モロルド領本島の東側にある環礁湾。
領内に公然と入ることができない者たちが船を係留し、小舟にて密入国させるのに使っていたそこで、私とトリストラム提督は休息を取っていた。
時刻は深夜。
新月の海はどこまでも暗いが――トリストラム提督の指揮下にある軍船が、常に砲火をモロルド新都に浴びせかけていることもあり、思ったよりも明るく煩い。
「モロルド伯! 大変です! モロルドの都が――!」
そんな中、水兵から火急の知らせが入った。
「トリストラム提督! ケビンから反撃を受けたというのはまことですか!」
第六艦隊旗艦――フェイルノート。
その船首に立ち、彼方のモロルド新都を眺めていた提督は、新月の中にもありありと分かる青ざめた顔を俺に向けた。
東洋に名の響く常勝の海将。
その顔から覇気と生気が失せている。
昼間は青く輝いていた髪が、力なくしおれる様に、事態が急変したことを悟った。
提督は再び船首からモロルドを望むと――。
「見てください! あの異常なるモロルドの陣を!」
「なっ……なんだあの光景は!」
砲火の中に浮かび上がるモロルド新都の港――その周りに雄々しくそそり立つ、石柱の数々に息を呑んだ。
まるで天を衝くかの如くモロルドを守る盾。
微妙にその先端が膨れ上がっているのは、きっと気のせいではないだろう。
おのれ――あの絶倫男め!
モロルドにあんな汚らわしいものを建ておって!
形のことはさておき。
石柱に射線を遮られ、艦砲の轟音が少しずつ遅れていく。
やがてそれは完全に止み、モロルド島に一日ぶりの静寂が訪れた。
夜通しモロルドを攻めるという話だったが――。
「トリストラム提督、いかがなされた! 東洋に名を馳せた貴方ほどの男が、まさかあのような卑猥――奇っ怪な石柱如きに気圧されて、攻める手を緩めるのですか!」
「えぇ、カインどの。アレにみすみすと近づくのは危険です」
「なにをおっしゃる! あんなものただのチ……岩の柱ではないですか!」
絶倫男の下品極まりない品性がにじみ出た防護柵。
このようなからくりを用意していたとは驚きだが、だがそれがなんだというのか。
恐れることなぞなにもないだろう。
奸計で私から領土を奪った兄。
そんな奴の術中にみすみすはまるものか。
そう思った目の前で――モロルドに上陸しようとする水兵たちの姿を俺は見た。
途端、石の隙間から突風が吹き、彼らの船を吹き飛ばす。
雷鳴が荒れ狂い、暗い海はたちまちと水兵をのみ込んでしまった。
それはあっという間のできごと。
しかし、俺と兵の士気をそぐには十分な惨劇だった。
「見ましたでしょう? アレは石兵八陣と言われる守りの陣です」
「石兵八陣……⁉」
「策もなく突入すれば、摩訶不思議な風に煽られ、船と人があたら沈む……!」
「バカな! あの卑猥な――珍妙な形の柱にそんな力があるはずない!」
「あるのです! 私もかつて……この陣を持って軍勢を破る魔術師を見ました!」
「し、しかし……勝ったのでしょう! トリストラム提督が!」
第六艦隊を率いて、勝ちを収めてきた猛将トリストラム。
彼の戦いに黒星は一つとしてない。その魔術師も破り、彼はレンスター王国の武威とその異名をしらしめたはずだ。
なのに、力なく提督はうなだれた。
まさかこの提督に、人に語れぬ負けがあったというのか――?
「トリストラム提督! 石柱が動き我が艦隊に迫っております!」
「……やはりか!」
「やはりかとは⁉ どういうことなのですか、提督⁉ なにを知っているのですか⁉」
「石兵八陣は、人に構築することができない神の御業。あの陣を敷けるということは、自在に天地を操る魔力を持つということ!」
「バカな! そんな魔術師がモロルドにいるはずがない!」
「たしか以前、おっしゃっていましたね? モロルド領を簒奪したケビンは……?」
あの男がいったいなんだというのだ!
呪われた魔女との間に生まれた忌々しい男!
我がモロルド家の血筋に、淫奔の血を混ぜた恥知らず!
人にも獣人にもなれぬ、彼奴に――このようなことができるというのか!
新都の建設も、石兵八陣も、けしてあの男がやったことではない!
きっと何者かが――!
「提督! 船尾に小舟が接舷しております! 侵入者です!」
目の前の惨劇を、愚兄のしでかしたことを、信じられずに騒ぎ立てる俺の耳に、水兵のつんざくような声が聞こえる。女のような甲高い声の持ち主は、こちらに駆け寄ると。
「カイン! ケビンのため……死んでもらうぞ!」
「なにっ!」
その腰から短刀を抜きさり、俺に向かって振り下ろした。
まさか侵入者を警告する水兵に化けていたとは。
星の光が降り注ぐ中――はらりとばらまかれる銀髪。
猛獣の如き瞳が輝いたのを最後に、俺は意識を失った。