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第41話 海竜の姫、やきもちを妬く

「旦那はん、このままやとこの娘が風邪引いてまいそうやから、お先に失礼するわ。田舎娘と、あとはあんじょうよろしく……」


「マスター。私も、これ以上の熱暴走は危険と判断しました。ルーシーと一緒に、ステラさんのおもりをしてきます」


「少し行ったところに、涼むのにはよい場所がある。案内しよう。ケビン、セリンさん、くつろいでくれ」


 温泉の熱にあてられて倒れたステラ。

 そんな彼女を理由に、次々に嫁たちが温泉から去っていく。

 俺はもちろんセリンに気をつかっているのはあきらかだった。


 正妻で、第一夫人で、この中で誰よりも古株なのに――気がつけば他の夫人たちに俺を取られ、指を咥えてみつめるばかり。押しが強いようでいて、割と回りに気を配る奥ゆかしい乙女を、なんだかんだでみんなよく理解しているようだった。


 ちらちらとセリンがこちらに切なげな視線を向ける。


「…………旦那さま、私とも少しお話いたしましょう?」


「そうだな。そうしよう」


 俺は再びセリンの隣に戻り、彼女との時間を楽しむことにした。

 思えば島の開拓・冒険で忙しく、彼女とのんびりと話すのは久しぶりだった。


 精海竜王の娘は、温かい湯の中にその腕をたゆたわせると、ほうと息を吐く。

 けっこう長い時間そうしているが、彼女は他の娘と違ってのぼせていないようだ。


「精海竜王の娘というだけあって、セリンは身体が丈夫なんだな」


「まぁ! それはいったいどういうことですか! 粗忽者だとか、乱暴者だとか、そういう意味合いで申しているのなら、それは聞き捨てなりません!」


「いやいや……みんなのぼせて湯を上がるのに、我慢強いなと思って」


 いきなり湯でも沸いたように怒り出したセリンにはちょっと気圧されたが。

 彼女が相手だと、なぜか距離感を間違えやすい。

 他の嫁たちとは、割と良好な距離を保てている気がするが――。


 やはりはじめての妻。

 俺にとってセリンは特別な女性なのかもしれない。

 すると、こほんとセリンが咳払いをした。


「まぁ、精海竜王の娘でございますから。父上から、いろいろと稽古はつけていただいております。この程度の熱さで音を上げるようには、できておりません」


「そ、そうか。いろいろと、厳しいのだな岳父どのは……」


「…………いえ、父上はやさしいお方です」


 少し声のトーンが下がった。

 湯の中で膝を抱えたセリンが、揺れる水面に視線を落とす。

 白く柔らかな二の腕で膝を抱き、彼女は赤く色づいた唇を開く――。


「旦那さまには、お話しておきますね。私は――正確には海竜ではないのです」


「…………ほう?」


 セリンは俺に出生の秘密を語ってくれた。


「私は、海竜の父上と、仙女である母上の間に生まれた子なのです」


 セリンの母は内海の向こうの大陸で信奉されている女神――に仕える仙女であった。

 女神の忠実な僕として、海に棲まう人々の守護者として、セリンの母は多くの海妖と戦い、そしてそれを調伏してきた。


 そしてその中には、若き精海竜王も含まれていた。


「父上は今でこそ海竜の王として落ち着かれましたが、若い頃は龍鳴海峡を人の住めぬ地にする悪竜でございました」


「いいのか? 岳父どのが聞いていたら、怒ったりしないか?」


「父上が自分でおっしゃっていることですから……」


 曰く、龍鳴海峡の由縁は、若き日の精海竜王のやんちゃなのだという。

 そんな彼を調伏するべく、女神はセリンの母をこの地に遣わせた――。


 かくして、若き悪竜と、若き仙女は、拳を交えた。

 その戦いは三日三晩を超え、七日七夜に至り、十日に女神が直々にこの地に降臨し、精海竜王を海の底へと封じ込めて終わりを迎えた。


