝も駅で待っている事もあって……

 女性の同僚に相談したのですが、その先生もベテランなんですけど及び腰で……何せ相手が院長ですからね。しかも大手の鍼灸院グループの傘下で、院長自身も業界で名のある方です。下手な事をして馘首クビになるのが怖いのは私も分かります。烏頭うとう先生はご承知だと思いますが、先生の様な柔道整復師も私達鍼灸師も技術職なので、将来的には独立して自分の院を立ち上げるのを目標にしている場合が多いですよね。その準備段階として働く場合、有名で実力を認められた大手は願ってもない好環境です。そこに所属できれば技術の研鑽けんさんと人脈作りが同時に出来るんですから。結局、私は腫れ物に触るかの様に、その同僚から距離を置かれてしまいました。

 そんな私の様子に不審なモノを感じて動いてくださったのが、先ほどお会いした真田先生です。何かあったのかと訊かれて、最初はやはりご迷惑が掛かると思って濁していたのですが、やがて同僚の女性から聞いたんでしょうね。或る日『自分はもうすぐ独立を考えているから例え馘首になっても怖くない』と仰ってくださって。それで直接院長に意見してくださり、弁護士さんもご紹介いただいて……院長も大事おおごとになってグループの本部やご家族に知られるのはマズいと思ったのでしょう。渋々、以後私に近付かないという念書を書いてくださったのですが…やはり同じ職場で働くのは私の気持ち的に無理でした。真田先生は気にするなと言ってくださったんですが、女性の同僚も事情を察した他の男性の先生も、私の扱いに困っている様でしたから。

 それでそちらを辞めて、自宅も引っ越して……ご縁があってぎゃらん堂にお世話になったんです。

 先生、雇っていただいて本当にありがとうございます」

 真見はカフェ・オ・レのカップに髪が掛からないよう、椅子を後ろに引いて頭を下げた。それだけで彼女が細やかで繊細な心の持ち主である事が分かる。淡々と語っているが傷付いていない訳がない。

 オレは胸に迫る思いで何も言えなかった。

 顔を上げた真見は、真っすぐ前を向いた。

「私は鍼灸師としての仕事に誇りを持っています。

 まだまだ独立開業など出来る実力はありませんから、患者さんのお役に立てる職場で精一杯働きたい──私の今の願いはそれだけなんです。

 なのに私は、飛縁魔なんです。

 そんな属性、要らないのに…どうして……」

「うーん……」

 オレは思わず唸る。豊富な知識と優れた洞察力で何事も達観しているあの真見が、こんなに悩む姿は初めて見た。

 彼女が最初に面接に来た時を思い出す。

 項垂うなだれて立つ姿は幽霊かと思ってビビったが、理想がありながら幾つもの院を辞めざるを得なかった彼女はまさに藁にもすがる思いでぎゃらん堂ウチに来たのだ。本当に恨めしく、悲しい怨念を抱えていたとも言える。そう思うと貞子サダコ然としている長髪も華奢な体も、途端に内気な少女の様に弱々しく見えてきて、庇護欲が湧いてくる。細い肩を抱いて慰めたくなる。普段とのギャップがそう思わせるのだろう。

 そう、ギャップ──


『あのギャップは結構ヤバいわねえ〜』

 マヨねえが感心とも呆れとも付かない感想を漏らしたのは、あの好転反応騒ぎの日の終業後だった。

 もう患者は皆帰っていたのだが、オレが風邪で休んでいた間の事務処理が少し残っていた。それで自宅が遠い真見には先に上がってもらい、マヨ姉と残業をしていた時にその話題になったのだ。

『薫ちゃんセンセも見たでしょ?文太さんにはりの痛みの逃がし方を教えた時の真見ちゃん…』

『ああ、爪に指先を押し付けるってやつ?』

『そーそー、あの時あのコ、ひざまずいて文太さんの手握ってたよね。あそこまで〈パーソナルスペース〉に入られると、絶対意識しちゃうだろうな〜』

『パーソナルスペース?』

 真見ならここですぐに解説してくれただろうが、マヨ姉は『えっと…ここあたしの陣地─ってカンジ?』で話を進めた。

 後で調べたらパーソナルスペースとは『他者の侵入を不快に感じる個人の空間』を指し、その範囲は性別や年齢、文化等によって異なるという。また相手との関係性によっても変わるとの事で、状況に応じてその時々のパーソナルスペースを掴み、適切な距離感を保つのがコミュニケーションにおいて重要なのだそうだ。

