精海竜王の背に乗って半刻。
モロルド領本島を西岸からぐるりと回り、俺たちは旧都へと到着した。
セイレーンの手により歓楽の街へと変わった旧都は、重苦しい空気に包まれていた。
目抜き通りの窓は閉められ、外を出歩く人はいない。
俺たちを出迎える者もいなかった。
ふと、住居から怯えるようにセイレーンが出てくる。
扇情的な踊り子の服を着た娘は、俺を見るなり「ヒッ!」と声を上擦らせた。
「た、助けてください! どうか……どうか奴隷だけは!」
「待て待て! 私だ! モロルド領主のケビンだ!」
「モロルド領主! いやぁっ! またアイツらが戻ってきたんだわ! せっかく自由を手に入れたと思ったのに! こんなことならいっそ……!」
腰に差した短刀を抜いて首へとあてがうセイレーンの娘。
その喉元に刃が突き刺さる寸前で、セリンの放った雷撃が彼女の手から凶刃を弾き飛ばした。同時に、雷撃にしびれた乙女が倒れた。
短刀を拾えば、刃先に血が滲んでいる。
セイレーンたちにとって死を選ぶほどの恐怖なのか……!
それほどのことをしたのか……モロルド家は!
「仲間になってくれて勘違いしていた。俺は――俺の一族は、セイレーンたちになんてことをしたのだ!」
「旦那さま。彼女たちに危害を加えたのは旦那さまではございません」
「ぴぃっ! そうなのっ! おに~ちゃんは、ステラたちをかいほうしてくれた、えいゆうさんなの! みんな、こんらんしているだけなの!」
「そうだぞ婿どの。親の咎まで子が背負う道理はない。お主は、この島の領主として、セイレーンたちの主として、よくやっている。精海竜王のワシが保証しよう」
セリン、ステラ、そして再び人の姿になった精海竜王が、慰めてくれる。
しかし――胸に渦巻く、暗い影が晴れることはなかった。
「ケビンさま! あぁっ! 来てくださったのですね! ステラまで!」
「ケビン! ダイアナが連れ掠われて……!」
旧都はかつての王宮。
いまやセイレーンの姫たちの住まいと化したそこに、二人の義姉が集まっていた。
すぐにこちらに駆けてきた彼女たちに、第二夫人のステラが飛びつく。
セイレーンの姉妹は、掠われた三女の身を案じてわんわんと泣いた。
「さっそくだが、ダイアナについて詳しいことを教えてくれないか?」
「なぜ掠われたのか? 掠った相手の心当たりなどございませんか?」
アフロディーテとマーキュリーが息を呑む。
ステラはここに来る前に「ダイアナ」が島から連れ掠われる寸前であり、島が領土放棄されたことによりその話が立ち消えた――と言っていた。
だが、この反応はまだなにかある。
しかも俺に話すのを躊躇する事情が。
緊張の糸が張り詰める中――。
「ダイアナは、とある御仁のためだけに、特別に仕立て上げられた愛玩奴隷です」
「……そのとある御仁とは?」
「次期領主カイン・モロルドさまです」
アフロディーテは腹違いの弟の名を口にした。
強い憎悪を声に滲ませて……。
カイン・モロルド。
先代領主にして俺の父、ヴォーティガン・モロルドが正妻との間に設けた子。
領主の風格を漂わせる黄金色の髪。
立つ姿は勇壮で筋の通った鼻。
喋らせればよく通る声で大人たちを唸らせる話をする。
宮廷で働くものなら誰しも、彼が立派なモロルドの跡継ぎになると信じていた。
腹違いの兄でさえ――。
「ばかな、カインがそんなことを!」
「カインさま……いえ、カインは幼い頃からこのセイレーンの密売に関わっていました。多くの同胞があの者の手によって傷物に……!」
「……信じられない」
「そもそも、セイレーンの密売は領主の特権。知る者は限られてございます。いくら兄君と言われても、ケビンさまは領主ではございません。知らぬのは無理のないことかと」
「ケビン! 私たちの言うことが信じられないの!」
「ぴぃ! おに~ちゃん!」
もちろん、燕鴎四姉妹の言葉が信じられないわけではない。
セイレーンたちの身に起きたことも、事実だと受け入れている。
しかし――かつて一度は主とした弟の実態に、一人の人間として驚きを隠せなかった。
立ちくらんだ俺をセリンが支える。
覗き込んでくる、正妻の心配そうな顔に――なんとか正気を保った。
「……カインの館を調べれば、なにか分かるかもしれない」
「ケビンさま!」
「ケビン!」
「おに~ちゃん!」
「しばし待っていてくれ、アフロディーテ、マーキュリー。これは俺の身内の恥だ。ならば、俺が必ず解決してみせる……!」