旧都にある領主の居館はセイレーンたちに払い下げられた。
今は燕鴎四姉妹をはじめとする、高級娼婦たちの住居兼仕事場と化している。
そんな中――なぜかカインの居館だけは、誰も使おうとしなかった。
王宮から徒歩で四刻半もかからぬ場所。
本国からの賓客や各国要人も招けるよう、豪奢に造られた洋館。
その勝手口の鍵を開ければ、背中でセリンとステラがぱちくりと目を瞬かせた。
「なんだか、随分と手慣れていますね?」
「俺はそもそもカインの家宰になる予定だったからな。この館にも日常的に出入りしていたし、賓客を迎える時には使用人の差配などもしていたんだ」
「家宰ですか?」
「あぁ……」
血は水よりも濃いと言うが、領主においてもその理屈は通る。
多くの貴族は、家長の補佐にその兄弟を据える。
あるいは従兄弟。
まったくの他人を政治の中枢に置かないのは、領主の権威を守るためでもあり、速やかな意志決定のためでもある。とかく、それは西洋世界の常識だった。
もちろん、時にそれが争いを生むこともあったが――。
「大公くらいになれば、領土を割譲することもできるが、地方領主程度ではな?」
「なるほど、人の世もなかなか難しいのですね」
とりわけ、モロルドは飛び領地である。
領土も少なければ人材も少ない。
人種も違えば風土も違う土地で、信頼できるの同じ血をわけた者だけだ。
たとえ、そこに【不穏な血】が混ざったとしても。
「ぴぃ! おにーちゃん! はやくはいろうよ!」
ステラに急かされ、俺は居館の扉を引いて中に入った。
土間を抜け、応接間を横切って廊下を進む。
突き当たりまでいけば階段があり、二階には書斎とカインの趣味の部屋があった。
家主を失った居館は寂しく、床に積もった埃がなんとももの悲しい。
そして、やはり奴隷売買の痕跡はどこにもなかった。
セリンがふむと頷く。
「地下室の類いもなさそうですね。意外と地盤はしっかりしています」
「ぴぃっ! ステラのなかまがいるけはいもないよ!」
妻たちもまた、この館に不穏な箇所がないと証言した。
やはり、カインが奴隷売買に関わっていたとは考えられない。
彼を間近で見ていた俺が気づかなかったのだ。
軋む階段を上り、書斎に入る。
普段から几帳面に片付けられていたそこからは、島の政治にまつわる書類が全て持ち去られ、弟の趣味の書物もなくなっていた。
時折、政務に疲れたカインは、窓辺でよく本を読んでいた。
その精緻な模写をなぞり、嬉しそうに笑っていたものだ。
『兄さん、この島は狭いね。まるで僕は、籠の中の鳥のようだよ……』
やはり俺の記憶の中のカインと、セイレーンたちの言うカインが一致しない。
彼は本当に、悪事に手を染めたのか。
なにかの間違いであって欲しい……!
「ぴぃ? おに~ちゃん、こっちのおへやはなぁに?」
「あぁ、そこはカインの趣味の部屋でな」
「……なかまじゃないけど、にたにおいがするよ?」
それはそうだろう。
不思議そうに首を傾げるステラを連れて、俺はカインの趣味の部屋へと入る。
そこは――次期領主の館とは思えない、鼻の曲がるような臭いが満ちていた。
鶏糞。
そして、穀物を砕いた資料。
部屋の隅に転がる卵。
そこは鳥小屋――。
「カインの趣味は鳩の飼育でな。この館で数百匹の鳩を飼っていたんだ」
「それですよ! 旦那さま!」
なにがそれなのか?
急に身を乗り出して叫ぶセリンに、俺もステラも尻ごんだ。
彼女はすぐに部屋の中を漁り出すと、タンスの隙間からなにかを取り出す。
それはなめし革製の小さな筒で、細い径のなにかに結わえられるようになっていた。
「旦那さまは伝書鳩というものをご存じですか?」
「あぁ、知っているが……あれは戦争の道具だろう?」
遠方の部隊や王宮と連絡するための手段。
鳩の帰巣本能を利用した情報伝達法だ。
鳩はああ見えてかなりの距離を飛ぶ。それこそ波濤万里を越えて、彼らはいろんな地へと向かうのだ。その習性に目をつけ、人は古くから鳩を情報伝達の手段に……。
「あぁっ! そういうことか!」
「そうです! 旦那さまの弟――カインは、この鳩を使って、奴隷売買をしていたんですよ! どうして気がつかないんですか!」
「いや……本当に、ただの鳩好きだと思っていて」
「旦那さまのお人好し!」
正妻の冷徹なツッコミに頭が上がらない。
まったくもってその通りだった。
かわいい趣味だなと思っていたそれが、まさか悪事に利用していたとは。
さらに、証拠が続々と出てくる。
床の隙間や机の下から、あれよあれよと密売についての書類が出てきたのだ。
どうやら執務室ではなく、こちらが奴隷商売のための作業室らしい。
「なるほど、木を隠すなら森の中、セイレーンを隠すなら鳥の中ということか」
「うまいこと言ったつもりにならないでください!」
「ぴぃ! おにーちゃんのまぬけぇなの!」
だって気がつかないだろう。
こんな場所で、そんな仕事をしているなんて。
カインも部屋に入ろうとすると――。
「やめてくれ、兄さん! 鳩はデリケートなんだ!」
と、血相を変えて止めたんだから。
あ、それも今思えば、俺から奴隷売買のことを隠す、言い訳だったのか。
ほんと、まんまと騙されてしまった……。