『そのパーソナルスペースの概念が無い人ってさ、とにかく近い・・のよ。わざとなのか、それとも元々感覚が欠如しているのか、気が付くとビックリするくらいそばにいる。隣にピッタリと座る。顔がくっつくほど近くで話す。その流れで手を握ったり肩を叩いたり、ボディタッチも自然にやっちゃう。

 そういう人は心理的な壁も薄くて低い事が多くてね、良くも悪くも

 でね、そういう女子に男の人って弱いんだって。

 待合室にある女性週刊誌のモテるオンナ特集で読んだんだ、あたし。まあ勿論、好みなんて人それぞれだし、男目線の勝手な言い草かもしれないけど、それでも一理ある気はする。真見ちゃんは鍼灸師として患者さんの体に触れるのが日常なんで、自然に丁寧に説明してるだけなんだろうけどさ。でもあんな風に急に手を握られちゃったりしたら、勘違いするオトコ多いんじゃないかなあ?文太さんだってちょっとドギマギしてたもんね、おっさんのくせに〜』

 オレはまた冷たいと、レアな白いおでこを思い出す。

 真見は自分では美人ではないと思っている様だが、そんな事はない。髪に隠れた無表情と白が基調のファッションが幽霊寄りに見せるのであって、たまに微笑むと途端に無垢で清楚な美少女になる。そんな乙女にグッと接近されたら、たちまち骨抜きになるのは男のさがなのかもしれない。

 更にマヨ姉が語ったところによるとモテる女子の条件は他にも様々あり、例えば小柄もしくは華奢であるのもポイントらしい。スラリとした高身長の女性は憧れの対象にはなるが、物理的な威圧感が近寄り難くするという。

 更には怒らなそうだったり、否定しなさそうだったりする物腰の柔らかさ……

 儚げで庇護欲を掻き立てる表情や佇まい……

 不思議なムードが漂う天然・・な言動……

 言われてみると驚くほど、真見はモテるオンナの条件を満たしている。それが無意識の為せるわざなら本人の責任では全く無いが、オトコが寄ってきてしまうのは残念ながら当然なのかもしれない。

『そんな可愛い不思議ちゃんがくっついてくるだけでもヤバいのに、真見ちゃんって突然クールにシャーロック・ホームズになったりラフカディオ・ハーンになったりするでしょ?それでのほほんと近付いてきた野郎共が「あっ、このコ、タダモノじゃない」ってビビって、そのギャップにますますやられちゃうんじゃないかしら?

 モテ特集にもより深く男心を鷲掴みにできる上級者・・・は、そうやって相手をドギマギさせてからの『おあずけ』のタイミングも絶妙って書いてあったわ。一度火を点けた後の知らんぷりとかちょっとしたイジワルって、火起こしの風みたいに恋心を一気に燃え上がらせちゃうのよね〜』


「飛縁魔の名称は『火の閻魔』─すなわち『火炎地獄の裁判官』を意味するとされます。女犯の禁を破る者を火で裁くという事ですね。

 しかし何故、私がその役目を負わなくてはならないのでしょう……」

 あの聡明な真見も自分の事となると分からないのか、すっかり冷めたカフェ・オ・レを悄然と見つめている。

(落ち込んでいる真見クン…このギャップもくる・・な……)

 ついそんな感想を抱きながら何と声を掛けてあげればいいか思い付かずにいたが、ふと奇妙な符号に気が付いた。


 オトコゴコロに火を付ける飛縁魔の周りで、本当に不審火が続いているのだ。

 まるで火の裁きが行なわれているかの様に──


─いや。

 変な事を言い出したら彼女が余計に気に病むだろう。気分転換の為にデートに来たのだ。

 そうだ、どうせ火に縁があるのなら。

「よーし、じゃあクリスマスの飾り買ったら、帰りにパァーッと焼肉でも食べよっか」

「焼肉…ですか?」

「そ、悩んだ時は肉って決まってるからね!」

「決まってるんですか?」

 オレがニカッと笑って頷くと、真見もクスリと笑った。滅多に笑わないからこそ、その笑顔は尊いのだろう。…これもヤバいギャップだ。

─やっぱり護ってあげたいな……



 シュボッ。

 ああ…綺麗です。

 この火が私に害を為す貴方達を焼き尽くす……想像するとゾクゾクします。

 裁きの火で全てを浄化するのです。

 でも安心してください。貴方達が燃え尽きても、家や財産は焼け残るかもしれませんから。人間が或る日突然発火して、手とか足とかほんの一部を残して焼失してしまう。でも焦げているのはその人の周囲だけで部屋全体は燃えていない──世界中でそんな事件が発生しているそうです。

