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三・七話  おねえちゃん

 わたしには〈おねえちゃん〉がいます。


 昨夜ゆうべは暑くて何度も目が覚めてしまい、よく寝られませんでした。

 だから今朝起きられなくて、ベッドでグズグズしていたら、枕元で優しい声がしたんです。

「朝だよネネ。遅刻するよ」

 目を開けると、ベッドの横にひざまずいていた〈おねえちゃん〉がわたしの顔をジッと見てました。何も言えないでいると、クシャクシャとわたしの髪を撫でて笑います。

「アハハ、寝グセすご〜い。早く顔洗ってきな、ご飯だよ。

 おねえちゃん先行くからね」

 そう言って〈おねえちゃん〉は部屋を出ていきました。

 わたしはまだしばらくボーッとしていましたが、今度はママの声が聞こえます。

「ネネ〜ホントに起きなさ〜い。

 ミミはもうご飯食べてるよ〜!」


 そっか…〈おねえちゃん〉の名前はミミ。

 わたしと同じ顔。

 わたしたちは双子の姉妹。

 そっか……


 ミミはもうみかんジャムのトーストとゆで卵を食べ終わっていましたが、わたしが食べ終わるのを待っていてくれました。集団登校の時間は過ぎていて、わたしたちは二人だけで急いで学校に向かわなくてはいけません。

 ママがミミに言います。

「ネネをよろしくね、おねえちゃん。このコったらボーッとしててよく転ぶし…車にも気を付けて」

「うん、任せてママ。ホラ、ネネ早く!」

〈おねえちゃん〉─ミミはわたしの手を取ります。

 ちょっと冷たい手です。

 二人で手をつないで学校まで走りました。わたしは運動は苦手だけど、ミミは得意みたいで走るのも速いです。でもわたしがハァハァ言って付いていけなくなると、スピードを緩めてくれました。

「頑張れネネ。ホラ、イッチニ、イッチニ」

「…さ、先行っていい。遅刻するよ…」

「コラコラあきらめたら人生終了だぞ」

「試合でしょ、それ…」

「そうとも言う〜」

 結局ミミはずっと握った手を離さず、わたしたちは遅刻ギリギリで五年三組の教室に駆け込みました。

「おはようネネちゃん、ミミちゃん!」

「おはようよっちん!じゃあねネネ」

 ミミはわたしの友だちに笑顔で手を振ると、教室を出ていきます。わたしがどこに行くのかと呆然と見送っていると、よっちんが感心した様に言うのです。

「偉いよね〜クラス違うのにちゃんと遅刻魔の妹を送り届けてさ。ネネはホントいいおねえちゃんを持って果報者だわ〜」

 かほうもの・・・・・がよく分かりませんが、よっちんがこんなに誰かを褒めるのはあまり聞いた事がありません。

 聞けばミミは五年一組で学級委員長をやっていて、勉強も運動も出来るけどそれを鼻に掛けず、下級生にも優しい人気者だそうです。わたしはその後も何人もの生徒からミミの話を聞きましたが、その誰もが羨ましそうに『自分もあんなおねえちゃんが欲しい』って言いました。先生たちもミミを褒めてました。

 わたしは同じ顔だけど、勉強も運動も苦手です。人と話すのが苦手で友だちも少ないし、ハッキリ言ってどんくさいんです。ママもパパもわたしを大事にしてくれるけど、今朝だってママ、わたしが心配で仕方なかったみたい。それをミミが起こしてくれて、学校まで連れていってくれて……

 わたしは皆に迷惑かけてばかり。

 ミミにお世話になってばかり──


「じゃあねネネちゃん!」

 放課後よっちんと校門で別れて、わたしは溜息をつきます。彼女は数少ない仲良しだけど、家がある方向が違うんです。だからわたしはいつも独りで下校しています。

 夕方だけどまだ秋の始めだから、周りは明るいです。でも何だか人通りが少なくて、わたしは俯いて、家に向かってトボトボと歩き出しました。


「遅かったね、ネネ。掃除当番だった?」


 ハッと見ると、曲がり角の電柱に寄りかかっていたミミが手を振ってこちらに向かってきます。わたしを待っていてくれたのです。

 また二人で手を繋いで歩き出します。

 ミミが嬉しそうに言いました。

「今日はパパも早く帰ってくるからさ、ママと一緒に夕ご飯作る約束でしょ?」

 そう─だったかな?

「お祝いだもんね、ご馳走だよ〜」

「お祝いって、何の…?」

「何よ、あたしたちの誕生日、忘れたの?」

 そう─だった。

 わたしたちは双子。誕生日は同じ。

 生まれたのはきっと、ミミがちょっとだけ早かったんです。だからミミが姉でわたしが妹──そういう事なんです。

 でもきっと、パパもママもわたしよりミミの方が好きなんじゃないかな?

 どんくさい妹より賢い姉の方が大事なんじゃないかな?

