「ふっ……あぁッ♪ これが温泉かぁ……湯浴みとはまた違う心地よさだ」
「左様にございますね。地熱で温められた湯が、ここまで気持ちがいいものとは」
島に上陸し、ララに案内されること四半刻。
深い森林の中に草の民の隠し湯はあった。
滑らかな岩を並べて作られた湯船。
そこに満ちる天然の温水。
広さは俺の執務室もあるかどうか。
深さは膝の高さ。かがめば腹まで湯に浸かる。
湯浴みでもこんなに贅沢に湯を使うことはない。
そして、人肌には少し熱いお湯が、中央の岩から懇々としみ出している。
昇り立つ湯気と硫黄の香りがまたたまらない。
熱とともに、なにか特殊なものが身体に染み入っている気分だ――。
あぁ! これが温泉!
このまま蕩けてしまいたい!
セリンと肩を並べ、俺は気の抜けた声を上げた。
隣の海竜の姫も、いささか艶っぽい声を漏らし、その脚と腕を伸ばす。
無防備になったその胸が、俺の目の前で揺れ――ない!
なぜか?
それは彼女がしっかり服を着ているからだ!
「この木綿の服も着心地がよいですね。水の中でも動きの邪魔にならなくて」
「そうだな。流石は草の民の知恵だ……」
湯浴みをする前に、ララは俺たちに温泉の作法を教えた。
汚れた身体で入らない。
手ぬぐいなどを浸けて湯を汚さない。
湯の中で泳いだりしない。
飲食は迷惑にならないように。
そして――。
「湯に浸かる時には、この入浴着を着用すること! その……事故がないように!」
これもまた草の民の知恵。
男も女も一緒に入る温泉。
当然、そういうことにもなったりする。
それを防ぐために、入浴着を必ず着用する掟があるのだ。
おそるべし! 草の民! その叡智!
おかげで裸の妻たちに迫られて目のやり場に困るという、嬉しいやら恥ずかしいやらの事態は回避できた。ほんのちょっぴり、残念だったけど……。
そう、ここにいるのは全員俺の妻!
だから裸を見たって問題ない!
いったい何がいけないんだ!
けど、そんなのどうでもいいくらい、気持ちいいわ――温泉!
ずぶずぶと腰の位置が下がっていく。
肩まで湯船に浸かり、俺は開けた空を見上げ、また声を上げるのだった。
「これ、なんとか都にも作れませんかね?」
「人力でお湯を温めてもいいが……金がかかりそうだなぁ」
「おに~ちゃ~ん! おね~ちゃ~ん! ステラもおんせんはいるぅ~!」
まったりしていたところに、騒がし娘がやってきた。
寝間着とそう変わらない格好。
丈の短い入浴着をまとったステラだ。
彼女はパタパタと翼をはためかせ、俺たちの方に飛んでくると――急に翼を畳み、湯船の中にダイブしようとした。
あわてて俺は立ち上がると彼女を抱き留める。
「ダメだろステラ? 温泉に飛び込んだりしたら? ララが言ってただろ?」
「ぴぃ。わすれてたぁ……ごめんなさい」
「あと、湯船に入る前には、身体を洗わなくちゃいけませんよ?」
「ぴぇっ……! それも、わすれてたのぉ……!」
まったく、世話の焼けるセイレーンの末姫さまだ。
きっと着替えるや、いてもたってもいられずやって来たのだろう。
そういうところが愛らしくもあり危なっかしくもある。
まぁ、まだ子供だ。
口うるさく言っても仕方ない。
そんなことを思う俺の服を、ステラがぎゅっと握った。
「おに~ちゃん、あのね? おねがいがあるんだけど……いい?」
「なんだい?」
金色の髪をふるふると揺らすと、少女は――。
「ステラね……かみのけ、ひとりじゃあらえないのぉ! めにはいるから!」
「ふむ」
「ステラのかみ、きれいきれいしてくれる?」
と、父親にでも甘えるように言うのだった。
もちろん断る理由なんてない。
「いいよステラ。それじゃ、向こうで洗おうか?」
「うん! おに~ちゃん、やさしいから、すきぃ~!」
というわけで、俺はステラを連れ、少し離れた洗い場に移動した。
桶で湯船からお湯を掬い。セリンが用意した香草を練り込んだ石けんを手で擦る。手の内で十分に泡立ったそれを、まずはステラのつむじにたらす――。
「ひゃうっ! おに~ちゃん、もう洗ってるの!」
すると、ステラがびくりと翼と肩を震わせた。
これは、難儀しそうだな。
そんな覚悟をしながら俺は指を動かしはじめた。
最初は怖がっていたステラだが――。
「あぁ~きも~ち~いぃ~のぉ~」
「それはよかった」
次第にその声は、とろんとしたものに変わっていった。
「おに~ちゃんは、たたかいいがいはなんでもできて、すごいの。すてら、そんなおに~ちゃんの、およめさんになれて、とってもはながたかいよ」
「ははは、それもよかった」
「それにね? それにね? おね~ちゃんたちを、めってしてくれたのも! あと、めってしたのにゆるしてくれたのも! すてら、とってもうれしかったんだよ!」
燕鴎四姉妹のことだろう。
まぁ、アレについてはこちらにも非があった。
むしろこっちが許してくれてありがとうと言いたいくらいだ。
けれども幼い彼女には、そんなこと分からないのだろうな。
「ステラは、本当に家族想いなんだな?」
「うんっ! おね~ちゃんたちも! あとおなじふじんの、セリンおね~ちゃんや、ルーシーおね~さん! ヴィクトリアやララおね~ちゃんも、だいすきだよ!」
「そうか。これからもずっと好きでいてくれよ」
力強く「うん!」と頷く金髪のセイレーン。
そんな彼女の綴じられた瞼に、石けんの泡が垂れて来る前に、俺は桶のお湯で彼女の髪を清めるのだった。
「ぴぃっ! きれいきれいになったの! おに~ちゃん! ありがとう!」
「どういたしまして!」
「あ……あのね! あのね! おに~ちゃんのことも、だいすきだよ!」
「あぁ、分かってるよ」