 貴方達も足首くらいは残してあげます。

 待っててください……



 翌日──師走も半ばに入り、一段と風が冷たい曇天の月曜日。

 早朝にクリスマスの飾りを抱えて出勤したオレを待ち受けていたのは、爛々らんらんと目を輝かせたマヨ姉の質問攻めだった。

「どうだったデート?真見ちゃん元気出た?」

「うん、気分転換にはなったんじゃないかな。この飾り買う時も無表情だったけど、あれがいい、これがぎゃらん堂ウチの雰囲気に合うって、熱心に選んでたよ。楽しんでたと思う」

「うんうん。美味しいモノも食べさせてあげたんでしょ?」

「いやあ、偶々入った焼肉屋が大当たりでさあ♪

 にんにくカルビが絶品で、もうビールに合う合う!真見クンはずっとウーロン茶だったけどね。〆のビビンバも美味しかったから、今度マヨ姉も一緒に……あれ?」

 何故かマヨ姉がジトッとした目で睨んでいる。

「それは薫ちゃんセンセがお肉食べたかっただけでしょ…何年も付き合ってるベテランのカップルじゃないんだから!

 そこはクリスマスムードに乗って、お洒落なフレンチとかじゃん〜?」

「え?そういうカンジが良かったの?」

「ホント、体育会系過ぎなのよ……」

 キョトンとするオレにマヨ姉は溜息をつく。確かにオレは体育会系の野球一筋─学生時代の仲間は皆、嬉しい事があれば焼肉、辛い事があったら焼肉だった。焼肉万能主義なのは認める。でもオレだって何も考えなかった訳ではない。

 今回は火に嫌な縁がある。まさに『火の縁・魔』だ。でも同じ火だったら焼肉の火の方が強いので、それで吹き飛ばせるのではないかと……

 あ─火。

「そういえば紅林さんの自転車、燃えちゃったのどうなったの?犯人捕まった?」

 連想ゲームの様に思い出した。先週金曜日の放火騒ぎの件である。

 マヨ姉は眉をしかめて応えた。

「いや〜全然。

 フラダンス教室が終わる夜九時前に燃えてるのに気が付いたそうなんだけど、その時間公民館の周りって人通り無くて、目撃者がいないんだって。自転車停めてあった裏には防犯カメラも無かったそうだし。紅林さんの息子さんがすぐ新しいのを買ってくれたらしいけどね。

 でも昨日、ヒロムの野球部のママさんとも話してたんだけどさ。ああいう放火犯って捕まらないと、癖になって連続でやるヤツ多いじゃない?だから怖いね〜って……」

 確かに。この間のマンションの火事はおそらく事故だが、それでも近所で不審火が続くと不安が募る。両方に微妙に関わっている真見が、焼肉の御利益で精神的にラクになってくれているといいのだが──

「…って、あれ?真見クン来ないね」

「あらそうね。いつもなら一時間前には来てるのに…」

 ぎゃらん堂の始業時間は九時、今は既に八時半を過ぎている。一応始業の二十分前には来ていないと遅刻扱いになるのだが、皆大体その前には来るので、そこら辺は今まで気にした事が無かった。もしかしてオレの様に体調でも崩したのか?連絡が来ていないかとスマートフォンを確認しようとした時──

「遅くなりました…」

 入口に白い影が立った。真見である。

「どうしたの真見ちゃん?何かあった?」

 マヨ姉の質問にすぐ応えない。少し息が上がっている様だ。駅から急いで歩いてきたのだろう。

 やがて小さな声で返した。

「ハイ……


 自宅の最寄り駅で火事があって、電車が遅れました。

 私のいた駅のホームにある自動販売機から火が……」


─また…?