「…わたしの誕生日なんかおめでたくないんじゃないの……?」

 ついそんな事を言ったら、ミミが立ち止まりました。手を繋いだままなのでわたしも止まります。

 ミミはわたしの方を向きました。

 その顔は、ちょっと怒っています。

「ネネが生まれた事は奇跡なんだよ、おめでたいに決まってるじゃん!」

 わたしがビックリしていると、ミミは今度はニッコリ笑います。


「あたしがネネの誕生日全力でお祝いしてあげる。

 ネネはあたしの誕生日お祝いして、ね」


 皆の言う通りです。ミミはとっても素敵です。

 わたしはミミが大好きになりました。


 昨日まではいなかったけど。

 今朝起こされた時、誰だろうって怖かったけど。

 ママや学校の皆が、わたしの知らない姉を知ってて混乱したけれど。

 でも、ミミ大好き。

 だからわたしもニッコリして、初めて呼んだんです。


「ありがとう…おねえちゃん」


「……やっと認めたね」


 急に冷たい風が吹きました。

 まだ明るかったはずの空が急に昏くなって。

 ミミも昏くなって。

 でも繋いだ手は離しません。むしろ握る力がだんだん強くなって、ちょっと痛いくらいです。

 まるで、逃さないとでも思ってるみたいに。


「パパとママの娘はひとりしか産まれなかったの。双子だったのに、ひとりしか。

 もうひとりは…消えちゃったの。


 ズルいよ、あんただけ生まれてきて……!


 あたしをおねえちゃんと認めたんでしょ?

 だったらあたしは今、ホントに・・・・のよね?

 でもウチに娘はひとり──だからね、ネネ。

 あんたはこんだけ生きたんだからもういいでしょ?


 交代してよ・・・・・



「〈バニシングツイン〉をご存じですか?

 双子の一人が妊娠中の母親の胎内から消えてしまう現象です。

 妊娠初期に生じるケースがほとんどで、亡くなった双子─ツインの片方が消失─バニシングした様に見える事からそう名付けられました。一見すると不思議な現象に思えますが、実際にはまだごく初期の胎児は死亡すると排出されず子宮に吸収される事がある為、消失した様に見えるだけです。医学的には〈双胎一児死亡〉と呼ばれる流産の一種です。

 ミミはそのバニシングツインだったのです。

 そんな失われた姉が一人生まれた妹を羨んで、妬んで、誕生日に交代しに来たのですね。だから自分が姉だと認めさせる為、妹にとても優しくして……」


 オレ達は昼休憩に皆でハンバーガーを食べながら、真見まみの新しい怪談を聞いていた。

 無表情で語る内容は相変わらず怖い。

 そして救いが無い。

 オレもマヨねえもどんよりした気分で、味のしないポテトを摘んでいた。これを小学生のお泊まり会で話すというのか……


「……わたしはしばらく黙っていました。

 そしてこう言ったのです」


─あれ?続きがあるの?



「…うん、分かった。

 そうだね…わたしよりミミの方がいいよね。

 パパもママもよっちんも先生も、その方が喜ぶよ。

 わたしなんか…生きてても迷惑なだけだもん。今日だってずっとミミに面倒ばっかかけて……ゴメンね。

 でも、嬉しかった。ありがとう。


 …そっか、今日がミミのホントの誕生日になるんだね。うん。


 お誕生日おめでとう、おねえちゃん」


 わたしは精一杯笑って言いました。

 昏くてミミの顔は見えないけど、ミミもきっと笑ってると思います。だって、これからミミの楽しい人生が始まるんだから──


「……あんた…バカね……」

 ミミが呟きます。声が震えてる?せっかく楽しい人生が始まるのに、何だか怒っている気がします。どうして…?

「ああ、もう!」

 不意にミミが大声を上げて、繋いでいた手から力が抜けます。手を離そうとしている……?

 そう思って見たわたしは息を呑みます。

 ミミの手が透けていくのです。

「えっ、ミミ?」

「ホントに世話の焼ける妹ね、あんたって!」

 ミミはサッパリした口調で言います。

 昏かった周囲がまた明るくなってきて、見ればミミは──呆れた様に笑っています。

「分かったわよ、ウチの娘はあんたでいいよ」

「えっ違う…わたしはっ…」


 ミミの体はどんどん透けていきます。

 気付いたら夕日も沈んできて、ミミはオレンジ色の光に包まれていきます。

 消える。

 優しいおねえちゃんが、消えちゃう。


 わたしは泣きながら叫びます。

「わたしが残ってもダメだよっ…おねえちゃんの方がいいよっ!」

「う〜ん、でも仕方無いよ。

 こういう時我慢するのが──」

 ミミは最後に笑って、手を振りました。


 おねえちゃんだから。




 ──いや、反則。

 怖がらせてから泣かさないで。

 そっと目尻を拭うマヨ姉とポテトを咥えたままボロボロ涙を流すオレを見ながら、真見は小さく笑った。  

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