庵から医者が出てきた。
入った時には張り詰めていた表情がすっかりと和らいでいる。
どうやらララの容態は心配がなさそうだ。
ホオズキと顔を見合わせる。すぐにもララの下へと走りたそうな彼女に頷いてやると、彼女はピンとその黒い尾を立てて庵に駆けていった。
一人となった俺をさみしい風が襲う。
今は誰かと語らうより、思索する時間が必要だ。
庵を立ち去ろうと、俺は切り株の上から立ち上がり――。
「我が弟子! やっと一人になったな、我が弟子!」
「弟子の精神状況を考えて声をかけてくださいよ、黒天元帥……!」
落ち込んでいることなどお構いなしに、ハイテンションで声をかけてきた大仙人に、浮き上がった腰を下ろした。
相変わらず、喋るだけで迷惑な方だなぁ。
というか、黒天元帥って死んでいるのではないのか?
なんで陣の外でも平然と声が聞こえてくるのだろう?
まさかとは思うが、石兵玄武盤に乗り移っているのか?
あの仙宝を手に入れてこっち、踏んだり蹴ったりの俺としては――そんなことなら、今すぐにでも仙宝を返しに行きたい気分だ。
「ふふっ、自分の手に余る力に驚愕しているようだね、我が弟子よ?」
「……まぁ、はい。俺は貴方からいただいた力の使い方を間違えました。こんなことをするために、石兵玄武盤をいただいたわけではないのに。すみません、黒天元帥」
「なにを謝る! というか、真面目すぎるぞ我が弟子! 精海竜王の領土――海中を壊したからなんだというのだ! 精海竜王が非力で、自分の民を守れなかった! それだけの話しじゃないか! 君はその力を、己の望みのままに使い、自分の民のために使った! それのいったいなにが咎められることだというのか!」
黒天元帥なりに、俺を励ましているのだろうか?
いや、そんな風には聞こえない――。
「弟子ぃ! 力のある者が、その力を自由に使ってなにが悪いか! 強者こそが民を導き、世界を変革し、時代を進めて行くのだ! もっと自分にうぬぼれるがいい! お前は強者なのだ! 他者を蹂躙し、屈服させ、恭順させる――覇王の資質を持つ者なのだ!」
「……黒天元帥!」
「なぜ善良なる領主であろうとする! ノンノンノン! それは面白くない! 実に非合理的だ! ケビンよ、私はそんなことのために石兵玄武盤を与えたわけではない! もっと面白く! もっと優雅に! 混沌と破壊を! 秩序と創造を! 君のような強大な力を持った人間が、他者を思いやる必要などないのだ! 自分に忠実たれ!」
黒天元帥がまくし立てれば、どこからともなく『なんだかいいことを言ったような、荘厳な音楽』が聞こえてきた。
なぜだろう、額に汗を流して微笑む師の顔が脳裏に浮かぶ。
考えたくもないのに。
黒天元帥は善人ではない。
どちらかといえば、悪人――いや、悪仙と呼ばれる部類の人だ。
彼には俺が思い悩んでいる領民の統治や、モロルドの発展などどうでもいいのだろう。
ただ己の欲望のままに、強者として君臨し続ける。
統治もなにもなく、人々の脅威とみなされても、己の信じた道を突き進む。
それくらいに吹っ切れることができたなら――。
俺は、セリンを失ったことに思い悩むことも、精海竜王と戦うことに怯えることも、モロルドの領民を案じることもなかったことだろう。
器が違う。
これが仙人か。
あらためて俺はとんでもない人を、師として持ってしまったようだ。
その上で――。
「大黒元帥。俺は、貴方のように強く美しくはあれません」
「なにぃッ!!!!」
俺は師に逆らう道を選んだ。
ついでに、頭の中に濃い顔で目を見開く黒天元帥の姿が浮かんだ。
「貴方はその強大な力を、自在に行使して人々に畏れ敬われることを望むのでしょう。そんなあり方もあるのだと、私は今、目から鱗が落ちた気分です」
「ふむ、まさしくその通りだ! 私は私のために私の力を使う! それが黒天元帥のポリシーでありプライドでもある! なのに、なぜ拒むのだ弟子よ! 私のようになりたくて我が下にやってきたのではなかったのか!」
「いや、アンタが無理矢理弟子にしたんだろうがい」
「フーッハッハッハッハ! 身も蓋もないなこれは!」
強制的に弟子にされたのだ、師匠に憧れるもへったくれもない。
今日に至るまで、黒天元帥について尊敬することはなにもなかった。
ただし、さきほどの言葉で気がつけた。
いや、吹っ切れたと言っていいのかもしれない。
「黒天元帥……貴方は、強者は強者であっていいと言いたいのですよね? その力を、誰にもおもねることなく、自分の意志で使うことを戸惑うなと?」
「うむ、その通りだ弟子よ! なんだ分かっているじゃないか!」
「だったら……俺は貴方から与えられた力を、妻と領民を守るために使いたい! 彼女たちを万難から遠ざけ、笑って日々を過ごすことができる楽土を作るために! 俺は貴方から与えられた石兵玄武盤と、己の身体に宿っている膨大な仙力を使いたい!」
「…………なるほど、それが君の心からの願いなのだね、ケビン・モロルド?」
師は俺の想いを否定しなかった。
誰よりも自由で、誰よりも気高く、誰よりも強くあらんとする――強大なる力を持った仙人は、相反する俺の願いすらものみ込んでみせた。
それもまた自由であり、強者の権利だと言わんばかりに。
あるいは彼は最初から、俺がそう答えると分かっていたのかもしれない。
「ならば、お前の信じた道がどのような未来に繋がるか。しかと見届けさせてもらおう」
「簡単には潰えさせません。俺の肩には、愛しい妻とモロルドの領民たちが乗っているのですから。絶対に、意地でも貫き通してみせます」
「…………フハハハッ! それでこそだ、我が弟子よ! よいぞ! 黒天元帥が認める! その力を使って、この地――モロルドを発展させてみせよ! 精海竜王も、西洋の魔術師も蹴散らして、己の信じる自由な国を興してみせよ!」
「ほう、随分と勝手なことをいってくれるではないか……?」
その時、海鳴りのような声が空に響いた。
空はどんよりと重たい雲に包まれ、雷轟がモロルドに街に木霊する。
そして――かつては、俺の執務室を覗くためその姿を現した場所に、海竜の王はその身を顕現させた。
「我が領土で、勝手に覇を唱えるなど看過はできんな……ケビン・モロルド!」
「精海竜王……!」