天使として覚醒したステラは、その権能をすぐに行使した。
まずは彼女を守って深手を負ったトリストラム提督だ――。
『トリストラム。貴方は本当に優しい人ですね。人のために打算なく自分の命をなげうつことができるその勇気を、私は心から尊敬します……』
血を失い息を引き取った青い鶏。
トリストラム提督の亡骸に手をかざせば、ステラは静かに回復魔法を詠唱した。
教会に所属する僧侶のみが使える治癒の魔法。
神の奇跡によって簡単な怪我を再生するそれを、大天使が唱えれば――。
「こ、コケぇ……?」
「「「「トリストラム提督!」」」」
「プ♪」
青い鶏の胸から痛ましい傷は消え、血の気を失った顔に生気が戻った。
すぐに鶏はその二つの脚で立つと、間の抜けた鳴き声を上げた。
まるで「いったいなにがあったんだ?」とでも言いたげに。
「まさか、トリストラム提督を生き返らせるだなんて……!」
『主神から特別な力を与えられている私ならば、この程度の力業は朝飯前です。朽ち果て骨だけになったとしても、蘇生してみせる自信があります』
流石は四大天使。
失われた命さえも回復させるとは。
その奇蹟にその場に居合わせた者は誰しも息を呑んだ。
もっとも、すぐに彼女は『今回は特別ですけれど、ね?』と付け加えたが。
「のう、小娘や。鶏を復活させることができるということは――欠損した身体の一部を再生することなども可能か? たとえばワシの角とか……」
「精海竜王! だから、今回は特別だと言ったじゃないですか!」
なにをしれっと角を生やしてもらおうとしているのか。
抜け目のならない竜だなぁ。
とかくそういうわけで、トリストラム提督はステラのおかげで無事に復活した。
ステラのためにその身どころか命まで張ってくれた彼を救うことができて、俺としても嬉しい限りだった。
もっとも――。
「く……くわぁあぁ……♥♥♥ こけ、こけぇえぇ……ッ♥♥♥」
『あらあら、トリストラムったら。そんなおべっかを言って。もう、もしも鶏の言葉じゃなかったら、旦那さまが貴方のことを吊るし切りにしていますよ?』
青い鶏は翼を大きく広げて求愛のポーズを取る。
目にはしっかりとハートのマーク――が浮かんでいるように俺には見えた。。
どうやら、彼は大天使にすっかりと一目惚れしたようだ。
まあ、命の恩人だからな。
それでなくても、四大天使だけあってとんでもない美女だからな。
しかたない、しかたない。
しかし、俺の妻だ。
手を出したら、ルーシに頼んで鶏鍋にしてくれるぞ――?
とまぁ、そんな感じで。
寝取り将軍の復活の他にも、ステラはその力を使い、魔王との戦いで傷つき疲れた仲間たちを癒やしていった。
魔王やカインに蹴散らされて、ボロボロになっていたゴーレムたち。
俺たちを援護するために戦ったララ、ヴィクトリア。
そして――。
『いつもありがとう、ルーシー。貴方が私のことを気にかけていること、ちゃんと分かっておりますよ。今回も貴方に救われましたね……』
「なんや、ステラ。ちょっと見んうちに、急におっきくなりはったなぁ。こら、食べ応えがありそうやわ」
『もう、またそんな冗談ばかり言って……!』
魔王の暴威によって脚を失ったルーシー。
たとえ骨からでも回復してみせるという宣言通り、彼女は完全に断たれた絡新婦の八つの脚を元通りに復元してみせた。
『さあ、これで大丈夫ですよ、ルーシー』
「……あれま? いったいどんな魔法を使いはったん?」
「今度はなくさないでくださいね? これが、私が貴方にしてあげられる、最初で最後のお礼なのですから……」
「どないしたんステラ、そんないきなりあらたまってからに……?」
ルーシーの脚を治したステラが、急にその顔色を曇らせる。
彼女はその目の端に涙を浮かべると――そっと俺の方へとやってきた。
さきほどのルーシーへの台詞といい、この態度といいどうしたのだろう。
迷っているうちに俺は彼女に抱きつかれていた。
それは――子供だったステラにされるような無邪気なものではなく、男と女の愁嘆場を感じさせる物静かな抱擁だった。
ステラの指先が寂しそうに俺の背中を掻く。
『あなた――うぅん、おに~ちゃん。私は魔王を討伐し、今世での役目を終えました。となれば、すぐにでも主神の下へと帰らなくてはなりません』
「…………え? 嘘だろう、ステラ?」
俺の問いかけに彼女は答えず、ただ涙で頬を濡らした。
いつの間にか長く暗い夜は明け、払暁がモロルドの海岸線に浮かんでいる。
そんな中、再び天より光が差し込んだかと思うと、ステラの身体を照らす。
『魔王を倒した今、私が下界に留まる理由はなくなりました。速やかに、私は主神の下に戻らなくてはなりません……!』
「そんな! 嘘だろう! もう少し、一緒にいても……ッ!」
『主神より力を授かった私は、この世界にとって異物以外のなにものでもありません。また、そのような力を一国が持っているのも、人々のためにはならないでしょう。私たちは最初から相容れぬ者だったのですよ……それでも、おに~ちゃんと一緒だったこの数ヶ月を、私は嬉しく思っております』
「……行くなステラ! 天使だとかどうでもいい! 俺の傍にいてくれ!」
俺の心からの請願に、大天使は悲痛にその顔をしかめて――そして首を振った。
そして最後に、ステラの時にはけして見せなかった強がりな笑顔をこちらに向けた。
『どうか、お元気で。おに~ちゃんと、おね~ちゃんたちが、このモロルドに平和な国を作るところを、私は天上より見守らせていただきます。神の加護はお任せください、私がよくよくお伝えしておきますので』
「そんな……行かないでくれ、ステ……んんッ!」
最後に俺の唇に口づけをする。
親愛の証ではなく、友愛の延長でもない、確かな男女の愛情の果てにあるキス。
天使の口づけは軽やかで、清廉で――けれども、そこに微かに滲んだ女としてのいじらしい情念が、俺の心をどうしようもなく苛んだ。
女としてのキスを終えたステラが、そっと俺から離れる。
そして――。
『さあ、みなさんお別れです。セリンおね~ちゃんには、どうかよろしくお伝えください』
「ステラ!」
「あかんよステラ!」
「ステラさん!」
「ステラちゃん、ダメ、行かないで……!」
『また、会える日を楽しみにしております。もっとも、あまりはやくにこちらに来ないでくださいね。ケビンおに~ちゃんが、寂しがっちゃうから……!』
六つの翼を広げ、天に向かって羽ばたこうとするステラ。
そんな彼女にさらに眩い光が降り注ぐと共に――。
『あの~? ステラエル? かなり感極まった演出をしたあとで申し訳ないのですけれど、まだ貴方の役目は終わっておりませんよ?』
なんとも穏やかで淑やかな、それでいて母性に溢れる声もまた降り注いだ。