トリストラム提督の血を浴びて、魔王としての力を取り戻したカミラは、その権能を存分に振るった。
巨大な翼を腕の代わりにして、ララを振り払い、ヴィクトリアを吹き飛ばす。
そして、そのまま雪女を拘束しているルーシーの方へと向かう。
「なんやのん、えらいけったいな魔王はんやなぁ。急に暴れはって」
「さあ、氷雨を返してもらうぞ! 妾(わらわ)たちは自由なのじゃ!」
「そうは問屋がおろさらへんわ。ウチの槍の錆びに……ッ!」
自慢の槍で応戦したルーシー。
嫁たちの中でも一番の武闘派で、膂力を持っている絡新婦。
彼女の手にかかれば、人が乗っている馬車も自由自在に操れる。
だが、そんな彼女がつばぜり合いで競り負ける。
魔王が振り下ろした巨大な赤い翼に、押されて後退する。
けっして見てくれだけではない、たしかな重量が備わっている。
いや、魔力もか。
トリストラム提督の血を浴びて、魔王はついにここに覚醒した。
よりにもよって、この最悪のタイミングで……!
「今じゃ氷雨! カインと共に逃げるのじゃ!」
「……魔王さん! わかりんした! ありがとござんす! また、後で! 必ず!」
魔王と戦うので手一杯のルーシーに、雪女を気にかける余裕はない。
そして他の者たちも、魔王の暴走に虚を突かれて対応できない。
雪へと姿を変え、吹雪と化してその場からかき消える雪女。
またしても俺たちは殺人鬼を逃した。
だが、今はそれどころではない。
「魔王カミラ! きさま! よくもやってくれたなぁ!」
「それはこちらの台詞よ! さあ、王同士の戦いとまいろうか!」
覚醒した魔王をなんとかしなくてはいけない。
俺は石兵玄武盤をたぐると、すかさずルーシーに加勢した。
巨大な土の拳が魔王の翼を押し返す。
だが、際限なしに魔王の力は上がっていく。
たった一滴、トリストラム提督の血を啜っただけで、これほどまでの力を出すことができるとは――!
「ふはははッ! この程度かモロルドの王よ! たいしたことがないのう!」
「くそっ! 反則だろうこの力は!」
「旦那はん! 加勢しますえ! 魔王、覚悟しはりや!」
俺と魔王が組み合っている横からルーシーがその槍を振るう。
しかし、そんな彼女の槍先を、魔王は新しく生やした翼で止めてみせた。
「王と王の一騎打ちだと言ったであろう。臣下が出しゃばるでない」
「……んぐっ、なんて力やの!」
「だいたい、不敬であるぞ。そなたも、我が麾下にある魔の種族であろう。王に刃を向けるとはどういうことか。その軽挙、万死に値する……!」
さらにもう一本、魔王は真紅の翼を生やす。
より鋭く、より太く、より醜悪な見た目をしたそれを、彼女はルーシに向ける。
避けろと叫ぶ間さえなかった。
絡新婦は赤い翼に切り裂かれ――その八本の脚を、見るも無惨に砕かれた。
押し殺すような叫び声が俺の耳に届く。
「ルーシー!」
「いやあ、ルーシ!」
「ルーシーさま!」
「ルーシーさん!」
脚を失ったルーシーが、バランスを崩してその場に蹲る。
動けなくなった絡新婦の頭上に、二つの赤い翼が襲いかかった。
ダメだ、助けられない……ッ!
