「すごい! これが仙宝の力か……!」
仙宝『石兵玄武盤』を手に入れ、俺は嫁と新都に急ぎ戻った。
都に到着したのは深夜。
しかもおあつらえ向きにその日は新月だった。
仙宝を使い、第六艦隊への夜襲を思いついた俺は、さっそくそれを実行に移した。
たった、一人で。
新都の港湾。
今は光を失った灯台の下で、仙宝『石兵玄武盤』を手に念じる。
たちまち、目の前の海が荒れ狂う。
海底で岩が隆起し、砂地がうねる。
玄武盤の権能が及ぶのは地上だけではない。
海底さえもそれは自在に変形させるのだ。
「むぅ、流石はあの腐れ神仙めが編んだ仙宝。おそるべき威力よ」
「地を操るとは聞きましたが、まさか海まで操るとは……!」
モロルド周辺の海を支配する精海竜王と、その娘が肩を並べて声を震わせる。
海に棲む者たちには、海中をかき回されるのはさぞ恐ろしいことだろう。
そんな彼らの横で、俺はさらに仙宝に力を籠め、軍艦がたむろする海域を荒らした。
次々に海の闇に沈むレンスター王国の戦艦。
変形した岩礁に乗り上げ、地形が変わり生じた潮流と気流に翻弄され、彼らはあまりにあっけなくその命を散らした。
音に聞こえし第六艦隊。
精兵たちが瞬く間に海の藻屑と化していく。
抗う術さえ与えない。
圧倒的な力。
まさに天地創造。
神話に出てくる原始神にでもなった気分だ。
粘土でも混ぜるように地形を変え、大地に生きる者たちを翻弄する。
その強力な権能に――俺はのみ込まれないように必死に人間性を保った。
同時に理性も。
「旦那さま、顔色がすぐれませんが?」
膨大な仙力を『石兵玄武盤』へと注ぎ込み、大地の形を緻密にコントロールする。俺がひとつ操作を間違えば、モロルドの新都にさえこの神威は牙を剥く。
これは人に過ぎたる力。
それを人の身で操っている。
武もなく、知もなく、ただ周囲の人に恵まれた俺にとって、明らかに身に余る。
それでなくとも、身体から奪われる膨大な仙力に、正気を保つのがやっとだ。
仙宝を人の身で使うというのが、そもそもからしておかしいのかもしれない。
それでも――モロルドの未来のため、ここで退くわけにはいかなかった。
やがて闇に包まれたモロルドの入り江から軍船の姿が消える。
トリストラム提督が撤退の判断をしたのだろう。
追撃することもできたが――逃げる敵の命まで奪うことはない。
俺は『石兵玄武盤』をおろし、そのままその場に座り込んだ。
時間にすれば四半刻ほど。
一日に及ぶ新都への攻撃を考えると、それはあまりにも短い攻防だった。
「おつかれさまでした旦那さま!」
「ほんに、あんじょうきばりはったな。えらいえらい……」
心配したセリンとルーシーが俺に駆け寄る。
「はぁ、はぁ……! これで、モロルドの当面の危機は去ったな……!」
肩で息をする俺の背中を二人の嫁が優しく撫でる。
ようやく仙宝を手放して人の身に戻った俺、はしばし妻たちの温もりに癒やされた。
そんな中――夜の海からのっそりと、人影が姿を現す。
「敵艦は残り六隻。近くの環礁に停泊しています。次なる手はいかがいたしますか、マスター。ここで一気にたたみかけて、殲滅することもできますが……?」
この暗い海へと出て、戦況を観測してくれていたヴィクトリアだ。
その美しい銀色の髪は海藻にまみれ、身体はほのかに潮の香りがした。
人型仙宝の彼女の身体は、見た目からは想像できないほど重たい。
そんな特性を活かし、彼女は海の中を潜って戦況を確認してくれていた。
よもやトリストラム提督も、海の底に斥候が潜んでいるとは思うまい――。
「そうか、ありがとうヴィクトリア。だが深追いはよそう。できれば穏便にことを収めたい。明日にでも交渉の使者を出すとしよう」
「そうですか。『石兵玄武盤』の力を持ってすれば、あの程度の艦隊を殲滅することはたやすいですが……あくまでご主人さまは和睦を選ぶのですね?」
「あぁ。敵も味方も、できることなら人死には最低限で済ませたい……」
俺がそう告げるとヴィクトリアの鉄仮面が、心なしか緩んだように見えた。
まぁ、言った通りの理由だが――それ以上に、俺は手にした仙宝の力に溺れてしまわないかが怖かった。この万能感と圧倒的な暴威は、人の心を容易に狂わせる。
この力に頼りすぎれば俺は道を誤るだろう。
人としても、領主としても。
だからこの辺りが潮時。
トリストラム提督とカインに、十分にこちらの力は示した――。
「夜明けを待ち、レンスター王国第六艦隊と接触を試みる。そこで、なんとか停戦の約束と、あわよくばレンスター王国からの独立の承認をとりつけよう。向こうも、こちらを国と認めれば、今後はちょっかいをかけてくることもないだろう」
「そうですね……旦那さまのおっしゃる通りです!」
「政治のことはウチはようわからへんけど……戦い続けるのは疲れるさかいになぁ」
嫁二人も俺の選択を支持してくれた。
きっと、旧都に残ったステラとララも、納得してくれることだろう。
イーヴァンあたりは「補償金をふんだくれ」とうるさく言うかもしれないが、まずは当面の平和を勝ち取るのが最優先だ。
ようやくこれで一息つける――。
「そう言えば旦那さま。監視中に、領海内を漂っていた小舟と獣人を見つけたので、曳航してまいりました」
「…………この乱戦の中で?」
そう思ったのだが、まだトラブルは残っていたようだ。
頷くヴィクトリアの横で黒い影が飛び上がる。
それは、俺に向かって飛びかかると、手に持った短刀を首筋へと振るった。
後ろに控えていたルーシーが槍を抜き、セリンが雷術を繰り出す。
夜闇に紛れて俺を襲った不届き者は、あえなく愛妻二人に成敗された。
「ぐっ……くそぉっ!」
「なんやのん、せっかく話が綺麗にまとまりそうやったのに」
「私の前で旦那さまに手出しはさせません! まったく、いったいどこのどいつですか、この不届き者は! 顔をそのように黒い布で隠して!」
「いや、待て。その装束は、たしか……」
草の民の中には、金で雇われ隠密仕事をする一族がいる。
王族、貴族、一般人など関係なく、受けた仕事は必ず完遂する。
その者たちが好んで着るのが黒い装束――だと、以前ララから聞いた覚えがある。
もしかしなくても、こいつはその一族の者ではないか?
トリストラムに雇われたのか?
それともカインが雇ったのか?
困惑する俺の前でそいつは――。
「くそっ! ララ姉さまの仇を取れると思ったのに!」
「ララ……だと⁉」
俺の幼馴染みにして、今は旧都にいるはずの狩人の名を叫んだ。
頭を包んだ黒い頭巾を剥げば、黒い耳に黄色い目玉が飛び出してくる。
後ろ髪を後頭部で結い上げて垂らしたその獣人は、殺意の籠もった目を俺に向けた。
「お前のせいでララ姉さまは! 単身で戦艦に乗り込むことになったんだぞ!」
「なに……どういうことだ⁉ ララは旧都で休んでいるはずでは⁉」
どうやら、レンスター王国との戦いは、まだ終わっていないようだ。
次なるトラブルの予感と、幼馴染みの安否に、俺の心は再びざわめき立った。
どうか、無事でいてくれ……ララ!