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三・九話  さいごのおはなし

「では最後のお話です」

 真見まみがそう言った時、体育館の空気が変わった。「えっ」という驚き半分、ホッとした様子半分、だろうか。

 少年野球チーム〈シラトリ野球部〉の夏休みお泊まり会にゲストとして招かれた彼女がオリジナルの怪談を語り出してから、その怖ろしい内容と長髪の貞子サダコっぽいビジュアルで無表情に語る独特なムードに誰もが惹き込まれていた。聴衆の部員の小学生と大人達は緊張状態が続いていて、嫌な汗をかき肩も凝っているだろう。かくいうオレもその一人である。何せオレ達は『いっその事百物語にしましょうか』とだけ聞かされて、この怪談コーナーがいつまで続くのかは真見と打ち合わせをした進行係の父兄しか知らない。だからもっと聴きたいという願望とやっと終わるという安堵が重なったのである。鍼灸師である真見と柔道整復師のオレの専門分野に絡めて例えれば、交感神経と副交感神経がせめぎ合って落ち着かない──みたいな。うん、分かりづらい。

 そんな微妙なざわつきの中、真見が続ける。

「このお話にはひとつ、嘘があります。

 皆さんはどこが嘘なのか、考えながら聴いてみてください。それでは──」


 その日、私は死んでいました。

 最初は気付きませんでした。体は動くし、足もあるんです。

 でもいつもの様に学校に行って、皆に「おはよう」と言ったのに、誰も返事をしてくれなかったんです。 

 そして自分の席を見たら、机の上に朝顔の鉢植えが置いてありました。夏休み前に全校生徒が一人一鉢ずつ植えたプラスチック製のモノです。毎日世話をして観察日記を付け、夏休みの間は各自の家に持ち帰っていましたが、二学期の始業式にまた学校に持ってきてそれぞれどんな花が咲いたのかを発表しました。もう花も咲かなくなりましたけど、そのまま校舎の一階の外周りにぐるりと並べてあります。

 その鉢植えが、机の上に載っているんです。私は鉢にマジックで書いてある名前を見ました。

『ナクラマミ』──私の名前です。

 その時やっと分かりました。

 私は死んでいたのです。

 この朝顔は、お墓に供えられたお花なのです。

 だから皆には、私が視えなかったのです。

 私は死んでいましたが、仕方が無いのでそのまま授業を受けて、放課後独りで下校しました。

 自宅に帰ると、母が泣いていました。リビングのソファに座って呆然と天井を見上げ、両目から涙をポロポロとこぼしています。

「なんであたしを置いていっちゃったのよぉ……」

 私も悲しくなって、母のそばに立ち尽くしていましたが、お腹が空いてきました。死んでいてもお腹は空くのです。

「お母さん…ご飯は…?」

 母は泣いているばかりで返事もしてくれません。やはり私が視えていないのでしょう。私はノロノロと台所に行って、炊飯器の蓋を開けて覗くと冷やご飯が少し残っています。おにぎりにしましたが母の分も残さなくてはいけないので、握り拳より小さくなりました。塩を振って食べます。固くなったお米が口の中でザリザリするけれど、死んでいるのだから文句は言えません。

 お風呂に入りたいと思い浴室を覗いてみましたが、浴槽は空っぽでした。死んでいるのに水道代を無駄遣いしたら、きっと母は怒るでしょう。私はそのまま自分の部屋に行きました。死んでいるけど宿題をやって、またお腹が空く前にベッドに潜り込みます。

 眠くはないので色々考えていました。私はいつ死んだのでしょうか?死因は?最近まで家に出入りしていた男の人に、いつも殴られていたからでしょうか?それともやっぱり、ご飯を食べていなかったからでしょうか……駄目だ、お腹が空いてしまう。私は目をつむります。寝てしまった方がラクです。

 そのまま目を覚まさない方がラクです。

 マミはどうせ死んでいるのだから──


「……それからもそのコは、死んでいるのに毎日学校に行きました。死んだまま小学校を卒業しました。

 皆さんのクラスにもそんなコがいるかもしれません。もしかしたら貴方の隣の席に──」


 子供達から「ええっ?」とか「ひいっ」とか悲鳴が上がる。

 オレは眉をひそめ、下唇をギュッと噛み締めていた。

 最初は幽霊の話だと思って聴いていた。しかし、違う。オレ以外の大人達も気が付いて辛そうな顔をしている。

 この話の主人公は確かに

 だが本当に亡くなった生徒の机に鉢植えなど置くはずがない。母親の態度もおかしい。

 そう、主人公は学校でイジメられて無視されて、社会的に死んでいるのだ。そして母親には育児放棄ネグレクト、母親の逃げた恋人と思われる男からは暴力的な虐待を受けていたのだろう。

 怖い話だ。今日聴いた話の中で一番怖ろしくて、悲しい話だ。

 子供達は今も幽霊の話だと思っているだろうけれど──いや。

 彼らの顔を見回したオレは気が付いてしまった。確かに大半はさっきまでの怪談同様に怯えながらも目をキラキラさせて、周りと「面白かった〜」「こえ〜」などと言い合ったりしている。しかし何人かは呆然としたり俯いたり、明らかに態度を変えていた。分かってしまったのだ、今の話に隠された怖ろしさが。それはその子達の物語を読み取る能力が高いからかもしれない。それならいい。

 だけどもし、身に覚えがある・・・・・・・のだとしたら──オレはまた下唇を噛む。

 そして勿論、もうひとつ気になっている。何故主人公の名をわざわざ自身の菜倉ナクラ真見マミにしたのか。デリケートな内容なので誰かの名前に似てしまうのを避けたのかもしれないが、もしかして…これは彼女の実体験ではないのか……?


─いや、真見クンは嘘がひとつあると言った。

 それが主人公の名前なら……


「じゃあお礼言うぞ!」

「ハイ!」

 キャプテンのユウタの号令で、体育座りしていた子供達が立ち上がろうとした時である。

「では、次のお話です」

「えっ?」

 子供達のみならず、大人達も目を点にして固まる。

 オレもつい声を上げてしまった。

「ちょっ、真見クン、さっき最後の話だって──」


「ハイ、嘘です」


 そこ・・

「え〜っ」「ズルい〜」思わず子供達が笑い出し、オレも『やられた』と肩から力が抜けるが、ハタと気付く。

 嘘がそこ・・なら、あとはやっぱり実話……?

 真見は子供達の何人かと順に目を合わせて頷く。


「やめようと思わなければ、最後じゃないですからね」


 ハッとした様に反応する子供達。

 真見は──柔らかく笑った。

 そうか、彼女が伝えたかったのは……


「かつて古代の神聖ローマ帝国に〈アハト刑〉という刑罰がありました。この刑に処せられた者は財産を没収され社会的地位も剥奪されて、狼の皮を被って暮らさなくてはなりません。つまりその人はもう人間じゃない──

 生きている死体・・・・・・・として扱われる、怖ろしい刑罰です……」


 何が本当で何が嘘かはまあよく分からないが、少なくとも今の真見はこうして元気に子供達を怖がらせている。

 そんな彼女の怪談の夕べは、もうしばらく続くのであった。 

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