後宮の専属医に庵から追い出された俺は、庵の外でララの診察が終わるのを待った。
ステラやルーシーといった、妻たちは一緒にいることを許されたのに。
まぁ、文句を言っても仕方が無い。
おそらく、薪を割るのに使われていたと思われる、切り傷の多い切り株の上に腰掛けると。ララの診療が終わるのをぼんやりと待つ。
空には白い雲がたなびいている。
まるでモロルドの動乱など意に介さないように、空をゆったりと流れていく白雲を眺めていると、ほんの少しだけ喧噪から遠のくことができた。
同時に、ララとの会話で明らかになった、己の本当の欲求が頭を過る。
「俺はモロルドのことよりも、セリンのことが大切なんだな……」
すべてのしがらみを取り払った時、俺の中でもっとも強いのは妻への思慕だった。
精海竜王を敵に回したことも、モロルドを危機にさらしたことも、どうでもいい。
もちろん、どうでもよくはないのだけれど。
絶倫領主とさんざんからかわれてきたが――。
「まさか俺が、こんなにも女性に拘泥するだなんて」
妻のことを愛しく思い、一緒に居られぬことを寂しく感じ、不本意な別れに胸が引き裂かれそうになるほどの激情が、自分の内にあることを俺は思い知らされた。
絶倫かどうかは分からないが、好色には間違いないようだ。
人前では、愛妻を名乗った方が角が立たないか。
いや、五人も妻も娶っている時点で、今さら取り繕ってもしかたないか。
「ケビンさま! ララ姉さまが目を覚ましたというのは本当ですか!」
「あぁ、ホオズキ。さっき、俺がやって来たのと同時にな……」
庵の前でぼんやりとしていた俺に、あわてた様子でホオズキが駆け寄ってくる。
慕っている白虎の獣人の無事を聞くなり、彼女は自ら摘んだ薬草が舞うのも構わずその場に飛び上がった。
本当に、ララは多くの人に慕われているのだな――。
「よかった! ララ姉さま! よくぞ回復なさった……!」
「今、医者が容態を診てくれている。あんまり大勢で押しかけるのもよくない。悪いが見舞いについては、もう少し待ってくれ」
「待ちます! いくらでも待ちますとも!」
ふと、俺はこの獣人娘が、なにゆえララに懐いているのか気になった。
おそらく二人が出会ったのは、俺が村を出て、ララが草の民に戻ってからだろう。
隠弓神と呼ばれ、草の民の間でも畏怖される白虎の娘と、どういういきさつで彼女は出会い、なにを思ってここまで慕っているのか。
「ホオズキ。よければ、ララとの関係について話してくれないか?」
「……ララ姉さまとの関係ですか?」
今日の俺はどうも衝動的すぎるな。
ただ、聞きたいと思ったのは間違いない。
胸の前に手を当て、黒い髪を揺らす猫の獣人。
いつになくしおらしい彼女の仕草に、なんだか肝を抜かれた気持ちになった。
はたして頬を赤らめた彼女はもじもじとその襟元を弄る――。
「私たちの一族は、他の草の民と違い、金で雇われてどんな仕事もします。それこそケビン……さまのお耳に入れるのもはばかれるようなことを、私は幼い頃からしてきました」
「…………そうなのか。草の民も、いろいろなのだな」
「一族の者は、誰もがそんな生き方に疑問を持っていませんでした。私もまた、掟に従って、依頼者との契約を遂行することをなによりの誇りとして生きてきました。しかし、そんな時です――私はララ姉さまと相まみえることになりました」
ララとホオズキはとある仕事で刃を交えることになった。
隠弓神の放つ矢を、隠密の技を仕込まれた猫獣人は、舞うように躱したという。
しかし、ララの本領は弓の腕ではない。
「緻密な罠に誘い込まれた私は、ララ姉さまに生け捕りにされました」
「ララらしいというか、その光景が目に浮かぶよ」
「縛られた私は、ララ姉さまの隙を見て自害しようと試みました。しかし、それを姉さまは身を挺して庇ってくれたのです。命を粗末にするなと……」
依頼の遂行が第一の彼女にとって、失敗は自らの存在価値の否定だった。
ホオズキは迷うことなく死を選んだ。
しかし、それをララは許さなかった。
舌をかみ切ろうとした彼女の口に、自分の手を突っ込むと、指に歯が食い込むのも構わず、その命を救ったのだという。
そして、隠密としての生き方しか知らないホオズキを諭した。
「たった一度の失敗で、人間の価値は貶められたりしない。ララ姉さまは、そう私に言ってくれました。そして、手を取って『私のために生きてくれ』と言ってくれたのです」
「ララにしては、少しばかり格好よすぎるな……?」
いくらかホオズキにより美化がされているのかもしれない。
けれど、あの優しき獣人なら、そんなことを言ってもおかしくない。
そしてその言葉はまた、俺をも救った。
「たった一度の失敗で、人間の価値は貶められない……」
今日は本当に、ララの言葉に助けられる。
思慮深く、そして、今や頼もしい狩人に成長した幼馴染みに、俺は深く感謝した。