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第40話 絡新婦、礼を述べる

「ステラさん、顔が真っ赤ですよ? 大丈夫ですか?」


「ぴぃ~~~~。ぽかぽかの、あちあちで、くらくらなのぉ~~~~」


 ふと、湯船に目を向けると、ステラが蒸し鶏になっていた。

 身体の小さい彼女だ。熱が伝わりやすいのだろう。すぐに湯船から出たセイレーンの姫は、そのまま千鳥足でよちよちとふらつくと――。


「あら~? そないに美味しそうに蒸し上がって? うちに食べられに来はったん?」


「……ぴっ! ルーシーおね~さん!」


 湯船に脚だけ浸けている、巨大な絡新婦にぶつかった。


 セリンと違い犬猿の仲ではないが、ことあるごとにステラを怖がらせるルーシー。

 そんな彼女に、セイレーンの末姫は苦手意識を持っているらしい。ぶつかった相手が絡新婦だと分かると、ぱっとその翼を広げ――逆にその背中に墜落した。


「…………ぴぃ」


「あらあら、そこはアンタのベッドと違うえ。もう、しょうのない娘やねぇ」


 ルーシーの大きな背中で気絶するステラ。

 絡新婦は懐に飛び込んだ金毛の鳥へ、いつもの真意が見えない微笑を向けた。


「しゃあないな、ここでちょっと涼んでおき」


「すまんなルーシー。面倒をかける」


 気絶したステラに代わり俺が頭を下げる。

 するとルーシーは、少し妖艶に口の端をつり上げて、その背中を俺に向けた。


「せっかくやし、旦那はんもどない?」


「いや、それは遠慮して……」


「どない?」


 有無を言わさぬ絡新婦の圧。

 拒否は許さないという言外の圧力に俺は負けた。

 おっとりとした言葉遣いでこういうことをするからこの絡新婦は怖い。もっとも、彼女に害意がないことは、すっかり分かっていたが。


「……では、失礼して」


「はい。どうぞ。んふふ……好きな男の人を背中に乗せるって、えらい胸が弾むもんなんやなぁ。湯の熱も相まって、どうにかなってしまいそやわ♥」


 俺が乗ると一転、冷酷な眼差しが情熱的なものに変わる。

 セリンを凌ぐほど愛情表現が濃いルーシー。案外もなにも、彼女の歯牙にかかってしまうのは、そう遠くないことのように思えた。


 まぁ、食べられる心配はもうないが――。


「そういえば、新都で暮らすようになったアラクネたちの話を聞いたぞ。なんでも、さっそく結婚した娘もいるそうだな」


「あら、領主はんは、そんな話まで知ってはるん? いややわ、はしたない……!」


 遺跡をヴィクトリアが吹き飛ばしたせいで、ルーシーたち絡新婦は棲処を失った。

 森には他に避難場所もなく、彼女たちは新都へと移住することになった。


 鬼と恐れられたモンスター。

 そして、生殖のためとはいえ、男を食らってきた人類の天敵。

 そんな彼女たちが街で暮らせるのか?


 俺もルーシーも、絡新婦たちも不安だった。


 しかし――。


「獣人もようさんおって、セイレーンもまぁまぁおって、いまさらアラクネが増えたところで、住民に驚かれへんかったんは、正直言ってたすかりましたえ」


「まぁ、君たちを誘う時にも言ったが、うちは住民不足だからな」


 意外に街の住民たちは、彼女たちをすんなり受け入れた。

 ルーシーが言った通り、すでに国が他民族により形成されていたのが大きい。

 いまさら絡新婦が加わったところで、それがなんだという話だ。


 どうやら俺の政策は間違っていなかったようだ。

 そして、例の絡新婦についての考察も――。


「先週、仲間から連絡があったんよ。子供ができたてな」


「ほう、はやい話だな? 相手は街の男か?」


「近衞兵や言うてはったわ。新都に逃げてきたその娘に一目惚れして、その日に告白されたんやて。それで、旦那はんの言ってたことが本当か、試してみたんや。そしたら、父子ともに健康にしとるって……」


「……そうか。それは、よかった。本当によかった」


 長く、絡新婦を苦しめてきた種の呪縛。

 それはあまりにもあっけなく、拍子抜けするほど簡単に解かれた。

 言い出したのは俺だが――それでも、ちょっと信じられない。


 ルーシーが上半身を俺に寄せる。

 彼女も熱いのが苦手なのか、触れた身体の部位は微かに湿っているだけ。けれどもその頬は赤く染まり上がり、瞳には蒸気が粒になって溜まっていた。


「おおきになぁ、旦那はん。旦那はんが、うちのことを必要としてくれたから。うちらを住民として誘ってくれたからやわ。ほんに、旦那はんはうちの運命の人やね」


「なにを言うやら。俺だって、ルーシーに出会ってからずっと助けられっぱなしだ」


「そんなん、うちらが受けた恩と比べたら些細なもんやわ。旦那はんは、うちら絡新婦を暗い寝床から、陽のあたる世界に連れ出してくれたんえ」


 何度も何度も「おおきに」と呟いて、彼女は俺にこわごわと触れた。


 おぞましいほどに美しく、悲しくなるほどに強い、絡新婦。

 けれどもその心根が慈愛に満ち、母性豊かだということを、俺はこの逞しくも繊細な妻との触れあいの中で思い知った。


 もう彼女にも、彼女の仲間にも、辛い思いをさせない。

 モロルドの住民として、俺はこれからも彼女たちと共に生きていく。

 そう、心から誓った――。


「せやさけ……旦那はん♥ うちらも、はよ子供作ってまおか♥♥♥」


「いや、それはまだ、ちょっとはやいんじゃ……?」


「この子の遊び相手に、うちらの娘とかええと思わへん♥♥♥」


 ねむりこけるステラをルーシーが爪の先で突く。

 すよすよと心地よさそうな寝息を立てるセイレーンの末姫。そんな彼女が、後輩婦人の娘におもちゃにされる姿を思い描き、俺はやっぱり「まだはやいな」と思うのだった。


「こらぁっ! なに盛ってんのよ、この冷血動物! 今日はそういうのナシっていう約束だったでしょうが!」


「あら、あんなん本気にするなんて……流石は田舎娘、初心なんねぇ!」


 セリンが割り込んでくれたおかげで、子作りの件はうやむやになったが、はてさてこれからどうなることやら。


 ただ、彼女が幸せになれたことは、素直に俺は嬉しかった。

 ルーシーを仲間にして――娶って、本当によかった。

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