嫁の身体を魔王が引き裂かんとしたまさにその時――。
「まったく! 自分の嫁御を守れんようでどうする! しっかりせんか、ケビン!」
ルーシーに向かって振るわれた赤い刃を、少年が掌底で弾き飛ばした。
闇夜にもありありと分かる紅顔に煌めく髪。
そして、折れてしまった角。
「精海竜王さま!!!!」
動けないルーシーに代わり、加勢に現れたのは少年体の精海竜王だった。
彼は、魔王の振るう赤い翼を拳ひとつではね除けると、さらに拳を繰り出して追い詰めていく。精海竜王の猛攻に、ようやく魔王の快進撃が止まった。
流石は東洋の覇王。
引退してなお、角をもがれても、この強さか。
こんな人に勝てたのが、今さらながら不思議だ。
「ぼさっとするな! ワシの娘の友達が、これ以上ひどい目に遭うのは見るに耐えん! お主の妻でもあろう! はよう後ろに下げよ! それまで、ワシが時間を稼ぐ!」
「す、すみません、精海竜王!」
岳父の勧めに従って、俺は石兵玄武盤で大地を動かしてルーシを後ろに下げた。
ララとヴィクトリアに彼女の手当を頼んで、すぐに精海竜王の加勢に入る。
「ケビンよ、厄介な客人を招いてしまったのう。アレは正真正銘の魔王よ。東洋の西洋の別なく、魔の系譜に連なる者の頂点に君臨する存在じゃ」
「ご存じなのですか、精海竜王?」
「まあ、長く生きておればのう。千年に一度……いや、厳密にはいろいろな条件があるのじゃが、この世界の均衡を保つために、あのように強力な力を持った魔物が生まれ落ちる。規格外ぞ。なにせ、世界の均衡を保つために、世界の理から外れた存在なのだから」
そう言いながらも、精海竜王は魔王の繰り出す攻撃を軽くいなしていった。
はたして竜王と魔王のどちらが強いのだろう。
いや、きっと竜王に違いない。
そう信じて、俺はその隣で神仙より賜りし仙宝に気力を籠めた。
「うなれ石兵玄武盤! 魔王なにするものぞ! 俺が調伏してくれる!」
◇ ◇ ◇ ◇
ルーシーの八本の脚は完全に折れていた。
肉と骨でできている哺乳類ならいざ知らず、彼女は蜘蛛の魔物だ。
破損した身体を修復する機能は、そもそも備わっていない。
つまり、彼女はもう立つことも歩くこともできなくなってしまった。
そしてそのことを、彼女と同じ領主の妻たちはすぐ察した。
「…………ララはん、ヴィクトリア。そんな悲しい顔、しんといて」
「けど、ルーシーさん。こんなのって」
「……なにか、また、きっと歩けるようになる方法があるはずです。そうだ、ナターシャに聞いて、精巧な義足の造り方を」
「……ええんよ。ウチは、旦那はんの盾になれただけで、満足やわ」
ケビンを守るために、自らを犠牲にしたルーシーは満足げにいった。
それでも、やはり自由を失った悲しみが台詞に滲んでいた。
そんな中、傷ついたトリストラムを胸に抱き、ステラが合流する。
「ルーシー!!!! だいじょうぶぅ!!!!」
「なんやのんステラ。そんなびぃびぃ鳴いて。ほんにうるさい娘やなぁ。そんなにうるさいと、焼いて食ってウチの栄養にしてまうで……」
多くの嫁たちが涙を堪える中、幼く純粋なステラは声を上げて泣いた。
あまりにも突然に、多くの大切な人が傷ついた。そのことを受け止められるほど、彼女は冷淡でもなければ冷静でもなく、大人でもなければ子供でもなかった。
今もまさに自分の胸の中で冷たくなっていくトリストラム提督。
そして、傷つき変わり果てたルーシー。
「なんで、なんでなの……! どうしてこんなかなしいことになっちゃうの! すてらたち、なにもわるいことしてないのに!」
自分たちの身を襲った不運に、彼女の心をはじめて強い怒りが満たす。
魔王を許せない。
仲間を救いたい。
力のない自分が憎い。
「もっと、ステラがつよかったら! おねーちゃんたちみたいに、すごいちからをもっていたら! こんなこと、ぜったいにさせなかったのにぃ……ッ!」
心からの後悔と力への渇望が、彼女を満たした時だった。
『では、解放してさしあげましょう。封じられた、本来の私の力を』
内なる声が、その胸に響いたのは。