 女神の鎖と錨により、海底深くに縛められた海精竜王は、それでも暴れ回って龍鳴海峡に嵐を呼び起こした。


 誰かが彼を傍で鎮めねばならぬ。

 女神は仙女にその役目を与えた。

 それは、精海竜王を討伐し損じた罰でもあった。


 しかし――。


「父上をなだめるうちに、母上は情けを抱くようになりました。同時に父上も、母上と語らう内に、今の優しくおおらかな気性を獲得していきました」


「……男女の仲が、二人を大きく変えたのだな」


「はい」


 やがて二人は惹かれあい、種族を越えて子をなした。

 その子が水竜と仙女の血を引く娘――星鈴(セリン)だった。


 彼女が生まれたことで、精海竜王は懐深く慎重な王としての器を完成させた。そして、彼女の母の仙女は、女神の武官だけではなく子女の守護者としての格を得た。

 かくて海は鎮まり、この海に平穏が訪れた――。


「なるほどな。そんないきさつがあったとは」


「海竜として中途半端な存在の私を、父上は娘と認知し庇護してくださいました。海竜の中には、純潔ではない私を認めぬ者もおりましたが、それを力でねじ伏せて……」


「なるほど、それで優しい、と?」


 湯に当てられ赤らんだ頬で、こくりとセリンが頷いた。

 耳に上げた髪がほつれ、それを直しに白い指が伸びる。

 剥き出しになったうなじを伝った雫に――息を呑むこともできなかった。


 この華のような妻に、そんな出生の秘密があったとは。

 そしてとんだ奇縁もあったものだ――。


 彼女との巡り合わせに、運命めいたものを感じて俺は言葉を失った。


「とはいえ、母上は女神直属の神仙です。私を産んだ後は、すぐに天に昇って女神さまの下に戻ってしまわれました。龍鳴海峡の底にある棲処に戻ってくるのは、春節と鬼節、なにかあったときだけです。父上はそのことをとても寂しがっておられて」


「もしかして、孫を欲しがっていたのも?」


「…………はい。孫ができれば、母上も帰りやすいかと」


 気前よく娘をくれたと思ったが、そういう事情だったか。

 まぁ、子や孫に甘くなるのは人の性だな。


 精海竜王は海竜だけれど。

ついでに、セリンの母上は神仙だけれど。


 そうか、それでは……。


「岳母さまにお目通りするためにも、はやく子を作らねばならぬな」


「……だ、旦那さま! 急になにをおっしゃるのですか!」


 子作りに及び腰だった俺が急にそんなことを言うものだから、セリンは面食らって狼狽えた。そんな反応をさせるつもりはなかったのだが――。


「岳父どの岳母どのが、種を越えて子を成したという話に勇気をもらった。もしかすると、俺のような男でも子を残せるかもしれぬ」


「旦那さま」


「セリン。俺も、君に聞いてもらいたい話がある……」


 彼女が語ってくれた胸の内に応えるべく、俺もまた自身の秘密を語ろうとした。

 しかし、それは温泉に立った水柱によって阻止された。


「きゃあ!」


「なんだ! 悪戯か! それとも敵襲か――!」


「ワシじゃワシ。ワシじゃよ、婿どの」


 それは耳に馴染みのある声。

 執務室の外から、何度となく聞こえてきた、海竜の王にして岳父の声だった。


 しかし、いつもの重みがない。


 水柱の中から姿を現したのは、セリンと同じ黒髪をした――少年。

 黒い道服を着た赤い瞳の童子がそこにいた。


「すまぬの、火急にて人の姿で失礼する」


「ち、父上⁉」


「精海竜王どの⁉」


 そんな姿になれたのか⁉

 海竜の王の変化に息を呑んだのも束の間――。


「燕鴎の娘が掠われた!」


 彼は信じられない言葉でさらに俺の言葉を詰まらせた。

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