「くそっ! くそ、くそぉっ! 妾(わらわ)は魔王じゃ! 魔王だというのにぃ~! 覚えておるがよいぞ、神よ! その使徒――力天使ステラエルよ!!!!」
いよいよ、天から降り注ぐ聖光が眩くなったかと思うと魔王の姿が消失した。
翼はおろか身体まで霧散させ、魔なる者たちの王はこの世界から消え去った。
おそるべし神の権能。
そして、神の力。
今はこうして俺たちに味方してくれたが、その矛先がもしもこちらに向いたならばと考えると、思わず身震いしてしまう。有無を言わさぬ圧倒的な力であった。
これは全盛期の精海竜王でも敵わぬかもしれないな。
『大丈夫ですよ、おに~ちゃん。我が主は、人々の味方です。おに~ちゃんのように、人間や亜人のために、心を尽くす領主には力を貸し与えこそすれ、敵対することはありません。それに安心して。もし、そんなことになったら……ステラが神さまに、そんなことしちゃメ~~~~ッ!て、注意してあげるから!』
「…………やっぱり、ステラなのか?」
だが、その神威への身震いさえ越える疑念が、俺の中には渦巻いていた。
目の前の天使の名は――力天使ステラエル。
六つの翼に大人びた身体を持つ美女の天使だが、時たま――その名によく似た嫁と同じ喋り方をする。
これを偶然の一致と片付けることは、ちょっとできない。
翼を折りたたんで大地に降り立った大天使ステラエル。
足下まで垂れていた髪がふわりと浮いて、腰の辺りでまとまったかと思うと、彼女を浮遊させていた翼が貫頭衣の上からその身体を包んだ。
大理石から掘り出されたような大天使が温かな笑顔を向けてくる。
それが、俺の問いかけに対する答えだろう。
『はい、私は力天使ステラエルにして――貴方たちがステラと呼んでいたセイレーンと、同一の存在です』
「同一の存在?」
『そうですね、説明すると少し難しいのですが……』
そこから力天使ステラエルは、彼女の身の上について語り始めた。
西洋にて広く奉られている大神。
モロルドにもある大陸教会が崇める女神フリージバル。そんな、彼女を補佐する四大天使――翅天使、賢天使、位天使、そして力天使。
ステラはその一柱である、力天使ステラエルが受肉した姿なのだという。
『私たち四天使は主神の命を受け、近く現れるであろう魔王を滅するべく、この世界に受肉しました。しかし、我らの力はあまりにも強大です。また、人の世にうっかり紛れこもうものならば、この世界のバランスを大きく崩しかねない……!』
「それで、記憶を失ったセイレーンの少女を装っていたと」
『はい。自ら過去の記憶を封印し、性格と姿も変え、無垢な少女として転生したのです』
ステラは彼女が現世で活動するための、隠れ蓑として用意された仮初めの人格だった。
そして、来るべき日――大魔王の登場と共に力天使ステラエルは覚醒し、神の威光を持って討伐する使命を帯びていたのだという。
思い起こせば、ステラはセイレーンには過ぎたる力をいくつも持っていた。
動物と自由に意志疎通できたり。強力な魔歌を放つことができたり。
思い起こせば、それらはすべてステラエルの力が漏れ出たものだったのだろう。
とはいえ、気づけというのが無理な話だが。
そしてこれらの話を総合すると――大魔王カミラとの戦いは必然。
起こるべくして起きたできごとだったのだ。
『とはいえ、まさか私が領主の妻になるとは思いませんでした。あんな幼子を相手に、欲情するような男などいないと思っていたのですが……世の中は不思議なものですね』
「してない! ステラ相手に欲情なんてしてないから! 俺はステラのことを一度だってやらしい気持ちで見たことはない! むしろ、かわいい娘くらいに思ってたから!」
『そーなんだ、すてらはおに~ちゃんの、およめさんのつもりだったのにぃ……!』
「うぇえぇ⁉ ステラ⁉ いやまぁ、実の娘とは言ったけれども、ちゃんとお嫁さんとして扱っていたし⁉ むしろ、お姉さんたちと同じように、大きくなったらそれはもう美人になるだろうなとは思っていたけれど……これ、どう答えるのが精海なんですか、ステラエルさま! 難しすぎますよ!」
『ふふふ、ちょっと悪戯がすぎましたね、おに~ちゃん』
悪戯っぽく微笑む大天使さま。
どうやら外見は大人びているけれど、中身はステラと変わりないみたいだった。
「驚いたなぁ、まさかステラの正体が、セイレーンじゃなくて天使だったなんて」
『黙っていてすみません。私も、任務のために記憶を封印しておりましたので、自分でもどうすることもできず。結果として、こうして魔王がモロルドに押し寄せてからの説明となってしまいました。どうかお許しください、モロルド王』
「なにをよそよそしいことを言うんだ。許すもなにも、ステラは俺の嫁じゃないか……!」
『…………おに~ちゃん!』
「大きくても小さくても、俺にとって君が天使なのは変わりない」
ちょっと歯の浮くような台詞を言えば、大天使ステラエルが口元を隠して笑う。
ステラの面影が残る大人びたその笑顔に少しドキリとした。
やれやれ、これはまたセリンに強力な恋路のライバルが現れたな。
新都に戻ったら正妻どのはどんな顔をすることやら。
『さて、それではさっそく、魔王によって荒らされたモロルドの修復を行いましょう。ご助力をお願いできますか、おに~ちゃん? いえ、あなた……♥』
「むっ、むぅ……! なんかちょっと、いつもと違ってやりづらいな……!」
『あらあら、やはりモロルド王は、若いお嫁さまが好きなのですかね』
「か、からかわないでくれ……!」
俺の隣に立って、ちょんと肩を寄せる金髪の天使。
少女だった頃の距離感で、迫られるのはなんだか心臓に悪いな。
落ち着かない俺は逃げるように、避難していた他の妻たち――ララたちの方へと向かうのだった。
「…………ふぅ、やれやれ。なんとかなったか。あの小娘が、よもや西方の神の使徒だとは、ワシもすっかり気がつかなかった。しかし、そうか魔王に備えてか」
なにやら、精海竜王が後ろで意味ありげに呟いていたが、今はいったん気にしないことにした。