新都から北側にある小さな群島。
その中の一つに、草の民のみが知る秘湯はあった。
「龍鳴海峡の諸島か。草の民は精海竜王のことを知っていたのか……?」
「あぁ。ケビンには悪いが、精海竜王への挨拶と供物の捧げ方、そして龍鳴海峡を渡る方法は――草の民ならみんな知っている」
「なぜ、領主に教えなかったんだ? 内海航路を開拓したとなれば、領内での地位は約束されたも同然じゃないか?」
「ケビンの父君……前の領主さまは、我々の話を真面目に聞く方ではなかった。それでなくても、モロルド家のこれまでの治世を見れば、ろくなことにならないのは明白」
「信用がないんだなモロルド家は」
「ただ、ケビンは特別。みんな、期待している……!」
隠弓神から水先案内人になったララが櫂を優雅に海面に流す。
右に左にと器用に持ち替えて、彼女は一本の棒を使って船を漕ぐ。
船の扱いも上手いとは。
いよいよなんでもできるな、ララは――。
「イーヴァンじゃなくて、ララに近衞隊長を頼もうか?」
「え⁉ そ、それは……ど、どういう意味だ⁉」
口を開けば嫌みばかりが飛び出す銀猫より、大人しく思慮深い彼女の方が傍に置くには安心する。言葉通りの意味なのだが、白虎娘がなぜかあわてふためいた。
ただまぁ――。
「そうだな、ララは今や草の民の顔役。王宮勤めなんて堅苦しいだけか」
「そ、そうだな。四六時中、ケビンと一緒というのは……緊張する」
いまやすっかりたくましくなった彼女を縛ることはできない。
ただでさえ、ここのところ女性が周りに増えて難儀している。
気心がしれた女性が近くにいると助かるが、こればかりは仕方なかった。
「あら? てっきりララさまも、後宮に入られるのかと思って、お部屋の準備をさせていただきましたけれど……?」
「……えっ? えぇっ⁉」
船の舳先に座ったセリンが、唐突に笑顔でそんなことを言う。
ちょっと怖いのは気のせいだろうか?
なんにしても、話の流れがおかしくなってきたぞ?
「わ……私が後宮に⁉ ケビンの……お嫁さんに⁉」
「えぇ。旦那さまの幼馴染みでございますし、草の民としての知略も武略も申し分なし。豪胆なように見えて、慎み深く心優しい。将としても姫としても、申し分ないかと」
「そんな……私なんて、とても!」
「まぁまぁ、そうおっしゃらずに。後宮はいくらでも空いておりますし。私としましても、貴方のような扱いやすい――もとい、親しみ深い方が一緒だと心強いので」
「うっ……うぅっ! そ、そこまで言ってくれると……っ!」
よく分からないが、セリンはララを気に入っているようだ。
ステラ以外が後宮に入る際には、露骨に渋い顔をしたのに笑顔で誘っている。
ルーシーともヴィクトリアともどこかぎこちない関係の彼女には、後宮で気心の知れた友人がもっと必要なのかもしれない。
「と、いうことでどうでしょう? 旦那さまの第四夫人ということで!」
「あら~? なんやおかしない~? 夫人の数が合うてないけれど?」
「第一夫人、セリン。第二夫人、ステラ。第三夫人、ルーシー。第四夫人、私、かと!」
「おね~ちゃん! さんすうできないのぉ~? すてらとおんなじだねぇ~?」
「うふふふ。大丈夫、あってますよ。どこぞの泥棒猫は……愛妾でございますからね」
「あらぁ~? 誰のこと言うてはるんやろなぁ~?」
体躯の関係もあり、船の中央に乗るルーシ。
彼女とセリンの間にバチバチと火花が散る。
それはもう、セリンの雷撃のように。
「あわわっ……喧嘩はダメ! 二人とも、仲良くだよ!」
「仲良くなるのに、ララさんのお力が必要なんですよ……♪」
「珍しなぁ。まったくもって同意見やわぁ。この性悪な田舎娘の、きっつい訛りの効いた田舎言葉を、ちゃんと翻訳してくれる人が欲しかったんやわ……♪」
そしてララは泡を吹いた。
見かけはすっかりたくましくなったのに、メンタルはまだまだか弱い。
気弱な少女の面影を見せるララに、俺はなぜか懐かしい気分になった。
やっぱり、ララはララなんだな。
ますますそばに置きたい。
本当に妻になってくれないかな――。
「あっ! 島が見えたぞ! あの煙が出ているのがそうだ!」
険悪な空気をはぐらかすようにララが船の進行方向を指さす。
モロルド諸島の百分の一、いや、千分の一もあるかどうか。
一刻も歩けば東西に横断できそうな小島。
微かに島の中央に草木が生い茂る他は、白い砂浜が続いている。
龍鳴海峡のただ中にこんなにも素敵な場所があったなんて。
「これは、高級観光地にすれば、すごく人気が出そうだな」
「むっ! ダメだぞケビン! ここは草の民の隠れ湯なんだ! 一般の人間に使わせるわけにはいかない! 今回案内したのも特別なんだ!」
そう釘を刺すと、幼馴染みはすいすいと櫂を右へ左へ回して海を往く。
彼女の巧みな操船により、俺たち――モロルド領主とそのお嫁さんご一行さまは、野趣あふれる温泉へと脚を踏み入れるのだった。
「ぴぃっ! たまごくちゃいの! なにかくさってるよぉ!」
「刺激臭を感知。これは――硫黄臭。どうやら、硫黄泉のようですね」
「……むぅ、温泉とはこのようなものなのですか」
「……この臭いは、ちょっとかなわんわぁ。鼻が曲がってまう」
「なに、毒性はない。そのうち慣れるさ」
強烈な硫黄臭に女性陣が鼻を摘まむ。
まぁ、たしかにちょっと匂うが――それだけに効能がありそうだ。
俺もはじめて入るから想像で言っているけれど。
「臭いがつくのが嫌なら、俺とララだけで入るけど……?」
「えっ? わ、私が行くのは、確定……なの?」
そりゃまぁ、案内人だからなぁ。
どこにあるかも分からないし。どう入ればいいかも分からない。
そんな軽い気持ちで言ったのだが――。
「行きます!」
「行きまひょか!」
「演算不要! マスターに随行!」
「うぅっ、みんながいくなら、ステラもいくのぉ~ッ!」
なぜか嫁たちは、やけに気合い十分で着いてくると宣言するのだった。
なんでそんなに力むのか。
旅行なんだからリラックスすればいいのに。