 オレとマヨ姉が啞然として見つめる真見の顔は、少し青めていた。

 駅のアナウンスでは、飲み物の自動販売機の商品取り出し口から火が出たと言っていたらしい。近くにいた人がすぐに気付いて駅員に報せ、火はすぐに消し止められたが、安全の為一時ホームへの入場が規制されたそうだ。真見は既にホームにいたのだが、入場規制の間の電車は前の駅で待機となり、いつもの時間に乗れなかったという。

 その待機中に他の乗客が駅員と話しているのを聞いた限りでは、自動販売機は最近導入した新型で故障による発火は考えにくいとの事。何者かが取り出し口に火の付いたモノを投げ入れた可能性が高いそうだ。

 つまり──放火だ。

「ご連絡もせずにすみませんでした」

「いやいや、大変だったね…」

 オレはそう言いながら、深々と頭を下げる真見を見つめる。確かに普段の彼女なら、すぐに遅れる旨を報せてきただろう。きっと動揺していたのだ。

 何せ朝のラッシュ時である。ホームには大勢の乗客が待っていただろう。そこで大きな火事が起きていたら、多数の犠牲者が出ていたかもしれない。考えただけでゾッとする。真見自身も巻き込まれていたかもしれない。冷静さを失くすのも当然──

 …いや。


 考えてみれば真見は、全ての火事に関わっている。

 最初に目撃したマンションの不審火もアロマオイルが原因だと言っていたが、結局出火原因は公表されていない。

 そして好転反応の件でクレームを入れた紅林さんの自転車。それが燃えたのは午後九時前だったというが、あの日ぎゃらん堂はその直前に営業を終えていて、彼女は独りで先に帰っている。

 そして今朝も、出火時に既にホームにいたのだ。

 常に携えているショルダーバッグには、ずっとあのガッチャマン的な点火棒が入っているのではないか…?

─まさか………

『飛縁魔は火の閻魔なんです。

 火で裁くという事ですね──』

─バカな!

 オレはかぶりを振って、くだらない妄想を払いけた。 


 何とも嫌な幕開けとなったその日の営業だったが、週明けで予約は多く入っている。オレも真見も黙々と仕事をこなし、患者さんに対してはちゃんと対応できたと思う。けれどどうしても気になってしまい、手が空くとチラチラと彼女の様子をうかがってしまっていた。

 真見はいつにもまして口数が少なく、何かを考え込んでいる事が多かった。

(真見クン……)

 そんな調子で午前の診療が終わり、昼休憩を挟んで、また三時から午後の診療が始まった時だ。


─あれ……?

 何だか違和感があった。

 オレは院内を見回す。

 何かが足りない──何だ?


 しかし診療が始まるとやはり真見に意識がいってしまい、その違和感の正体には気付けないまま時間が過ぎていった。

 そして──

「それじゃあね〜」

「お先に失礼します」

 午後九時過ぎ──今日の営業が終わった。

 オレはカルテの整理があったので、マヨ姉と真見には先に上がってもらった。

 いや…独りで少し考えたかったのだ。真見は今日一日、キチンと仕事をこなしてくれた。何も問題は無い。しかし結局、違和感は残ったままだったのだ。

「真見クンに違和感がある訳じゃない…と思うんだけどなあ……」

 ベッドの一つに腰掛けて、腕組みをした時である。


 外から何かが聴こえた。

 悲鳴…?

 オレは慌てて立ち上がり、窓のカーテンを開ける。

 二階にぎゃらん堂が入るビル─シャトー松平の前には川があり、その両岸はアスファルトの歩道になっていた。オレから見て左手の離れた場所に、その歩道と歩道を結ぶ細い橋があるのだが──


 その橋の上で何かが燃えていた。

 火柱が上がっている。


「なっ……」

 川の両岸は住宅街だが、何軒もの家やマンションの住人が顔を出している。

 オレはぎゃらん堂を飛び出して橋に向かって走った。他にも玄関から出てきた住人がいて、橋の両端に人が集まり始めている。スマホで消防に連絡している人もいるが、大半は動画を撮ろうとしている野次馬だ。

「きゃああっ!」

 また誰かの悲鳴が上がる。オレはザワつく人混みを掻き分けて、橋の上を見た。


 そこで炎に包まれているモノは、明らかに人の形をしている。


 それ・・は、ぎゃらん堂で共に働く仲間の一人だった。 

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