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第110話 隠弓神、弓の師を訪れる

 ララの案内により俺たちはモロルド旧都の山裾の裏にある樹海に向かった。

 風穴が多く危険なことで知られているそこは、草の民もあまり寄りつかないと聞く。

 モロルド島の宮廷でも、この地の調査などは暗黙の内に避けていた。


 まさに未開の土地。


 そんな場所をララの先導で俺たちは進む。


 先頭を進み枝をナイフで払うララ。

 そんな彼女をサポートする俺。


 風穴に落ちぬようにと、トリストラム提督とプーちゃんを抱えて飛ぶステラ。

 その背中を守るよう、(本当に)目を光らせるヴィクトリア。


 そしてしんがりを精解竜王が行く。


 かれこれ一刻ほど進んだだろうか。いよいよ周囲は緑ばかりで、空も地面も見つけるのが難しい場所になってきた。


 こんな場所に本当に仙宝娘たちがいるのか?

 というかそもそも――。


「どうして、こんなところを訪れたんだ、ララ?」


 ララがこんな危険な場所で、修行をしていたのが今さら気になった。

 聞けば、俺が宮廷に入ってすぐ、彼女はここに向かったという。


 風穴からは冷たい風が吹き抜け、木々の合間からは怪鳥の鳴き声が響く。

 大樹に絡まる蔦植物は、哺乳類も喰らう食虫植物だ。

 ここに至るまでの間に大型動物とも何度か遭遇したがどれも凶暴だった。

 それこそ狩猟に長けたララや、精海竜王がいなければ危なかった。


 なぜまた好き好んで。

 しかも、当時はろくにサバイバル技術も持っていなかったのに。

 自殺行為とも思える行いの意図が分からずいぶかしむ俺に、ララがなんともいえない愛想笑いを返してきた。


「ほら、私はこの通り、身体が弱いだろう? だから、ケビンの役に立つために、鍛えなくちゃいけないと思ったんだ。だから、自らを千尋の谷に突き落とす気持ちで……!」


「いや、ララには無理だろう。そんな勇気なんか当時はなかった」


「……うぅっ! ケビンはなんでもお見通しか!」


 俺に嘘を看破されて半べそをかくララ。

 幼馴染相手に生半な嘘が通じると思ってか。


 傍らに生えていた雑草をナイフで飛ばすと、隠弓神は深いため息を吐いた。


「身体が弱いから鍛えなくちゃいけないって思ったのは本当だよ。実は草の民たちは、ここに、弓の名人たちが住んでいることを知っていたんだ」


「なるほど、その噂を聞きつけて……ってことか?」


「そういうことだね。私はもう自分の腕力に見切りをつけていたから。なくてもどうにかできる戦い方をしようと思ったんだ」


「…………けど、矢を引くのって結構な力がかかるんじゃないのか?」


「それなんだよ! なんとか師匠には出合えたけれど、そこからもうスパルタの日々で! 何度森を逃げだそうとしたことか! けれども、森には高度な結界が張ってあって、おまけに罠まで張り巡らされていたんだ……私だって、逃げられるなら逃げたかったさ!」


 そうか、ララも大変だったんだな。

 てっきり努力が実って強くなったと思っていたが、そこは成り行きだったのか。


 しかし、当時は見るからにいたいけな白獅子だったララを、罠まで仕掛けて追い込んで徹底的に鍛え上げるとは……なかなかにスパルタなんだなララの師匠は。

 なんだかまた、嫌な出会いの匂いがするぞ。


 そんな後悔を抱いた矢先、俺の鼻先をチッと何かが掠めた。

 じんわりと鼻頭が熱くなる――。


「ケビン! すぐに鼻を押さえて! 血を外に出して!」


「え……あっ、あうっ、あれっ? め、目眩が……?」


 飛んできたのが矢だと気がついた瞬間、身体から血の気が引いた。


 毒矢だ。

 狩人がよく使う手だ。

 ララもまた鏃に毒を塗って使う。


 体格で勝る敵を一撃で屠るには、急所を狙い毒を用いる他にない。

 そのどちらも使えば、敵を倒せる確率は跳ね上がる。


 狩猟の掟。狩人の洗礼。

 それがまさか人間に向けられるとは。


「ふむ、こんな辺境に侵入者とはなにごとかと思ったが……お前だったか、ララ」


「し、師匠! いくら集落を守るためとはいえ、いきなり人に向かって毒矢を放つのはやり過ぎです! いったいなんの毒をケビンに盛ったんですか!」


「なに、たいしたことはない。ただの薄めた神経毒だよ。一度意識は飛ぶが、目覚めたら身体に後遺症は残らん。もっとも、寝ている間に生死を決めるのはこの私だがな」


 木漏れ日の中から姿を現わす、ヴィクトリアよりも色白な女性。

 背は弟子であるララよりも小さく、正直に言ってステラとどっこいどっこい。

 少女の部類に入るだろう。


 金色の髪を、密林に吹く風にそよがせた乙女は、なぜかその手に持っていた果実を口へと運び、シャリッと小気味よい音を立てて見せた。


「ようこそ、ヒューマン! 我ら、エルフの隠れ里へ!」


「…………エルフ?」


「大陸のエルフ狩りのバカどもから、逃げ回ってここまで来たというのに、やれやれここでも追われることになるのか。どうして私たちを放っておいてくれないのかね」


「ちょ、ちょっと待ってくれ……? ここは、仙宝娘の隠れ里じゃないのか……?」


 聞いていた話と違う。

 いや、そもそも確証があったわけではない。

 けれども、モロルドの樹海に隠れ住み、精妙無比な矢の心得を持っていると耳にして、期待するなという方が無理だろう。


 それにまさか、エルフがこの島にいるとは思わないじゃないか――。


「残念だったね! アタシたちはただのエルフさ。しかも、アンタと同じように西方からやって来た口のね! 仙宝娘ってのはなんだい? 聞いたことがないね!」


「…………ここまで来て、無駄足、か!」


 精海竜王の高笑いにも勝るとも劣らない甲高い笑い声を聞きながら、俺は徐々に意識を失った。

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