洞窟で出会った、蛸魔人との激闘の末――私たちはなんとか、モロルド首都の裏手にある森に逃げ込んだ。
時刻は奇しくも夜。
満月間近の月が煌々と輝く深夜だった。
森には奴隷売買の拠点にしていた小屋がある。
そこでまずは夜を明かそう。
そう思ったのだが――。
「こ、小屋が燃えておるのじゃ」
「あら。こらひどいもんどすぇ。黒焦げで大黒柱も残っておまへん。ケインさん、これはいったいどういうことでありんす?」
「知らん! くそっ、久しぶりにまともに寝られると期待したのに!」
小屋はなぜか燃やされており、夜風が凌げる状態ではなかった。
そういえばケビンに奴隷売買のことがバレたのだった。
アイツは、サキュバスとの合いの子ということもあり、亜人を人間と対等に扱うきらいがある。旧都をセイレーン――かつての商品に解放したのがよい証拠だ。
きっと奴隷売買をやめるつもりで、この小屋を焼いたに違いない。
なんと愚かな!
人間と亜人が対等なわけがなかろう!
奴らは家畜と変わらない劣等種なんだぞ!
手足があり、二つの足で立ち、かろうじて言葉が通じるから使うだけで、けっして同じ立場になどなるはずがない!
「やはりケビンのような間違った思想の男が、モロルドを治めるのは危険すぎる。この島に生きる人間たちのためにも、私が領主に返り咲かねば……!」
「そ、そそ、それよりも、いったい今日はどこで寝るのじゃぁ? 妾(わらわ)はこんな森の中で寝るのは怖くて……ひぃっ、ななな、なにか物音がしたのじゃぁッ⁉」
「魔王さま、そないに心配せんとおくんなまし。ここはワッチとカインさんが、魔王さまの使徒としてお守りしんす」
「バカが! なにを勝手なことを言っている! 誰がこんなアホ娘を守る……!」
アホ女どもを見捨てて、次の拠点に移動しようとした私は、またしても氷女のよく分からない魔術で凍りづけにされた。
それも今度は全身。
これでは動けないではないか……!
「ほら、カインさんがワッチらを守ってくれはる。魔王さまはお休みください」
「おぉ! カイン! なんという忠義よ! 流石は妾(わらわ)の第一の使徒! あっぱれじゃ!」
「…………ご、ごふふ、ふががぁッ!」
そんなこんなで私たちは森で夜を明かした。
暗く狭くかび臭い地下から出て、久しぶりにとった睡眠は、いくばかりか自称魔王の小娘を元気にしたようだ。氷女も、そんな彼女の横で幸せそうに眠っていた。
眠れないのは私ばかり。
彼女たちに獣が寄りつかないための、スケープゴートにされた私は、寒さと暗さと孤独さと森の奥から響く獣の息づかいに怯え夜を明かした。
だから、どうして私がこんな目に遭うんだ。
私はモロルド領の正当な領主だぞ……。
「のじゃあっ! 見ろカイン! 村じゃ、村が見えたのじゃ!」
そして、翌朝。
私たちは森からほど近い寒村に赴いた。
奴隷売買の拠点を焼かれたことで、潜伏場所のアテがなくなった。
村で盗み――臨時徴収するためには、新たな活動拠点が必要だ。
そこでひとまず流れ者を装って村に入り、空き屋でも探すことにしたのだ。
もちろん、元領主の私が現れれば、大きな騒ぎになってしまうだろう。
「おいおいおいおい、なんだいその小ぎたねえ奴は! そこいらの農夫でも、まだもう少しだけマシな格好をしてるってもんだぜ!」
「しみったれた顔をしていやがるなァ。見ているだけでツキが逃げていそうだぜ」
「…………くっせ! こいつ臭うぜ! 肥だめみたいだ!」
なので、あえて私は小汚い浮浪者のみなりをした。
これならば私が元領主だとは気がつかないだろう。
そしてこんな小汚い男に近づいてくる者もいない。
なにより吸血鬼になってしまい、日の光を浴びることができない。
まさに一石二鳥。
我ながら完璧な変装にして作戦だ。
「どうせ泥棒かなにかだろう。てめぇ、俺たちの村になんのようだ」
「悪いがお前のような奴を村に入れるわけにはいかない。旧都の方に行くんだな。あそこなら、まだいくらか、アンタみたいな奴に優しくしてくれる人もいるだろう」
「首都には教会も刑務所もある。そっちで面倒を見てもらってくれ」
「すまんな、俺たちも自分たちの村を守るのが大事なんだ」
と、思ったけれど、あまりにも偽装が過剰だった。
こいつら本当に私を浮浪者だと思っていやがる。
これには流石に我慢ならぬと、曲げていた腰を伸ばして襤褸を脱ぎ去る。
「貴様ら! 言わせておけば、私を誰と心得る! この顔をよく見ろ! このモロルド島の真の領主! カイン・モロルドさまだぞ!」
「いや、領主はケビンさまだろう。そもそもカインって……誰だ?」
「ちくしょう! なぜこんなことになっているんだ! まだモロルド島から脱出して、半年も経っていないんだぞ!」
領民たちは私の言葉を信じてくれなかった。
いったいどんな手段を使って、領民を洗脳したんだ!
ケビン! やはり怪しい術を使ったのだな!
「というか……熱い! 熱いぞ! くそっ、皮膚がただれる!」
「なにをやっておるのじゃカイン! 第一使徒とはいえ、また灰になる気か!」
いかん。
吸血鬼になったことをすっかり忘れていた。
俺はあわてて襤褸をひったくり、頭から覆い被さる。
もう少し太陽の光を浴びていたら、また白い灰になっていたな。
しかしケビンめとんでもないことをしてくれたな!
領民たちを魔法で操り、仮初めの統治をするだなどと――外道もいいところだ! 王道の政ではない! やはり、サキュバスの血を引く奴などに、領主などできるはずがない!
私はよりいっそう、モロルドの領主に復帰する決意を強くするのだった。
「ほら、いいからとっとと出て行け!」
「旧都までの行き方はわかるか?」
「握り飯でも持って行くか? それとも麦がゆでも食べていくか?」
「ケビンさまは、アンタみたいなみすぼらしく怪しい奴も、けっして見捨てずに世話してくれる仁がある領主さまだ。素直に頼るといい。アンタが本当にいい奴なら、きっと力を貸してくれるに違いない……」
「「「「俺たちは、本当にいい領主さまを持ったなぁ……!」」」」
「違う! 奴はそんな領主じゃない! 名君みたいに言うな! 奴は、奴は……私から領主の座を奪い取った、悪徳領主なんだ!」